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 国際大会で幾度も会う機会があったし、電話もメールも手軽にできる時代にはあるものの、やはり二人を隔てるこの距離というのは、マークにとっては辛いものだった。遠距離の恋愛の寂しさに耐えきれずに破局していく男女とは違い、割り切りの良い男同士の恋愛だからなのだろうが、特段決定的なヒビが入ることなく今までを過ごすことができた。喧嘩をすることもなければ、必要以上にアプローチをすることもないが、確かに二人は恋仲にあった。
 のちに行われる、FFIの出場権と、チームのキャプテンの座を勝ち取ったマークは、世界と戦える喜びに加え、恋人であるフィディオに逢えるのを楽しみにしていた。いくら、寂しさに耐性があるとはいえ、前に逢ってから一年以上は、互いに忙しくて逢う機会がなかった。ふつう、寂しいという感情は、時間が経つ毎に薄らぎ、慣れていくような印象があったが、マークは実体験として、その逆にどんどん相手を恋しく思っていくようになっていた。自分らしくなく、必要以上に携帯で相手の番号を表示しては消すを繰り返していた。もう少しで逢えるというのに、それを意識すると益々彼の顔が浮かんでならなかった。声が聞きたい。それでもコールボタンを押すことはできず、液晶画面をじっと見つめるばかりである。
ライオコット島へ向かう準備をするために、合宿所から自宅へ帰っていたマークは、必要な物を揃えるために買い物に出掛けた。そんな中、店の中でジーンズのポケットに入れてあった携帯が震えたのに気付いた。店員からお釣りを貰い、商品を手にしながら、もう片方で電話に出る。またディランからのコールだろうと高をくくって出たものの、通話口に立っていたのは彼ではなかった。

『マーク?』
「フィディオ!」
 母親に頼まれていた、洗剤が入っている袋をあわや落としそうになったマークは、小走りで静かな方へ向かった。

『チャオ、元気かい?』
「ああ、」
 言葉が詰まって出てこない。何から話そうか迷ってしまうからである。最近は特に、遠征の準備などで相手も忙しかったので、声を聞くのも久々である。

『その音……ショッピングかい?』
 店内アナウンスを電話の向こうから聞き取ったらしいフィディオが店名を当ててみせる。以前彼が来たとき、買い出しに来た場所である。よく覚えているなと思いながら彼の疑問に答えた。

「もうすぐ出発だからな。フィディオたちは、いつ経つんだ?」
『チームはまだだけど、俺はもう経ってるよ。少し早めに現地入りする予定だから』
「そう、なのか」
 その後、売り場から少し離れた柱にもたれ掛かりながら、時間も忘れて会話をしていたマークはふと思いついてフィディオに問う。

「先に経った、ってことは、もうライオコット島にいるのか?」
『まだだよ』
「?じゃあどこにいるんだ?」
『マークのすぐ近く、って言ったら、驚くかな?』
「は……?」
 散漫になっていた意識を瞬時に尖らせたマークは、そんなはずはないと思いながらも、期待に胸を躍らせていた。これがまたフィディオお得意の冗談だと分かって、ガッカリするのを恐れたマークは結局顔を上げられず、逆に俯いてしまった。

「寂しくなるから、そういう冗談は止めろ」
『………』
 沈黙が流れる。フィディオはマークが‘寂しい’とはっきり口に出すのを初めて聞いたからだ。

「なんだ、寂しいのはやっぱり、俺だけじゃないんだね」
 電話越しとは思えないほどクリアな声が、受話器を離れた場所から聞こえる。瞠目しながら顔を上げたマークの眼前に、彼は立っていた。あまりの驚きに思わず携帯を落としてしまったマークは、けたたましい落下音を気にも留めず、相手を凝視し続けた。
「久し振り、マーク。逢いたかったから来ちゃった」
 平然と言い切るフィディオに、これが夢ではないことを悟ったマークは彼の突拍子のなさに唖然としたまま、相手からの抱擁を受けた。頬に何度もキスしてくるフィディオは、思考をショートさせているマークに詳細を説明する。

「早めにライオコット島に行くのは本当だけど、イタリアからの経由でここを通る行き方があったから、マークに逢いに来たんだ」
 実家に帰ることを教えてはいたが、もし遠出をしていたらどうするつもりだったのだろうか。フィディオは笑顔をマークに向けている。サプライズは好きだが、これは心臓に悪すぎる。

「本戦で逢えるだろ?」
 口を突いて出た思いがけない言葉に、瞬間的に後悔をするが、フィディオはけろりとして答えた。

「恋人に逢いたいのに、理屈なんていらないだろ?」
 フィディオは相変わらずだった。マークは彼に逢いたくて自分らしくない行動ばかりしてしまっていたにも関わらず。悔しい気持ちをぶつけるように、相手に抱き付いたマークは、驚いた様子のフィディオの唇を奪った。更なる彼の驚きが、今は心地好かった。

「恋人にキスしたいのに、タイミングなんていらない、かな?」
 意趣返しのようにそんなことを言い放ったマークは、相手の頬が少し染まったのを見て、何重にも嬉しい心持ちになった。相手のちょっとしたこと、その全てが今のマークにとっては喜びに変わるのである。


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