次の星は還らない 俺の隣の席のみょうじなまえさんは、 凄く、物凄く変わっている。 「お前また学校で野宿したな!?」 「昨日は丁度星が綺麗な日だったので。でも特に誰にも迷惑はかけてないと思います」 「そもそも野宿が問題なんだよ!」 (またって事は前にもした事があるのか……) 星が見たいからって学校で夜を明かすなんて事を平気な顔でしてしまう。非常識で普通じゃない、外見だけは大人しそうな女の子。それが俺の隣の席の子。 「はあ……」 「ヒロト最近ため息多いね。学校で何かあったの?」 「うーん、まあ……」 最近の俺の様子を不思議に思ったんだろう。夕食中、緑川が心配そうな顔で声をかけてきた。でも、何も知らない他校の緑川に全て正直に話す訳にもいかない。 下手したら、頭がおかしくなったなんて誤解をされかねない。それに、《あんな行動をしてしまった》事は本当口が裂けても言えない。予想していた通り、次の日は全身筋肉痛だった。 でも、それくらいで済んで本当に良かった。筋を切ってしまったんじゃないかとあの日の夜は心配であまり眠れなかったし。痛みに耐えながら、もう2度とあんな振る舞いはしないと心から誓った。 「他校の俺じゃあんまり力になれないかもだけど、話を聞いてやる事くらいなら出来るからさ。」 「ありがとう緑川……」 「えっ本当にどうしたんだよヒロト! 今迄見た事ない顔してるぞ!?」 それってどんな顔?と聞きたかったけど、少し怖かったので聞くのはやめておいた。 ーーあれからというものの、 言い方が悪いけど、みょうじさんは俺に付き纏う様になった。大抵はあの時の動きについてだ。 《どうやったの?》とか《もう一回見せて》とか。あんまり人がいない放課後の教室とか、そういう所を選んでくる辺り、上手く避けきれなくて。 《見せられないし、もうやらないよ》 と言っても、食い下がってくる。 多分俺がもう一度やるまでこのまま付き纏う気なんだろう。冗談じゃない。 今度は本当にサッカーどころか日常生活に支障が出かねない怪我になってしまうだろう。 それだけは避けなければ。 俺の体はもう、普通の人間なんだから。 《なんか、合ってないね》 「………」 だからもう、気にしないのが1番なんだ。みょうじさんといると、今迄の自分が揺らぎそうになる。それが、俺は今何より怖い。 そう、これでいい。 彼女が階段から踏み外しそうになってる所に遭遇しても、木から降りられなくなってる猫を助けようとよじ登ってるところに遭遇しても。今迄通り見なかった様に過ごせばーーー。 「ねえ……君ってなんでそんなに無防備なの……?危機感とかないの…?」 「昔からこういう体質なんだ。ほら、これは坂道登ってたら転んで出来た傷」 「誇らしげに言う事じゃないよそれ」 「今回も助けてくれてありがとう」 「もう助けないからね」 「それ前回も言ってたよ?」 何をやってるんだろう俺は。いや、流石に怪我しそうになってるのを見ないふりをするのは人としてどうかなと思っただけで、それ以外に他意は決してなくて。 ……みょうじさんに対して言い訳ばっかりな自分がいるのが、嫌に思う。でも、何かの意地が認めたくなかった。 「基山君って好きな事って何?」 「え?」 「基山君自身にも興味が出てきたから聞きたくなったの」 それって今迄俺の身体能力にしか興味なかったって事だよね、と思ったけど 口には出さない。それこそ負けた気がする。 「……サッカー」 一番最初に頭に浮かんだものを素直に答える。 「ふーん」 「え、何?」 ちゃんと答えたのに、みょうじさんは俺を下から覗き込む体制で距離を詰めてくる。 彼女の探る様なこの目が、俺は少し苦手だった。心の奥まで、見透かされてる様で。 「じゃあ見てみるね。基山君のサッカー」 みょうじさんはそう言うと、身を翻して そのまま庭の方へ去って行った。 「な、なんなんだ……」 残された俺は彼女のその言葉に、胸がざわついていくのを感じたまま、暫く動けなかった。 でも、俺のサッカーって……なんだろう? 「ねえねえ流星ブレード見せて!」 「言うと思った……」 「あの必殺技はさどういう原理なの?私ますます基山君に興味湧いちゃった!」 「へーそうなんだ」 「でも隕石レベルじゃなきゃあそこまで光らないよね。流星って本当に一瞬だし、それも視認できてもほんの小さい光だし」 「それは…まあ、俺の想像だから……」 「でも宇宙には無限の可能性があるからそういう星も宇宙の何処かにあるかもしれないよね!」 