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 帝国学園の修学旅行は大々的に行われる。海外へわざわざやってきてまで海へ行くのはいかがなものかと思ったが、その島の海は透き通るような青が印象的であった。今頃は午後の練習の真っ最中なのであろう後輩達を思いながら人のいない浜辺を眺める。本島から歩いて渡れる距離にあるこの島に来る者は佐久間の他にはおらず、波音と後方の木々達を縫うような鳥の鳴き声だけが辺りに響いている。

「そろそろ戻らないと、帰れなくなるぞ」
 聞こえるはずのない人の声に目を細めた佐久間は、隣に座り込む源田の仕草を追った。潮の満ち引きの関係で砂地が浮き上がって本島からこの島への道ができる仕組みである。人も住んでいない孤島に取り残されるのは問題である。しかしながら佐久間は難しい顔をしたまま、一向にその場を離れようとはしない。

「帰らないとまずいと思うか?」
「下手をしたら捜索隊が出ると思うぞ」

 佐久間は優等生である。さしたる問題を起こすことなく、成績優秀なまま文武両道を突き進んできた。学園側にも信頼されている彼が行方不明ともなれば大騒ぎとなるのは必至である。

「俺がいなくなったら、鬼道は飛んでくると思うか?」
 その言葉に、視線を海へと移した源田は次のように答えた。
「さあ、……鬼道は頭がいいからな。やっぱり鬼道と来たかったか?」
「そりゃあ、そうだろ」
「そろそろ、本当に帰れなくなるぞ」
「中学生生活の中で一度くらい、非行に走ってみないとな」
 そう呟いた佐久間は羽織っていたパーカーのチャックを上げると、源田へ視線を移した。

「共犯者になるか?」
 落ちていく陽の色が、佐久間の髪を照らしながらキラキラと輝いている。
源田に否と答えるつもりなど微塵もありはしない。自分を抑え続ける佐久間の、時折の無理強いに付き合うのは、源田の使命の一つでもあった。

 源田の答えを聞いた佐久間は水平線に瞬く最後の光を見送りながら、後に訪れる暑さの余韻に浸り、深く息を吐いた。修学旅行の夜を徹夜で過ごす、それも孤島でふたりきりなど、笑ってしまう程ロマンチックではないか。とりとめのない話を始める頃にはほんの少しだけ肌寒くなってくる。両人とも水着の上に短パンと上着を着ているとはいえ、余りにも軽装である。他に人のいない島に取り残される気分というものは普段得難い感覚だった。出ることも入ることもできない大きな密室で、与えられた環境を享受するということ。狭い部屋に篭もっていることの数十倍、世界から孤立している感覚を味わうと言うこと。大きな箱庭にて自分の無力さと自然の壮大さを思い知る中、彼らの精神は丸裸になっていく。欲望のままに身を寄せる佐久間を引き寄せた源田は、無数の星と冷然と輝く月に照らされる佐久間をただ見下ろしていた。佐久間のどこか陰を孕む美しさは、月の光の下ではより輝いた。

 各々が今まで過ごしてきた学生生活を思い起こしていた。ぽつぽつと核心を突いた言葉を交わすようになり、それでも喋りすぎたという自己嫌悪は起こらない。彼らは熱を孕む海風と温かい白砂、眩暈がするほどの星々や生い茂る木々達に囲まれながら、精神の底から交わっていた。現実感がすっぽりと抜け落ちたこの空間で唯一、互いの体温が互いを現実世界へ繋ぎ止めている鎖だった。


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