「星空のパンドラ」 「ひろとだー!!」 「あれがっこうはー?」 「今日は中間テストだから早く終わったんだ」 園の門を開けると、外で遊んでいた数人の子供達がしていた遊びをやめて一斉にこっちに向かってきた。子供は元気だなあ、と思いつつ、質問に答えながら抱きついてきた女の子の頭を撫でる。「ぐしゃぐしゃになっちゃう!」と小さい悲鳴を上げながらも、嬉しそうな笑顔を俺に向ける。その笑顔に癒されていたら、今度は背中から違う子に抱きつかれた。 「なあサッカー教えろよー!」 後ろからの声と言葉で誰だか分かる。 園で誰よりサッカーの練習をしている子だ。 体格が小さいから最初は他の体格の良い子に負けていたけど、最近は緑川や南雲に教えて貰って、飛び抜けて上手くなった。 多分もう今じゃ園の中で一二を争うくらい上手いのに、今度は俺にまでそう言ってくるんだから、本当にサッカーが好きなんだな。 「うん、いいよ。」 振り返ってそう答えると、その子は目を輝かせながら「やったー!」と叫んだ。そういえば、俺が教えるのは初めてか。いや、そもそも誰かに教えるのが初めてかもしれない。 南雲はともかく、緑川みたいに上手く教えられるかなあと思っていると、今度は左腕を別の子に引っ張られた。 「えー!!鬼ごっこしようよー!! どうせ暇なんだろー!!」 この子は園で一番走るのが早い。よく休日に涼野と園の周りで競走している。ああ、そうだった。他のみんなと俺の学校はテストの時期が違うから、下手したら今園の中で遊んでくれる大人は俺1人なのか……。 瞳子姉さんはいるだろうけど、この時間帯だとお昼ご飯を作っているだろうし……。 「いや暇ってわけじゃないんだけどな….… 明日もテストだし……」 あはは、と乾いた笑いを溢してみるけど、子供達の期待の目は変わらない。さて、どうしようか。普段はサッカー部の練習か 学校とそれ以外の勉強のどっちであんまり遊べてないし、1、2時間くらいなら遊んであげようかなって思ったんだけど。多分目の輝きを見るに夕方まで付き合わされるだろう。 それは困る。明日のテストに向けて勉強をしなければいけないし、今日はそれ以外にもやるべき事がある。加えて、緑川に聞いておきたいこともある。 「あら、帰ってたの」 「姉さん」 ーーいや、どうだろう。 もしかしたら、瞳子姉さんの方が良いのかもしれない。 姉さんとはあの事件以来、ゆっくりと話していない。姉さんも俺も無意識にその時間を避けていた様に思う。だからといって、姉弟関係が悪い訳でもない。お日さま園の子とか最近学校がどうとか当たり障りのない話はしている。 ただ間に誰かがいないと、 お互い何から話したらいいのか分からなくなる。 「ほら、ヒロトから離れなさい。困ってるでしょ」 「えー!?でもヒロトサッカー教えてくれるって言ったもん!」 「………」 「いや、その、気分転換に少しだけならいいかなって……勿論その後はテスト勉強するつもりだよ!」 姉さんに凄まれて怯えた顔になったその子を背中を隠しながら、そう答える。他の子達は姉さんの顔を見るとさっきまでの遊び場に戻っていった。火の粉が飛んでくる予感がしたんだろう。子供ってそういうところ頭良いよね。 姉さんのこの表情を見る限り、サッカーを教えてあげるのは無理そうだなあ。テスト最終日ならともかく、初日に子供達と遊んでいたら怒られるのも当然か。 「……2時間だけよ」 「えっ」 「やったー!!」 「あなたが日頃頑張っているのは分かっているけど、保護者としてそれ以上は許してあげられない。お昼は?もう食べたの?」 「う、うん。学校の食堂で食べてきた……」 「そう。