「うんそうだね……で、もう下ろしていいかな?」 自分はこんなに単純な人間だっただろうか。普通の人よりは幾分か賢い自負はあるんだけど、どうしてまた今度は段差に躓いて前に倒れそうになっているみょうじさんを助けているのか。ああいや多分これは深く考えても答えが出ない問題だな、と結論をつけて無理矢理思考を断ち切る。 「ありがとう、助かったよ」 ……こうやって毎回臆面なく真っ直ぐにお礼を言ってくるから、あしらいきれないんだろうな。今迄は分からなかったけど、自分のペースを崩されるっていうのはきっとこういう事なんだろう。 「どう、いたしまして」 「……一応聞くけど、みょうじさんそんな所で何してるの?」 「え、天体観測の準備?」 「………」 俺が所属しているこの学校のサッカー部の部室は校舎から離れた場所にある。そして専用の用具倉庫はさらに外れた場所にあり、基本的に当番の部員以外は近寄らない。それも下校時刻はとっくに過ぎ、日も落ちたこの時間帯なら誰もいない筈だ。 俺は今日練習が終わった後も1人自主練をしていて、今は丁度ここにボールを返しに来ていたところだった。そうしたら、後ろの方で何か物音がして、不思議に思って覗いてみたら。 ーーー隣の席のみょうじさんがレジャーシートの上で望遠鏡をセッティングしていた。 まさかこの倉庫の裏が彼女の野宿場所だとは思わなかった。確かに、ここには部員以外人が寄り付かないけど……。いや、そうじゃないよ俺。 「今日はね、星がよく見える日なんだよ」 「……まさかとは思うけど、ここで夜を明かす気なのかな?」 「うん、そうだよ!」 普段は無表情なのに、星や宇宙、そして……俺(の身体能力)の事になると、みょうじさんは本当に表情が豊かになる。知らない人が今の彼女見たら、別人って思ってしまうくらいに、雰囲気も表情も変わる。でも、多分裏表がある訳じゃない。 「いやだからこそ厄介なのか……」 「あ、カストロ。もーじっとしてて」 「え?」 聞いた事のない名前が耳に入って、思わず顔を上げる。すると、それとほぼ同時に近くから猫の鳴き声がした。 「何処から?」と目を凝らしてみると、みょうじさんの膝の間に小さい影が見えた。それは俺の視線に気付いたのか、彼女の膝を軽く飛び越えてこちらへと近づいてくる。 「あ、」 月明かりに照らされ、その影が暴かれる。 暗闇を思わせる様な黒い毛に、ライトブルーの大きな瞳の、子猫。 俺はその猫に見覚えがあった。 数日前、この猫を助けようとみょうじさんは木の上に登り、そこに運悪く俺は遭遇した。そして、捕まえたところで足を踏み外し落ちてきた彼女をこの猫諸共受け止めた。 「そう、この前基山君が助けてくれた猫だよ」 みょうじさんに「おいで」と言われた猫は 俺を一瞥した後にすぐまたその膝の間へ戻っていった。俺には冷たいな、と思ったけど、動物にこういった態度を取られるのは別に今に始まった話じゃなかった。 強化人間として訓練を受けた時から、動物にはこういう態度を取られる。動物は色んなことに敏感っていうから、きっと人間じゃ分からないところで俺の人間離れしたところを感じ取れるんだろう。 2、3年じゃ、それは取れないのか。 と他人事の様にぼんやりと思った。 「でも最初に助けたのはみょうじさんだろ」 「助けるのに失敗して落っこちた私を助けたのは基山君だから、基山君は私とカストロどっちもの命の恩人って事だね」 カストロと呼ばれた猫はにゃあ、と撫で声を上げた。カストロ。何処かで聞き覚えがある様な。 「えっと、カストロっていうのは……この猫の名前?」 「うん、そう。カストロ……カストルの方が呼び方は有名なのかな。双子座の元になった 双子の神様の片方の名前だよ。」 「双子座……」 そういえば小さい頃、星座に関する本を読んだ記憶がある。 好きって訳じゃなかった。夏休みによく姉さんが俺達をキャンプに連れて行ってくれて、夜になるとみんなで星を見上げる事が多くて。俺はその時に「こんなことも知ってる」って自慢がしたくてーーー。 要するに格好つけたかった。 結果は、どうだったっけ。 読んだ記憶は確かにあるのに、自慢した記憶も、身につけた知識も今は何処かへ消えてしまった。人間は忘れていく生き物だと何処かで聞いたけど……。 おかしいな。