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 冬場はいただけない。そう思いながら幾分大人っぽくなった両手を眺めた。手の甲には血管がうっすら見え隠れして酷く不健康そうな色になっている。
 暑いよりは寒い方が好きだが、佐久間はすぐに体を冷やしてしまいがちだった。特に指先や足先は氷のように冷えるので、よく仲間内に「死人のようだ」と称されてしまうのだ。末端冷え性だなんて女のようだなどと嫌な気分になりながら、冷え切ったその両手を、一番温かそうな首筋にまで持っていく。両手で囲うように首を覆えば、自分の首が、成長したといっても細いままだったことに気付いた。
 ふと大学のレポートの課題で徹夜をしたときに、何気なく点けていたテレビを思い出した。朝方延々と流れるテレビショッピングの番組で、人間の頭を支えている首は凝りやすいのだともっともらしく解説をしていた。なるほど、これほどの重さを、この、クッキー缶ほどしかない円周のもので支えているのなら仕方がないだろうと、自分の膝に頭を乗せて寝息を立てている相手を見下ろす。酒気を含んだ、少しだけ赤い顔がジーンズ越しにも熱を伝えてきた。

 源田と佐久間がシェアしているマンションは帝国学園付属大学の所有で、その生徒ならば格安でかなりよい設備を借りられるようになっている。二人が共同で使っている部屋はそれぞれの自室とキッチン付きのリビングがあった。リビングにはテレビに向かって大きなソファーが置いてあり、そこで団らんを過ごすのが日課となっている。今日は源田だけが専攻している授業のメンバーでの呑み会だったとかで、夕食は別々だった。しかし律儀なところのある源田は、午前を過ぎる前に帰宅し、ソファーで寛いでいる佐久間の膝を枕に寝入ってしまったのである。酒が入った源田はほんのすこし質がわるい。抵抗をするよりも流された方が楽なのは佐久間の経験則で分かり切っていた。

 今、佐久間が肘を立てている肘掛けとは反対の方、源田が足を伸ばしている所は倒されている。このソファーは形を変えることができるので、ちょっとした寝台にもなるのだ。しかし佐久間が足を伸ばしても余裕があるのに、源田が寝ると足がはみ出してしまう。歳と共にどんどん広がるその差が憎らしい。そう思いながら、少し乱れた相手の髪に触れた。自分の物よりも固いそれを払い、頬へ手を伸ばすと、じわりと温かさが伝わった。源田は体温が高いのだ。羨ましいことこの上ない。アゴのラインをなぞってその首筋まで流す。鍛えられて太い首が自分のそこよりも温度が高いことに目を細めながら、佐久間は膝に乗せていた雑誌をもう片方の手で閉じた。頸動脈はどこだろうかと思い、鎖骨に触れていた手をのど仏へとスライドさせる。そこから周回をするように触れていくと、ある一点で指先に源田の鼓動が伝わった。生々しい感覚に、瞬間手を離してしまったが、再び同じ場所を押さえる。それと同時に自分の頸動脈も探してみるが、彼のように隆々とは感じられなかった。

 自分は今、源田の、一番命に近い部分に触れている。
 佐久間はそう感じた。心臓よりももっと近く、生命の流れが、すぐ側にある場所。刃を立てれば爪を立てれば、すぐに彼は死へと向かっていくのにも拘わらず、その危うい場所を佐久間に許しているのだ。穏やかな寝息を立てたままの源田、その寝顔を見ていると無性に泣きたくなる。幸せとは、何もなくとも、泣きたくなるものなのだろうか、佐久間は思う、自分は、しあわせだ、と。

「幸次郎」

 不意に口にした言葉が、何だか少し的外れなような気がした佐久間は、口許に笑みを浮かべながら酒気を含んだ唇にキスを落とした。


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