この子達ももうさっき食べているから」 その子の頭を一度撫でて、「怪我しないようにね」と言うと、瞳子姉さんは園の中に戻っていった。 「ヒロトー?どうしたんだ?」 「いや……」 なんだろう、このモヤモヤした気持ち。 許してくれた事を喜ぶべきなのに。 「やろうか」 地面のサッカーボールを足で軽く上に蹴って、手で受け止める。それだけの事にその子は目を輝かせて笑ってくれた。 時間通り1時間で練習を切り上げて、手を洗う為にその子の後に洗面所に入った。蛇口を上げて、出る水に手を浸そうとした。けど、その寸前で何故か躊躇った。サッカーボールの土が移って、綺麗とはいえない状態の自分の両手に視線が動く。 手。 なんでか俺はあの子にサッカーを教えている最中ずっと瞳子姉さんと久しぶりに手を繋いだあの日の事を繰り返し思い出していた。 鬼瓦さんに促されて先に進んでいくみんなを見ても、地面に縫い付けられたみたいに足が上手く動かなかった。今思えば、これから先が怖かったんだと思う。瞳子姉さんはそんな俺の隣に立って、顔は正面を向きながらも手を差し伸べてくれた。 「……俺じゃ、ダメなのかな」 あの時拭ったみょうじさんの涙の生温かさを思い出して、拳を作った。 拭った俺の手から零れていってしまう夕日の色を移したその涙を俺は星みたいで綺麗だと思った。 本当は、まだこの世にあの石が存在する事を瞳子姉さんや鬼瓦さんに相談するべきなんだと思う。でもあれを取り上げてしまったら。 夢も宇宙も無くした彼女は今度こそ。 「俺はやっぱり、2人の様にはなれない」 知っていくうちに、段々と救ってあげたいと思った。だから俺は、彼女が拒んでいるのを心の何処かで分かりながら側に行こうとした。だけど、結果はどうだ。 俺は優しいフリをして一方的に傷付けただけだった。何も知らないで。 「……でもだからこそ、 今の、知らないままじゃきっとダメだ」 握った拳を開いて、蛇口の水に浸す。 《もうあの事件には関わらない》という姉さんとの約束を破ってしまうけれど、事態は刻一刻と変化している。そんな予感があの日からしてならない。エイリア石は基地の爆発に巻き込まれて事実上は消滅した。だが、父さんの側近であった研崎は秘密裏に石の一部を持ち出し、自らの方法で俺達とは比べ物にならない程の力を石から取り出して、ダークエンペラーズ…風丸君達に与えた。 様々の人を魅了する力がエイリア石にはある。そして、絶対的な力は人を惑わす。みょうじさんはきっと所持してはいたものの、石の力を知らなかった。 【綺麗でしょう? お母さんが、死ぬ前にくれたんだ。 そして、こう言った。 《大きくなったら、これの秘密を暴いてね》って。】 自分の母親に貰ったものだと彼女は言った。 また、母親に将来石の秘密を暴いて欲しいと頼まれたとも。みょうじさんの母親は研究に関わっていた人だったのか?でなければ、研崎の様にほんのひと欠片でも持ち出す事は無理だろう。 けれど、事件後鬼瓦さんが事件に関わったものーー石の研究者達を含めて全て洗い出した筈だ。それが終わったからこそ、吉良財閥は現在も形としては存在出来ている。どうやって捜査の目から掻い潜ったんだ? 「……いや、待て」 その時、ある記憶が頭をよぎった。 《あー、実はみょうじ、両親とお兄さんを早いうちに失くしててな。今住んでるのは親戚の家なんだ。》 「早いうちに、失くして、る」 ーーそれはどういう経緯で? 「っ!」 蛇口を閉めて、手の水を軽く振って払うと 俺は洗面所から飛び出した。階段を駆け上がって、自分の部屋へ飛び込む。 立った状態で机の上の試験用のノートを1ページめくって、白紙のページにする。そして、そこに今迄頭に浮かんだ情報を書き込んでいく。 