「退屈な火曜日」


私は昔から体が弱かった。

小学校の頃は、
学校より病院にいる日の方が
多かった気がする。

「卒業おめでとう」


卒業式は
なんとか出られたけど、

渡された卒業証書は
私には重過ぎた。


別れを惜しんで泣き出す子が多い中、
私は小さい声で
数回目の校歌を歌った。

世界が初めてモノクロに見えたのは
この時だったと思う。



お姉ちゃんは私と比べて
体も強くて、勉強も運動も出来た。

それでいて、
お出かけの日に
私が体調を崩して

お出かけ自体が中止になっても、
怒りもせずに
そばに居てくれる様な優しい人だった。



お母さんは
そんなお姉ちゃんと比べるような言い方は

なるべく私にしない様に
していたみたいだけど、

でも、口に出さなくても
目で分かってしまう。


お父さんは
「なんでお前はそんなに弱いんだ」
私と目が合う度、そんな事を言った。

泣くと、泣くなって
いつも怒った。

私が隣で発作を起こしても
知らんぷり。

そんな態度に対して、
お母さんが怒り出して。

そうして、
いつもの喧嘩が始まる。


この喧嘩は、
大抵お母さんが泣いて
お父さんが部屋に戻って終わる。


私はこれ以上お父さんが
怒るといけないからって、

始まると
自分の部屋に篭った。


こういう時、お姉ちゃんは
大体何も言わずに
黙々と自分の好きな事をしていて、

お姉ちゃんは凄いなあって
いつも思っていた気がするけど、

どうだったっけ。




別に頭が悪かった訳じゃない。
むしろ、勉強する事は好きだった。

でもすぐ体調が変わる
この体のせいで

勉強に集中出来る時間は
みんなより、ずっと限られていたから


入学して数ヶ月経つと、
みんなに置いて行かれていた。









中学校に入学して
一ヶ月が過ぎた頃、


私はクラスメイトから
イジメを受け始めた。


その理由は簡単。
クラスから孤立していたから。


入学して1週間は
体調は安定していたけど、

そこから2週間は
体調を崩して学校に行けなかった。

話せる様になった子も、
次登校した時には
もう別の子と仲良くなっていて。


それは別に驚きはしなかったけど、
私の体の事がみんなに
知れ渡っていたのには驚いた。

同情の目は無関心より
胸に刺さった。

そうして、
孤立した私は
いじめの標的になった。


って言っても、
私の体の事を知っているから
言葉でだけ。

「気持ち悪い」とか
「何か喋れよ」とか。

そんなありきたりな台詞を
私が教室に入ると
声高らかに言ってきた。

咳をすると、
病気が移るとか騒ぎ立てられた。

先生は、
見てみぬふりだった。

仕方ないと思う。
言葉だけで、実害は何も出ていないから。

それに私自身、
この事に対して
あまりショックは受けていなかったし。

むしろ、
何を当たり前の事をって思った。







ある日、
美術の授業で
《自分の色を見つけよう》という
課題が出された。

「友達に聞いたりしながら、
自分の色を見つけて
その色で何か書いてください」

勿論、私には
聞く相手なんかいなくて、

流石にこの時は少し困った。


自分の色?
私に、色なんてあるの?