俺にとっては確かに大事な記憶だったのに、もう思い出せない。 「兄のカストロは弟のポルックスと違って神ではなく、人間だったんだって。2人はとても仲が良くて、だからポルックスはカストロが死んだ時、「不死を分け合いたい」って父であるゼウスに頼んだ。そして2人は双子座になった。」 「双子の兄弟……」 胸に小さな引っ掛かりを感じたけど、即座に振り払う。 「本当はポルックスにしようかと思ったんだけど、それはなんか、違う気がして、カストロにしたの。 今はどこら辺にいるかなあ」 そう言って、みょうじさんが星空へ手を伸ばす。掴めないと分かっているのに、掴もうと無意味にふらふら手を揺らしている。ふざけている割には声はとても真剣で、俺は次に何を言ったらいいか分からなくなった。 「基山君は、星好き?」 「好きかは……ともかく、幼い頃はよく 山にキャンプに行って、こうやって星を見上げてたよ。」 顔を上げると、確かにここを観測場所にするだけあり、都会の割には星が見えた。といっても、星座の形を認識出来る程じゃない。 「じゃあ嫌いなの?」 「え、うーん……」 真っ直ぐにそう返されて、言葉が詰まる。好きか嫌いか、みょうじさんの中はそれで判別されているらしい。 見上げながら、少し考えてみる。 綺麗だとは思う。でも、見ていると 段々寂しい気持ちになる。 「……ああ、」 そういえば、こんな風にゆっくり夜空を見上げるのはいつぶりだろう。天体観測なら、多分それこそあの頃以来だ。 「流星を撃つくらいだから、好きだと思ったんだけど、」 みょうじさんの言葉に物思いから我に返る。 流星。そうだ、それはーーーその通り、この星じゃないか。 「……はは、確かに」 至極当たり前の事実なのに、まるで初めて聞かされた様な気持ちになる。 そもそも俺は何故、流星を撃とうと思ったんだろう。思い出そうとして、思い出せない自分に驚く。どうやらそれも、あの謎と一緒に何処かへ消えてしまったらしい。 いや、切り捨てて、自分から失ったの方が正しいのかな。それなのに、撃ち出す事は出来てしまうなんて、矛盾だな。 「でもね、私は基山君の流星嫌いじゃないよ。」 「え?」 「偽物だけど、嫌いじゃない。綺麗だと思う。ただ、見てると苦しくなる。」 「苦しく、なる?」 「なんでかなあ、それこそ不死じゃないからかなあ」 みょうじさんの腕が空から地へ落ちる。その言葉の意味は分からないけど、何か特別な何かが込められている様な気がした。 兄と違い、不死のポルックス。兄の死を嘆いた彼は兄と不死を分かち合う為に、父に頼みこみ、そうして2人は双子座となった。だけど、それって、本当に不死なんだろうか。 ーーー星として生まれ変わった、の方が正しいんじゃないかな。 だって、死んだものは還らない。 死んだら人は星になると言うけど、星になった時点でもう別の何かになってしまうんじゃないだろうか。 その、双子座だって。結局俺達には、今の自分達しかない。自分でいられるのは、今の生だけだ。ただ、そう考えると。いつかの星(ひと)の名前を借りた俺が、星を撃つというのは、ある種皮肉で、罪深いのかもしれない。もう、形が変わっていても。 「でもさ、不死じゃ星にもなれないよ。だって、もうその神様はいないんだ」 宇宙は変わらずそこにあっても、神様はいない。それを俺はよく知っている。 「……基山君は星になりたい?」 「うーん、どうかな。今の所は、なりたくないかなあ」 だってそれは死ぬって事だろう?そう言うと、みょうじさんは目をぱちくりさせて、小さくはにかんだ。その顔が寂しそうに見えたから、俺は手の中のボールを落とすと、彼女へ近づいて、手を差し伸べた。 「え?」 「ここよりはそこの木の上の方が良く見えるんじゃないかな」 「……いいの?」 「星を落とすよりはずっと簡単だからね」 「私はその星も好きだけどな」 抱き上げた体はやっぱり軽かった。何処かふわふわした気持ちのまま、木の枝を瞬間の間で踏み台にして上へ上へ登る。みょうじさんの腕の中のカストロはやっぱりずっと俺に唸っていた。 「今日は人間のままだ」 「言っただろ、もう見せないって」 俺は君の思う宇宙にも宇宙人にもなれない。ただの人間だ。臆病な俺は、心の中でだけそう吐露した。星にだって、なれない。 ×
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