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 源田が佐久間に本気で怒ることなど絶対に有り得ないと誰しもが思っていた。しかし佐久間にベタ惚れのはずの源田が、今回珍しく本気で怒っていた。たとえ佐久間が嫉妬のままに、源田の誕生日に送られてきた女子からのプレゼントを段ボール毎全て廃棄しても、源田は笑って許すだろう。むしろ佐久間が嫉妬してくれたことに歓びさえするかもしれない。
しかし、事実源田は怒り、昨日から一言も会話をしていない。事の発端は一冊の本だった。佐久間がその単行本をなくし探し回っていたのである。それを知った源田も、各所を探してくれている様子だった。そんな折、長引いた授業のせいで少し遅れて部活に向かった佐久間は、源田が女子と一緒にいる所を目撃した。人気がある彼が呼び出されることはよくあったが、慣れることはないし、やはりいい思いがしなかった佐久間は二人の跡をつけていった。話し声は聞こえなかったが相手の女子には見覚えがあった。生徒会役員で、かなり男子からの人気がある人物だ。噂を聞いて何となく把握はしていたものの、彼女も源田を狙っていたとは知らなかった。告白に応じるはずもないと決めつけていた佐久間は、物陰から信じられない光景を目にする。源田が相手の女子を抱き締めている!女子は振られた後に自棄になって泣いてみたり抱き付いてみたりはするものの、源田が自ら腕を開くのは佐久間にだけであった。信じられない思いと共に、息が詰まった佐久間は、そのまま寮に帰ると憤りとやるせない思いで泣き出しそうになった。練習に出なかった佐久間を心配した体の源田が訪ねて来たとき、佐久間は部屋に迎え入れたことを後悔した。何の悪びれもなく、源田は佐久間が探していた本を渡し、先程の女子の名前を放った。

「彼女が見つけてくれたんだ」
 源田の笑みに血の気がすぅっと引いた後、佐久間はその本を壁に叩き付け、落ちたところを踏みつけた。
「佐久間!?」
「いらない、もういらない!」
「何を言うんだ!止めろ!」
 躍起になって止めようとする源田に、益々怒りを増した佐久間は逆上していた。終いには叱り付けてくる源田に、苦虫を噛み潰したような顔になった。猟奇的に物を壊しても、優しくいなすだけの源田が、むきになっている。それがあの女の届け物だからなのかと思うとムシャクシャした。こんな本一冊、そしてあんな女一人が優先されるような態度に唇は震えた。

「いい加減にしろ!!」
 表紙が折れ曲がって、中身も変な方向に折れたりしている本を守るように拾い上げた源田は怒気を含んだ声を発した。
「どうしてこんなことをするんだ!」
「ッ!出てけ!」
 その言葉に、反転した源田は何も言わずに本を持ったまま出て行く。本当は振り向いて欲しかった。何でもないような顔をして欲しかった。しかしそれはなく、冷たいドアが二人を阻んだだけだった。
 初めて源田に怒鳴られた。それが、心離れの印のような気がしてならなかった佐久間はその日、食事にも行かずに部屋に篭もった。涙は出ない。それなのに胸は押しつぶされるように痛んだ。こんな時に限って眠気が襲ってこないのを恨みながら、佐久間は内心、源田がまた来てくれることを望んでいた。しかしそれはついぞなかった。次の日に勇気を出して話しかけようとしても、素気なく通り過ぎられる。こちらを見ようともしない様子に、いよいよ胸は斬り付けられるような痛みを負った。佐久間は、その日一日気が気ではなかった。耐えかねて、教室を飛び出した佐久間は使用されていない特別室から通ずる、小部屋で膝を抱えた。どうしよう、という言葉がぐるぐると脳内を駆けめぐる。初めての源田の拒絶に、自分の想いの深さを思い知る。
源田がもしいなくなったら、愛想をつかされたのだとしたら、あの女と付き合うようなことになったら、‘どうしよう’。今更ながら緩みそうになる涙腺に悪戦苦闘している頃、突然扉が開いた。三時限目の授業中に現れ、佐久間を驚かせたのは源田だった。別れを告げに来たような、厳しい表情のまま、佐久間の眼前に立ち、見下ろしている源田の視線。突き刺さるようなそれに、佐久間は怯んだ。

「佐久間」
 相変わらず冷たい言いように肩をふるわせた佐久間は首をもたげて、相手の顔を見ないように努める。そんな佐久間に、源田が例の本を渡す。跡は残っているものの、アイロンがけされたように、綺麗になっていた。
「もうあんなことはするな」
 その言葉に、堪らず涙を零した佐久間は首を振った。

「泣かないでくれ。怒れなくなる」
 受け取ろうとしない佐久間に、本を持っていない方の手で相手の涙を拭った源田は困ったように言い放った。往生際が悪く、相手を引き留めようとするように涙する自分が嫌になった佐久間は何とか、泣くのを止めようとするが叶わない。

「………佐久間」
 絶対に謝ろうとしない源田に、居たたまれなくなった佐久間は、相手の手を振り払おうとするが、叶わなかった。
「あんな女が拾った本なんか、いらない」
 やっと絞り出した言葉に、目を見張った源田は、訳が分からないというように眉を寄せた。
「なんで彼女が出てくるんだ?」
「昨日、抱き合ってたの見た」
「………………………」
「なあ源田、もういいから俺が嫌ならはっきり言ってくれ」
「この本、大事な物なんだろう」
 筋違いのような言葉に、やっと顔を上げた佐久間はその文庫本を見る。
「確かに昨日、俺は告白されて相手を抱き締めた。でもそれは、この本を返す代わりに、という条件つきだった」
 縋ってくる相手は、実は一度でいいからキスをしてほしいと厚顔な事を言ってきた。それはさせまいと抱き締めることで籠絡させた源田は、相手から拾ったというその本を返して貰った。
「俺が何で怒ってるか分かるか」
「………」
「お前が、お前の思い出を癇癪で壊そうとしたからだ」

 しゃくり声を上げる佐久間を抱き締めた源田は、それでも断固として謝らなかった。源田は知っていた。この本は、鬼道から貰って佐久間が酷く大事にしていたことを。もし佐久間が癇癪のままに本を破いてしまったら、後で彼自身深く後悔して傷つくだろう。源田は佐久間の痛みに敏感で、それを酷く嫌っていた。

「俺は佐久間が好きなんだ。だから佐久間を何よりも優先する」
「………ごめ、っ……ん……」
 やっと口にした謝罪の言葉を受け取った源田は、佐久間の頬を撫でると、やっと柔和な表情に戻った。そのことに、柄にもなくまた大粒の涙を流してしまった佐久間は、腫れた目を冷やすために次の授業もサボることになった。無論、源田と一緒に。


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