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‘良い香りがするな’
 そう言って距離をゼロにした相手が首元に顔を埋めたとき、香ってきた相手の仄かな空気にこちらも脳内を焦がした。自分には分からない己の香りと、相手の香りが交わって生まれたものがどこへ消えていくのかなど、漠然と思いながら、エキゾチックな匂いを吸い込んだ。

 どこかで嗅いだ匂いだと思ったら、あの時のものと近いのかもしれない。日本を離れ、ライオコット島に来て数日が経ち、マネージャーが気を遣ったのか民宿の大浴場に様々な風呂用品を持ってくるようになった。風呂は疲れを癒す最良の場だということである。幾つか種類がある中で、何となく使った洗髪剤の香りが、あの時にビヨンから香ったそれと似ていると思いながらラベルを見遣る。しかしそれは日本語でも英語でもない、見慣れていないこちらかすると奇っ怪な流れである文字の羅列が続いていた。様々な国の用品が揃っているライオコット島のことだ、不思議はない。
読解を諦めてシャンプーの泡を流すと、対になっているリンスに手を伸ばす。濃厚な香りが胸を満たしていく。ビヨンのそれよりも少し、甘みが強いようなその香りは恐らく、何かの花のエキスを使ったものだろう。
当のビヨンからは香を焚きしめたような匂いがしたが、この洗髪剤はやはり、化学薬品が混ざったような、ちょっとした違いがあった。そんな些細なことを考えてしまう自分に自己嫌悪した佐久間はさっさと髪を洗い流すと、再度湯に浸かりに行った。



「風丸、シャンプー、紫のやつ使ったか?」

 風呂上がりに、同じ匂いを漂わせていた風丸を呼び止める。長い髪が噎せ返るような香りを放ち、いやが上にでもあの男を思い起こさせた。自分では意識していないが、思うよりもずっと、己がまとっている香りというものは強いものなのだと知った佐久間は、今自分もあの男と酷似した香りを放っているのかと思ったら、何とも言えない思いにかられた。

「あんまり意識してなかったな……佐久間も同じのだろ?匂いが、ほら、一緒だ」
 鼻を突きだしてくる風丸、その動きで一層香りが強くなる。思わず視線を動かしてしまった佐久間の、僅かな動揺を見取った風丸は不思議そうに相手を覗き込んだ。

「少し逆上せたんじゃないか?顔が赤いぞ?」

 香り一つでここまで自分を放さない存在に戸惑いながら、佐久間は大きく顔を逸らした。


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