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 なぜ平然としていられるのか理解できない。
あいつは自分を裏切った相手を許し、受け止め、送り出し、見守り、それに甘んじ、むしろ満足すらしている。あたかも、自分が純粋で綺麗なままだとでも誇るかのように対象に接する姿に吐き気すら催す。だが、それがあながち間違いではなく、純真に相手を思いやっているのが、更に気色悪い。俺はいつの間にかあいつを貶めることばかりを考えていた。あいつがにべもなく、自分のために鬼道を裏切る所が見たくて仕方がない。いくら愛情を向けたとて、そんなものは薄氷のように儚く、利己的な内面は醜く、表裏に潜んでいるに違いないのだ。俺は自己犠牲や偽善が大嫌いだ。一種の幻想にすぎないそれは結局、対象を傷つけ、自分を得意にするだけの、刃だ。全てを失った俺を、八方塞がりになった父を、追い詰められた母を、形だけの同情で突き放した世間を俺は忘れない。人間の底なんて高が知れている。あいつもいずれ、汚い一面を見せるに違いない。鬼道を再び、裏切り、背き、棄て、人間としての底辺を露わにするはずなのだ。俺はそれを望んでいた。それでもあいつは変わらず、鬼道を慕い続ける。そんな中、再会した俺に対して、あいつが向けてくる敵意に苛立っている自分がいた。愕然とし、あいつへの怒りは増幅した。人間らしい、負の感情を露わにしているにもかかわらず、なぜか気に食わなかった。更に俺をいきらせたのは、その後あっさりあいつが俺に歩み寄ってきたことである。お人好しなのか、鬼道にしか頓着していないのか、ともかく垣根を越えて、あいつは無防備に俺に心を開く。止めろ、そんな目で俺を見るな。そんな声で話しかけるな。憎悪を向けられていた時とはちがう焦燥感に駆られながら、次第に自分がおかしくなっていくのを自覚した。

 何の警戒もなしに部屋までのこのこやって来、「鬼道、やっぱり影山のことで……」などと気安く相談を持ちかけてくる佐久間を無理矢理組み敷いた。足を引っ掛け、体勢を崩し、ひどい音をたてながらベッドに沈ませると、呆気にとられたような瞳が俺を見つめた。

「不動?」
「いい子ちゃんも程ほどにしろよ……」
「俺を抱くのか?」
 あっけらかんとそんな言葉を放った佐久間は、相変わらず射抜くような視線を向けてくる。その頬を思い切り叩きながら、馬乗りになって首元を掴む。

「いい気になってんじゃねぇぞ。忘れてねぇよな、お前が、少し前まで男に犯されてよがってたことをよぉ……」
 そんな挑発的な言葉にも怯むことなく、佐久間はジッとこちらを見つめ返してくる。苛立ちが増していく。今度は思い切り殴ってやると、奴の髪が白いシーツで蠢いた。傷みに耐えながら、佐久間はまたしても俺を見る。その目には、感情を見いだせなかった。

「案外、嫉妬深いんだな」
 殴られた頬を赤くしている佐久間は、平然とそんな言葉を放った。その瞬間、怒りが振り切れ、茫然自失になってしまう。嫉妬、その単語が何度も再生される。

 佐久間の腕が俺を引き寄せる。いつの間にか唇が合わさっていた。少し前を彷彿とさせるようで、全く異質なキスだった。無意識に、佐久間の口内を犯していた。絡めてくる舌先を舐めとり、蹂躙の限りを尽くす。佐久間が口付けの合間、くすりと嗤ったことすら、気づかぬまま。


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