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 基山は‘我慢すること’を平素から徹底的に自分に課せている節があった。以前いがみ合っていた頃の南雲、バーンに言われたことがある。
『お前は感情がねぇみてーだな』
 確かにその時、基山は何も感じることはなかった。するりとその言葉をかわし、相槌を打って表情一つ変えることはなかった。基山は自然と、他人の顔色を窺って可も不可もない安全圏(それは必然的に他人というものを遠ざける意味を持っている)に避難するのが常となっていた。ゆえにその心にはほとんど波紋が広がることはなかった。
 しかし円堂守るとの出会いから、彼は少しずつ変化していった。この距離が、一番安全だと思われる位置がもどかしくて仕方がないのだ。円堂はみんなに好かれ、慕われ、そして愛されていた。その笑みは万人に与えられ、皆の心を側に引き寄せるのである。そんな彼の最も近い位置に、自分は在りたいと思ってしまうのは基山にとって最大の強欲だった。求めれば失われる。自分の手に余るものは持ってはいけない。今自分の手にあるものだけで精一杯なのだから。同世代よりも大人びた基山は遠くに立ちながら、円堂と同じチームにいられる事実だけで自分を満足させようと躍起になっていた。

「ヒロト、どうしたんだ?」
 声をかけられハッとする。自分としたことが注意力が散漫になっていたのである。少し遠くからグローブを外しながら走ってくる円堂に、動かない足をそのまま、適当な言い訳を思い浮かべる。

「ちょっと、飲み物が欲しくて、」
 夕食後、宿舎の外にいる口実をこんなことで作った基山は自分の不器用さ加減に半ば唖然とした。飲み物ならば宿舎で手にはいるし、わざわざ外に出る必要もなかった。単に散歩とでもいっておけばよかったと後悔するが、細かいことを気にしない円堂は快活に笑うと、「俺も行っていいか?」と言い出した。基山は不思議な感覚を味わった。こんな小さなことで頬が緩むのである。決死の思いで首肯した基山と連れ立ち、円堂は歩き出した。

 円堂が宿舎の外で自主練習をしていることや、その時間帯を基山は知っていた。知っていて円堂の練習風景を見に来てしまう自分がいたのだ。縋るようなその行為に気付かれたくなくて、基山は焦りをみせてしまう。しかし彼らしからぬことに現状、円堂と二人で歩く夜道に、跳ねるような喜びを感じていた。
 ジャパンエリアに一軒、24時間営業の、コンビニ、のような商店が存在する。FFIが開催される時期のみだが、遅い時間まで営業しているそこを利用する機会が、チームにはよくあった。煌々としたビル群がないこの辺りは穏やかで、その商店の光が非常に強く見えた。吸い込まれるように入っていった二人は店内を物色し始めた。

「円堂くんも、飲み物?」
「うーん……ちょっとお腹が空いたんだよな……」
「この時間の間食は、クッキーフレーバー半分くらいが限度だね」
「あっ」
「どうしたの?」
「俺全然お金持ってきてなかった!」
 ポケットに入っていたコイン一つを示す円堂に、嫌な予感がした基山がポケットを探る。当初買い物の予定などなかった基山はお金を持ち合わせていなかった。
「俺も……忘れたみたい」
「ヒロトがうっかりするなんて珍しいな」
 物珍しそうな声に落胆した基山が、肩を落としている間に、そのワンコインでクッキーフレーバーを購入できた円堂が戻り、相手を促す。
「一回戻ってまた来ようぜ」
「そう、だね、買いに来るよ」
「門限になる前に早く引き返そう」
「?円堂くんは、でも、」
「何だ?」
 口調からすると用事を済ませたはずの円堂も付き合ってくれるらしい。円堂は、立ち止まる基山が俯いているのを不思議そうに振り向いて眺めた。

「ヒロト?」
「………っ」
 ああ自分は、こんなにもこの相手が好きなのだと基山は実感していた。少しのことで高鳴る胸、充足する心、そして足りないと叫ぶ欲求。近付いてくる足音に、どうしても紅潮した顔を上げたくなかった基山は相変わらず言い訳を考えていた。

「はい」
 差し出されたのは円堂が先程購入したクッキーフレーバーの、半分。
「この時間は半分、だろ?」
 包装紙ごとその半分の欠片を受け取った基山は眩暈がしそうだった。

「行こうぜヒロト、財布もって、また来るんだろ?」
 クッキーフレーバーを持つ方と反対側、その手をとった円堂が歩き出す。手の温もりが未だ理解できない基山はクッキーフレーバーを口に運んだ。それは一杯な胸に入っていくと、比例するように涙を押し流すのだった。


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