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「お前の顔なんて見たくない!」

 着替えたり靴下を履いたりするときなど、主に使用される長ベンチの他に、帝国学園サッカー部のロッカールームには一人座りの椅子が数脚ある。しかし如何せん座面がすこし固いので、備え付けでクッションが置いてあったりする。そのクッションが宙を舞った。向かった先は入り口側に立っていた源田である。高度を下げつつ彼を直撃するも、反射神経のままに源田がそれをキャッチしたことに憤りを増した佐久間は、より鋭い眼差しで相手を睨み付けると、その唇を噛んだ。一方の源田は薄く悲しみを乗せた表情をしていた(彼は元々、ポーカーフェイスで、その表情が大きく変わることはほとんどないのである)が、やがて佐久間の言葉通り踵を返した。再三謝罪を述べて自動ドアの向こうへ消えていった、その背中に、もう一つクッションを投げつけるが、あえなく閉じた扉に当たってしまった。

(源田のばかやろう)
 不条理でしかない、そしてまた理不尽でしかない怒りを抑えきれずに、佐久間は側の椅子を蹴り付けた。多少力を抜いたものの、元々のキック力のまま、その椅子は吹き飛んだ。
 源田の顔を見たくないというのは本当だ。しかしながらそれでいて、どこかへ行かずにずっと謝ったり、言葉をかけてほしかった。源田のせいだけでないことを源田のせいにすることで、自分の虚しい感情を晴らしているだけだと知りながら、つい相手に甘えて怒りを露わにしてしまうことを佐久間は今回も後悔した。姿が見えなくなってから、もし彼が自分に愛想をつかしていたらとゾッとしてしまう思いもわいてきた。それでも、いますぐ相手を追いかけられるような状態にはない。思い知ればいい、今回ばかりは許さないという思いまで浮かんでいる。ごちゃごちゃになった感情を抱えながら、佐久間は泣きそうになるのを堪えた。そんなときにタイミング悪くロッカールームへやってきたのは成神と寺門だった。

「うわぁ……どうしたんすか……これ……」
 転がった椅子、そして散在しているクッションなどを見渡しながら、開口一番こんなことを口にした成神は、入り口近くのそれをヒョイと跳び越えた。あとから来た寺門がそのクッションを拾い上げ、椅子を直している。

「成神、じもん……」
 それまで張り詰めていた糸が切れたかのように瞳を潤ませる佐久間が、それでも涙を流すことはなく、頭を抱えていた。

「また何かあったんすか?」
「まあ粗方、源田が女にちょっかい出されて、優しく対応したとかだろうけどな」
「っ……」
「図星か……」
「あいつむかつく。ほんとむかつく」
 覗き込んできた成神に顔を向けながらそんなことを口にした佐久間は、言葉にできない思いに歯痒さを感じていた。

「源田先輩は万人に優しいすからねー、佐久間先輩の気持ちも分かりますよ」
 肩を竦める成神の手を取った佐久間が相手を引き寄せて頭を撫でた。雑過ぎて髪がぼさぼさになるが、成神は溜息を堪えた。

「成神!お前はいい子だ!」
「そのデレ、少しくらいは源田先輩に見せてあげてくださいって……」
 途端、膨れっ面になった佐久間は視線を逸らす。片付けを終えた寺門がクッションを叩いて佐久間を急かした。

「擦れ違った源田、幽霊みたいだったぞ、早く行ってやれ」
「俺から行くのは嫌だ」
「鬼道に言うぞ」
「えっ……」
「チーム全体に響いてくるからな。これは問題だ」
 鬼道、という言葉に様子を一変させた佐久間は冷や汗を垂らしながら思考している。鬼道さんに迷惑をかけるわけには、それでも自分から頭を下げるのは。その内ぞろぞろとレギュラー陣が集まってくる。佐久間の様子に疑問を浮かべた面々が、事情を聞いてくるのに辟易した彼は結局ロッカールームをあとにした。その際に手前のロッカーにいた辺見がにやりと笑って「源田ならロビーの方に行ったぞ」と口にしたことに苛立ち、先程の物をかさ増しした蹴りを相手の尻に放った。

 果たして、源田はロビーの先、自動販売機とソファーが置いてある広場にいた。その後ろ姿に一瞬だけ戸惑うが、相手の方が先に佐久間に気付いた。困ったような笑みを浮かべた源田が、また「すまなかった」と謝ることに、ほとほとこいつはダメだと感じた佐久間がむつりとした表情をする。

「反省するならしなければいいのに」
「割と、どうでもいいのかもしれない」
 座った位置から見上げながら、源田はなおも口許だけで笑っている。

「佐久間のこと以外は、どうでもいいのかもしれない」

 だから、優しいとかじゃなくて、ただ、波風を立てないようにしているだけだから、俺には方法が分からない。そんな残酷な言葉を呟いた源田に、佐久間は瞠目した。先程見た女子の泣き顔を思い出す。源田に優しくされ、諦めきれない彼女は再び苦しむ。冷たくあしらえば悲しまないかといえばそうでもないだろうが、どちらにしても、源田は残酷である。そこに安堵してしまう自分も自分なのだろう、佐久間は幾分雰囲気を柔らかくしていた。

「それならもういい」
「佐久間……」
「戻るぞ、わざわざ出向いてやったんだ」
 感謝しろよ、と隠れた言葉は空気に溶け込んだが、源田には伝わってしまったようだ。反転して歩き出す佐久間の後ろを彼はついてくる。ああ今回も。佐久間は自分に呆れ返った。今回も、結局何も解決せずに許してしまう。本当に扱いにくいのは、自分も相手も一緒なのだろう。あんなに怒っていたのに、あんなに顔も見たくなかったのに、こんなに簡単に収縮してしまう感情が憎い。憎くて仕方ない。早すぎる展開の喜劇を踊らされているようだ。それでも仕方ない、ようように怒りはどうでもよくなり、自分のことでこんなに落ち込み、自分に包み隠さず心の内を告げてしまう源田の幼さが、愛おしくて仕方がなくなってしまうのだ。手が疼く。触れたくて落ち着かないのだろう。自分の愚かさに嘆息しながら、己にお預けを食らわせて拳を作った。
 ロッカールームへ戻ったときに、揃っているかもしれないメンバー達の浮いた表情を思い浮かべながら、佐久間は苦い顔つきにならざるをえなかった。


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