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※18禁小説注意




 口内を焼く血の香りごと噛み締めながら、吐息の一つも漏らさぬように口を閉ざした佐久間は蠢く感覚に黙していた。

 ここは全てがおかしい。渦中にある佐久間はふとその事に気付く。しかしまた直後にはその世界に空気ごと呑み込まれてしまうのである。感覚器官を冒すような湿度と、じとりとまとわりつく温度、徹底されている空調管理の割に漂う倒錯的な香り、反響する仄かな機械音は爆音となって耳をつんざく。周囲の瞳も触れてくる他人の体温も静かなほど煩くてかなわない。上が下で斜めが後ろのような狂気の世界。研ぎ澄まされた感覚は僅かなものをステレオのように拡張する。誰も彼もが正常ではないと頭の隅で感じながら、警鐘を鳴らす正常さを佐久間自身も失っていた。

 好きでもない男に体をまざぐられていることに抵抗すらできないでいるのを、怠惰と諦観に埋めながら死んだ魚のような瞳を薄暗い天井に向けた。相手の男、不動明王が行っているのは佐久間を用いたマスターベーションである。そこに快感の共有も感情の共有も存在しない。痛みすら半ば麻痺している佐久間はここが夢の中なのか現実なのかの判断がついていなかった。

 おぞましい音を立てながら下腹部から溢れ出してくる不動の欲望が、清潔すぎるシーツに染みをつくるのにも興味なさげに、佐久間はなおも虚ろな瞳を無意味な方向へ向けていた。華奢というよりはもはや心許なくなってきている肉付きはチームに完備されている栄養士に注意を促された。健康のためではない。道具としての価値の問題である。

「……石の……効力……問題か」
 嘲弄と共に相手が零した呟きは途切れ途切れのまま、聞き取ろうという意志のない佐久間にはただの音である。
「…の…切れる直前は……人形」
 最後の一単語だけが鮮明に耳に届いた。用済みになっている佐久間は不動に髪を掴まれ、無理矢理そちらを向かされた。

「安心しろよ、明日の朝いつも通りの『儀式』でまた元気だ」

 練習前に定例として選手は一つの部屋に集められる。そこで数分間を過ごすのだがそれに何の意味があるのか、佐久間は知ろうと思わなかった。

「もうすぐ同室の奴が帰ってくる頃だぜ」

 その部屋の扉が開いたのは、ニヤリと嗤った不動が踵を返したのと同時である。嬉々とした声を上げた不動は唯一この状況を興がっていた。精神力でもあり、生命力でもある、強靱さを、佐久間とは違って多少なりとも残している源田は拳を握りしめながら擦れ違う不動を睨み付けている。それすら愉しみながら、声の余韻を残した不動が扉の向こうに消えて行く。今更悔しさも悲しさも後ろめたささえ浮かばない佐久間は身動き一つとらない。ただ、近付いて来、ベッドサイドで見下ろしてくる源田に色を含んだ瞳を向けるだけである。それは、力ない佐久間が唯一見せる感情表現だった。

 度重なる無理な練習によって痛めつけられたのは肉体ばかりではなかった。佐久間は時間と共に何か得体の知れない物に精神を呑み込まれるような感覚に怯えることも、昨今では少なくなった。一方の源田はむしろ、佐久間の方へ傾倒する余り、その執着によって自我を保っているようなものである(言い及ぶならば、佐久間を繋ぎ止めているのは鬼道への歪んだ執着だった)。傷ついた体を確かめるように触れ、未だ彼の中に残る侵入者の瑕疵を取り除く。源田に対しては口を閉ざすこともない佐久間の漏らす、細い悲鳴に眉を寄せながら、それを塞ぐように唇を重ねる。

 最近では酷い出血はないものの、毎回痛々しい箇所を敢えて攻めるのは消毒のようなものだった。穢された内壁に、自分の白液を塗り込むことで源田は征服欲を、佐久間は恋慕を満たしているに過ぎない。自身が軽々と挿っていくことにやるせなさを感じつつも、律動を引き出すように知り尽くした場所に打ち付ける。一度も果てていなかったらしい佐久間は容易に絶頂を迎える。
 思えば、特異なオーガニズムを強要した時点で、佐久間を狂わしたのは自分だったのではないか。それでもその罪悪感を超えて、源田は佐久間の精神や身体の大部分を手中に収めることに躍起になっていた。

「っぁ、ぁあ……げんだ、」
 快楽的だけでない含みを持って懇願する声に応えるように、源田は腰を進める。時間をかけて数度の絶頂を呼び起こし、自身も相手の内に淫蕩の証を吐き出す。細い声を最後に、佐久間はそのまま瞳を閉じた。汗で額にはりつく髪を梳き、乱れを直す。こういうとき、不動の使う‘お前の可愛いお人形’という表現がちらついて彼を苛立たせた。

 ここは、この真帝国学園という牢獄は狂気に充ち満ちている。誰も彼もが正常ではない中、理性の残りを惜しむように、源田は心許ないほどに細い相手を抱き締めていた。


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