「みょうじさんのお母さんが研究者として、 お母さんは死ぬ前にみょうじさんに石を預けた。《大きくなったら石の秘密を暴く》様に言って。秘密、それは石に秘められた力だろう。ただ多分それは、俺たちの様に私利私欲の為じゃない。恐らく、純粋な研究心だ。 だが、持ち出したもののその後になんらかの原因で亡くなった。 いや、待て。秘密を暴く、って俺達の行いを暴くという意味にも取れないか?みょうじさんのお母さんはエイリア学園の実態を知っていた?知って、持ち出した。だけど、お兄さんとお父さんと共に亡くなった。 それは、同時?同時だとしたら、」 ーー作為的なものじゃないか? 「……父さんはエイリア学園の実態を知られる事を一番恐れていた。」 震える手からシャーペンが落ちる。それは机の上を転がって、その内床に落ちた。頭が痛い。頭が理解する事を拒んでいる。その事への恐怖から体の感覚が抜けていって、俺は情けなく後ろへ尻餅をついた。心臓が脈打つ音が、煩い。 「みょうじさんは、俺達にとって1番の被害者だ。」 俺のこの考え全てが、 本当に真実だったとしたら。 みょうじさんは一体どんな気持ちで母親のその願いと形見を受け入れたんだろう。 俺達のことは知らされなかったんだろう。いや、知らせる前に亡くなってしまったのかもしれない。だから、お母さんの願いの意味が分からずに、それでも必死にもがいて生きていた。自ら、その宇宙に囚われる事で辛うじて息をしていた。 普通の、女の子だったのに。 あの日、夕暮れの公園で触れた彼女の頬の熱を思い出す。両親が亡くなってから、親戚の家で暮らしていると先生は言っていた。 今のみょうじさんが両親がいなくなる前のみょうじさんだとすれば。 親戚の人からは、彼女はきっと ーー普通じゃない子供に見えていただろう。 でも。 それでも、やめなかった。 両親の残した夢、その願いが、 生きる意味だったから。 《でも、良かった。それでいいよ。基山君は》 《え?》 《本当は宇宙人なんて、いない方がいいかもね。》 「ぁ、」 視界が歪む。眼の奥が熱くなって、ひくり、と喉が閉まる。瞳からどうしようもなく涙が溢れる。 「な、にが、心配しちゃ、いけない、だ。」 だとすれば、なんて絶対嘘だ。 そうじゃなきゃ、あんな。 あんな悲しそうな瞳で、俺に 《そりゃあ、勿論宇宙からだよ》 自分よりも大切なその《宇宙》を 見せてくる筈がない。 いつ彼女がどういう経緯で、俺の過去、 石の正体について知ったのかは分からない。 「くそ、」 《なんだ、つまんない。やっぱりあなたもそっち側か》 初めて正面から相対した時はまだ知らなかったと思う。あの言葉からしてその時の俺は彼女にとって《どうでもいい人間》だったから。けれど、力を見せてしまった事で、そこから彼女の中で俺は《宇宙人》になった。 《ううん、面白いから良いと思う》 興味、研究者の対象。もしかしたら、「何か石について知っているかも」という望みもこの時から薄ら持っていたのだろうか。何の根拠もないのに、そんな小さな理由で。 突飛にも程がある。 けれど、それは偶然にも真実に結びついた。 本当、どんな偶然だろう。 「……いや、もしかしたら、必然だったのかな」 因果応報。罪を犯せば、罰が下る。 こんな形で巡ってくるなんて、思わなかった?それこそ、おかしな話だ。 《最近園に来たあの子。 本当、亡くなったヒロト様にそっくりね》 現実は小説より奇なり。 《お前の名前は今日からヒロトだ》 《うん、父さん》 それを俺は、きっとこの地球上の 多くの人よりも、知っていたのに。 《この石には不思議な力がある。 この石があれば、》 「……名前、か」 《本当はポルックスにしようかと思ったんだけど、それはなんか、違う気がして、カストロにしたの。》 