これじゃない、これでもない

絵の具を
何度も持ち替えながら
必死に考えたけど

結局見つからなくて、
私の最初の絵は白紙で終わった。





授業が終わっても
動けずにいると、

隣の席の子が
真っ白な私のキャンバスを見て
こう言った。


「うわ、無色かよ」


「……そっか、無色なんだ。私。」

その事にやっと気付けて
少し嬉しく思ったのを今でも覚えている。


白でもなく、無色。

そういう事だったんだ。



それから、美術の時間は
理由をつけて休んだ。


無色な私が
色のついたものを描いてはいけない。
描いたら、何かが壊れてしまう。

強く、そう思ったから。


次に私が絵を描いたのは、
それから一年後。


北海道から遊びに来てくれた
お婆ちゃんが、

ご飯を食べた後にこう言ってきたから。

「お絵かきしよう」、って。

お婆ちゃんは
絵が好きな人だった。

でも、自分では描かない人だったから
私はその提案に凄く驚いた。

「大丈夫、
好きなものを書けばいいの」

私が慌てている内に、
お婆ちゃんは鞄から
鉛筆とスケッチブックを机に広げて、

にっこりと笑うと
一本を私に差し出した。

黒は、ノートの字と一緒だから。
そう自分を納得させて、
私はお婆ちゃんを描いた。

凄く下手くそだったと思う。

だけど、お婆ちゃんは
嬉しそうに笑ってくれた。






それから、
黒色だけは許せる様になった。

だって、どこにでもある色だから。
ないといけない色だから。



高校入学と同時に
私はお母さんと
お婆ちゃんが住む北海道に越してきた。

北海道は寒かったけど、

空気は澄んでいたから
都会よりは体調は良くなった。


都会から来たという事で
最初の内は話しかけてきてくれる子も
いたけど、

私がそこまで詳しくない事と
体が弱い事を知ると、

すぐに離れていった。


お母さんは
元々実家だったから、

昔の知り合いと再会出来て
毎日嬉しそうに過ごしていた。

それを私は
他人事の様に見ていた。




お婆ちゃんは
こっちに来た頃には
体調を悪くして、入院していて。

お婆ちゃんのいない家に
お母さんと2人で住んでいた。


学校に行って、
帰ったら家事をして、

それが終わったら
外の雪をぼーっと見て、

夜になったら
お風呂に入って寝る。

それの繰り返し。




半年くらい経った頃、
遠くの大学に行ったお姉ちゃんが
遊びに来た。

その日は家族3人で
幼い頃みたいにご飯を食べた。

ああ、
そうこの時だ。

私がその色を知ったのは。

本当に一瞬。

食べ終わった後

つまらないね、と
お姉ちゃんがチャンネルを
ころころと変え始めて。

その中の一瞬。

私は、綺麗に舞う
吹雪を見た。

チャンネルが切り替わった後も、
私の目にはその色が
焼き付いていた。

一刹那だったから、
それがどういう番組のどの瞬間
だったのかは分からなかった。


戻して、とは言えなくて
再び流れ始めたつまらない番組を
お風呂が沸くまで黙って見ていた。


北海道に来てから初めての誕生日、

お婆ちゃんが
スケッチブックと絵の具セットを
私にプレゼントしてくれた。


貰ったからには
描かない訳にはいかない。

その次の日、

私は学校の中で
一人でゆっくり絵を描けそうな場所を
探した。

そうして辿り着いたのが
あの物置裏だった。

お婆ちゃんには申し訳なかったけど、

やっぱり黒以外の色は
使いたくなかったから

私は鉛筆だけで
スケッチブックに絵を描いた。

スマートフォンの画像を見ながら、
色んなものを描いた。


絵に没頭してる自分は
嫌いじゃなかった。

いつかの、姉の背中を
思い出すから。

ある時、
描いた絵を持って
お見舞いに行くと

お婆ちゃんは私の絵を見て
凄く喜んでくれた。


でも、最後に

「色はつけないの?」

って、残念そうに言った。



だけど、
お婆ちゃんに言われても、
私はどうしても
絵の具を使う気にはなれなかった。



何なら、
色をつけられるんだろう。


そう悶々としながら、
いつもの様に描いていると、


ーーー寒い寒いある真冬の朝。



「え……?」

「はぁ……はぁ……ここなら……」


その人は息を乱しながら
この場所へ迷い込んできた。



本当に驚いた。
この場所に人が来た事なんて
一回もなかったから。

それに、
その相手は学校一の
有名人だったから。


あっちも
人がいるなんて思ってなかったのか、
驚いた顔をしていた。

そうして、
お互い驚いた顔のまま
見つめ合って。


こんな相手に
何も言わないのはどうなのかな、と
思った私は。

「……おはようございます……」

本当に小さい声で
挨拶をしてみた。

言った後に、
すぐにこれは何か違うって気付いて
