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 思えば真帝国学園での一時期、不動は佐久間に対しての興味をほとんど持つことはなかった。当時彼の意識は己の目的一つに絞り込まれ、その礎、または道具としか認識していなかった佐久間次郎という存在に意識を向けることなどなかったのである。自分にも隙が出来たのではないかと感じる。かつて意に介さなかった者に半ば動揺させられている己に舌打ちを落としながら、当事者である佐久間を見下ろす。クールダウンを続けている佐久間は前屈姿勢をとっていた。相変わらず柔らかい体が思い切り曲がる様を眺めながら、未消化の怒りを携え、不動は踵を返そうとした足を止めた。

「見てる位なら手伝え」
 という一言に「どうして俺が」という返答を一応投げるが、それを適当に流した佐久間に結局付き合うことになった。一本気に突っかかってきた始めの方こそやりやすかったものの、最近では変に悟っていてどうにも上手くいかない。不動自信佐久間よりも数枚上手ではあったが、いかんせん最近の不調に足を取られがちであった。

 成長期を間近に控えた、独特の肢体から放たれる色気というものは、同性であっても感じ入るところがある。たまゆらの少年期に生きる佐久間の、輝く汗や生の香りは殊更不動の心に訴えた。それこそ真帝国学園の頃とは違う、生き生きとした溌剌が眼前で揺れている。人よりも外見に女の部分を多く持っている佐久間の、女とはまた違った様子に逐一目を奪われては自分を叱咤する不動は、己の意識を越えて生まれる感情に戸惑っていた。手の平を伝う高い体温にゴクリと喉が鳴った。自分とは違う温度や感触に何とも言えない嫌悪感を覚えることのある不動はプレー中以外はあまり人に近付くことはない。しかしながらどうにも佐久間に向かう感情は今まで味わってきた不快感とは異なるものであった。

 しばらくのクールダウンに付き合った不動は、自分のお人好し加減に辟易しながら踵を返す。「お前はいいのか」という言葉に「とっくに終わってる」と背中越しに答えて宿舎への階段を上り始めた。先程まで眼下にあった光景が勝手に脳内で再生される。汗に濡れた小麦色のうなじに対比する薄氷色の長い髪。合間に漏れる声と息遣い。宿舎に入り、シャワールームへ向かう廊下の途中、ひとけのない脇道に入って嘆息する。柱に凭れながら手の平を額に押し当てると嫌な熱が伝わった。

「不動」
 空気を読むことのできない佐久間は大抵最悪のタイミングで不動の前に現れる。閉じていた瞳を向ければ、少し逆光になった佐久間が突っ立っている。暗がりになっている一角へ進み出る佐久間の顔を眺めながら、不動は苛立ちを増していた。

「お前、具合でも悪いのか?」
 額に当てていた手を外し、そのまま相手の腕を掴んだ不動は勢いのまま佐久間を引き寄せた。バランスを崩した佐久間が前のめりになりながら壁に手を付くのを見届けて、文句の一つでも言いそうな唇を塞いだ。不思議と嫌悪感はない。というよりも真理かもしれない。確かめる口付けを終えた不動は相手の動揺の表情を確認すると、もう一度その唇に噛み付いた。裾から入れた手を脇腹へスライドさせる。ビクリと跳ねた体が不動の手の平に惑わされていた。腹のラインをなぞりながら短パンへと手をかけたとき、ようやく相手が押し返そうと抵抗する。その事に初めて愉快な気持ちになりながら、不動は相手の上唇を噛み付けて唇を離した。口の端を上げながら動揺のまま胸を上下させる佐久間を見つめ、首筋を舐め上げる。舌が締まる様な味を感じながら、「不用心」と一言放つ。息を呑んだ佐久間を引き離して明るい廊下へ出て行き、振り返ってみると、相変わらず状況を呑み込めていない瞳と目が合った。はね除けるような拒絶をしない時点で佐久間次郎は敗北している。勝利を確信し、飼い慣らす優越感に浸りながら反転をすると、不動はシャワールームへ歩みを進めた。


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