俺が助けた猫に彼女は不死の兄ポルックスではなく人間の弟カストロの名前をつけた。そこにはきっと彼女にしか分からない迷いがあった。 《でもね、私は基山君の流星嫌いじゃないよ。》 《え?》 《偽物だけど、嫌いじゃない。綺麗だと思う。ただ、見てると苦しくなる。》 《苦しく、なる?》 《なんでかなあ、それこそ不死じゃないからかなあ》 偽物だけど嫌いじゃない。全てを知った今、それはなんて最高の褒め言葉なんだろう。 《……基山君は星になりたい?》 多分、この言葉は彼女の一番最初のSOSだった。 《本当はない事もないよ。 でも、普通でいる方が私には辛いんだ》 そして、これが2番目だ、 《……ねえ、どうして俺を宇宙人だと思うの?》 《うん?》 《……そういえば、なんでだろ》 ああ、こんな会話もしたな。じゃあ、プール掃除の時はまだ知らなかったんだ。知ったのはきっとこの後だ。だから、次の日学校を休んだ。そして、俺は休んだ彼女を心配して会いにいった。 どこまで知ったかは分からないけど、俺の過去。つまり、この事件の発端、真相は知った筈だ。 それなのに、 《……宇宙人の真似事をしていた時の、名残だよ》 《え?じ、冗談だよね?》 ああやって言ったのは、俺が加害者だって信じたくなかったからなんだろう。確定できる材料は何個もある。情報だけじゃ信憑性にかけるとしても、写真は決定的だ。 グランの時の顔写真なんて、雷門との試合を生中継をしていたんだから、インターネットの海に今でも幾らでも残っている筈。 基山ヒロトとしての写真も日本代表としては存在している。俺は緑川と違って演技をしていたわけでも特別な変装をしていたわけでもない。そこからも姿、もしくは声から同一人物と予測はつけられる。 そんな状況でも、今俺が普通に生きていけているのは大人達がそういった悪意から遠ざけてくれているから。 「くそッ!」 怒って良かった。 どうしてだって、自分達は何も悪くないのにって、みょうじさんは俺に怒る権利があった。なのに、俺の正体が自分の中で確定した後もしなかった。 《……それは、何処で?》 《そりゃあ、勿論宇宙からだよ》 それだけ言って、姿を消した。そして、次の日から普通に戻った。俺に何も言及してこないのは、どうして?石の正体が分かって、全てどうでも良くなった?彼女が抱えた感情はそんな、そんなもので済まされるものじゃない。彼女が夢も宇宙も手放す筈がない。 俺にみょうじさんのする事に口を出す権利はない。例え彼女が俺達に復讐をして来ようとも、止められない。だけど、その手段が石の力を使ったものだとしたら、話は別だ。 あの悲劇は繰り返してはいけない。 「まるで、パンドラの箱だな」 あの双子座の話と同じ、ギリシャ神話の一つ。 でも、神話と違って。 俺達の箱(うちゅう)の中身は元々は希望で満ちたものだった。それを俺達は全て厄災、絶望に変えて、強引に蓋を閉じた。 何も知らない彼女は、偶々見つけたそれを希望だと信じて、開いてしまった。 頬に張り付く乾燥しかけた涙を乱暴に拭って、ゆっくりと立ち上がる。何気なく窓のカーテンを開くと、そこには夜空に浮かんだ小さな星達が眩しいくらいに輝いていた。 「……そうだ。 みょうじさんのご両親が亡くなったその事故が俺の予想通り、作為的なものであったとしても。そうでなくても、 彼女が1番の被害者な事は変わらないんだ。」 ねえ、みょうじさん。 俺達は最初から、 被害者と加害者でしか、なかったんだね。 ×
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