3



「韓国に行くから」
 部屋に呼び出され、何の用かとやって来た所だった。顔を見せた亜風炉は長いその髪を、いつもは跡が付くからと嫌がるのに一本に結び上げていた。不覚にも可愛らしいなどと思っていた矢先、唐突にそんなことを言ってのけた亜風炉に、目を丸くした平良はしばらく、言葉を紡ぐことができずにいた。彼にとってはただの報告であり、激励も引き留めも望んではいないと分かってはいる。だがしかし、だからこそ何と言えばいいのか分からない。

「いつ経つんだ?」
「今日の一四時」
 平良は頭を抱えた。
「まさかとは思うがその格好で行くのか?」
「ダメかな……」
「ほら、着替えはまだ残ってるんだろ?」
 遠征でチーム毎経つならまだしも、一人で韓国へ、しかも亜風炉の場合無駄にファーストクラスに乗るのだろう。いくら何でもジャージのままでは宜しくない。まあ亜風炉自身、変なところで無頓着なので全く気にしないのだが。しかもポニーテールは自分でやったからかよく見るとよれている。制服では不便かと思い、一番正装に近い、普段着をベッドの上に放り、それに着替えさせる。だらだらしていたら搭乗時間に間に合わないだろうと思い、それでも急がない亜風炉に痺れを切らしてそのボタンを留めていく。慣れっこで身を任せることにした亜風炉は大人しくベッドに座って平良の作業が終わるのを待った。

「荷物は?」
「そうそう、必要そうなもの、後で送ってくれない?」
「まさか手ぶらで行くつもりなのか!?」
「手ぶらじゃないよ、財布と搭乗券は持っていくつもり」
「………パスポート。あと携帯も一応持っていけ」
 充電器にさしっぱなしの携帯、その切ったままの電源を入れて、強制的にスラックスのポケットに入れる。この年で携帯不携帯な彼への連絡を取り次ぐことを平良はよくされていた。生活能力が変に低い亜風炉が一人で韓国などに行くという事に心配は募り続ける。そこでふと、疑問が浮かんだ。

「そういえば、韓国に何をしに行くんだ?」
「円堂君たちと戦うために」
 意気揚々と答えた亜風炉の、その髪を解いて椅子に座らせる。
「どういうことだ」
「FFI。フットボールフロンティアの世界大会が開催されることは知っているだろ?」
「あぁ。」
「そこでなら、円堂君たちと真っ向勝負できるかと思って」
「相変わらず何を考えてるか分からないな」
「ヘラ、タクシー呼んでおいてくれる?」
「ちょっと前に電話した」
「日本の代表になるよりも、彼らと共にサッカーをするよりも、また真剣勝負がしたいって言ったら、おかしいかな」
「………アフロディらしいよ」
 きつすぎない程度に結んだ髪を揺らして、亜風炉は立ち上がる。そろそろここをでなければ間に合わないだろう。

「ねえヘラ、僕がいなくなったら淋しいかい?」
「分かり切っていることを聞かないでもらいたいな」
「ふふ……」
 エレベーターで一階まで降り、自動ドアを抜けた先に舗装された広い道が広がっている。門まで距離はあるが、世宇子のお抱えタクシーはきちんと出口で待っていた。開く扉に優雅に入った亜風炉は、本当に手ぶらに近い状態だった。
「飛行機、搭乗口をきちんと確認しろよ」
「僕はそういう間違いはしない」
 少々子供じみた態度で口を尖らせた亜風炉が、身を乗り出して覗き込んでいた平良の唇を奪った。触れるだけで離れていった温もりに、目を見開いた平良が我に返る前に、意地の悪い、それでも見惚れてしまうほどの笑みを浮かべて亜風炉は「またね」と言い放った。敷地を後にする車を眺めながら、平良は音にせずに‘淋しいに決まってる’と口にしていた。これが亜風炉と自分との距離なのだと、漠然と思いながら、練習の準備に向かうのであった。


戻る
Top