恥ずかしくなったけど、


吹雪先輩は
私に対して、へにゃりと
あの柔らかい笑みを浮かべて。


「おじゃまします」

何故か
そのまま中に入ってきた。



あ、1番驚いたのはこの時だったな。

入ってくるなんて
それこそ、1ミリも考えてなかったから。



多分、ただの気まぐれ。
偶然だ。

迷い込んだら、
絵を描いてる人がいて

気になったから
入ってみただけ。


「……だと、思ってたのに」


吹雪先輩は
それから何故か定期的に
ここに来る様になった。

朝練が終わってから
予鈴がなるまでの間に入ってきて、

私の絵を見て
あの二つの文句と
一言二言の雑談を(一方的に)すると、

風の様に去っていく。


ずーっと
話しかけてくる訳じゃないし、

いるのも
せいぜい5分から10分くらいの
時間だったから、


私は最後まで
来ないで、とは言わなかった。


でも、今振り返ると
私は吹雪先輩がいる時の
この空間が案外好きだったんだと思う。

なくても困らないけど、
あった方がいい。

そう思える何かが
昨日までここにはあった。


あっちが
どう思っていたのかは分からない。

……これは、
悲しい自惚れかもしれないし、

自分がそう思いたいだけ
なのかもしれないけど。


気まぐれの延長線、は違うと
彼のいないこの場所を見て
一人呆然と思う。


手入れされてない草木を
かき分けて

物置の扉側に出る。

そして、
その前に座り込んだ。

そこは、
本当に私だけの場所。

顔を上げると、
少し遠くに
サッカーグラウンドが見える。


ここに初めて来たのは、
お婆ちゃんの容体が悪くなった次の日。




ーー天気が悪いから
吹雪先輩はきっとその内
顔を出すだろう。

でも、今日は
あの文句を言われたら、

ちゃんと返せる気がしない。

それは嫌だ。

でも、他に行く場所なんてない。

そこまで考えて、
私はこの物置の向こう側に
行った事がなかったのに気付いて。

さっきみたいに草木を
掻き分けて、この場所に来た。


そうしたら、見えてしまった。

雪と風を連れて、
軽やかにグラウンドを駆ける
吹雪先輩の姿が。

瞬間、
いつかテレビに映っていた
あの吹雪が脳裏に蘇った。

描きたい。
描いてみたい。

そう感じた時には
私の手はもうスケッチブックを
広げていた。

「もしかしたら、」

デッサンを描き終えた所で、
私は初めてこう思えた。

「この絵なら、
色をつけられるかもしれない……」

無色の私でも
こんなに色鮮やかなものなら、


自分が作った世界じゃなくて、
そこにあるものなら、

きっと。


「あ、はは……」


自分の世界に
閉じこもり過ぎて、

私、こんな簡単な事に
ずっと気付けなかったんだ。


それから私は、

この場所から
先輩の絵を描き始めた。

天気が悪い日は、
朝練が終わったのを確認すると

すぐに裏側に移動した。


そうして、
先輩の文句にこう返した。

「さあ、どうでしょう」


この絵が完成したのは、
4日前の事。

ーーーお婆ちゃんの葬式が終わって、
都会に戻る事が決定した日だった。



「風、吹かないでね」

鞄からその絵を取り出して
下に置く。

そして、近くにあった小石を
文鎮代わりに上に乗せた。

今日も、これからも、
吹雪先輩はグラウンドで
サッカーをする。

当たり前の事なのに、
今はそれがちょっとだけ寂しかった。


抜け道を通って
校門前に出ると、

朝日が私の瞳を覗き込んできた。

ああ、今日はいい天気だ。
吹雪先輩はあそこに来てくれるかな。

何故か悪い天気の日しか、
来なかったから。

「さようなら」

どうか、その吹雪が
いつまでも晴れませんように。





「あの子とうとう転校したんだって!」

「え?
まあ、体弱かったみたいだしね。
休んでる日の方が多かったし。」

「なんか
お婆ちゃんが亡くなってから、

あっちに戻る事になったらしいよ」

「まあ都会もんは
都会の方がいいって事だよね!

部活にも入ってないし、
友達もいないし、
授業もつまらなそうに聞いてたし。

なんで学校来てんだろって
思ってたもん。」

「ちょっ、それは言い過ぎ!」


女の子達が
笑いを交わしながら
横を通り過ぎていく。

それは、不思議な事じゃない。
結構いつもの事だ。

怒りが湧いてこない僕は
薄情なのかな。

ううん、それは違うか。


僕の手の中には
彼女の答えがあるから、

他の人の言葉なんて
どうでもいいんだ。

早く教室に戻って、
これを鞄にしまわないと。



僕と君だけの秘密、なんだから。












 

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