makeup/バメル兄×バメル弟


「エスカ」
 弧になった口元がゆっくりと、詰るように、愛おしむように、その名前を紡ぐ。腹の奥底に沈んでいたものが、ある種の快感を持ってこみ上げてくる。かつて、俺に名前を呼ばれることが、手招きされることが、何より、特別で、温かい、喜びであったのは、変えようのない事実として弟に刻まれている。

 エスカは母の愛情を余り受けなかった。愛されなかったのではない。彼女の愛を、幼い弟は理解できなかったのだ。そうでなくとも、親は俺にその心血を注ぎ込んでいた。家に来ていた教師たちも、義務感を通してしかエスカを観なかったし、当時の彼の友人は家柄などから一枚壁を作って弟と接していた。

 俺が、弟に注いだ、限りない愛の正体は分かり切っている。厳しい父や母や家庭教師を恐れ、俺の元へ逃げ込むエスカ。その小さな体を抱いて、俺は自分の自尊心を強めていたのだ。エスカを守るのは俺で、エスカが必要とするのは俺で、エスカは俺を裏切らず、エスカは愛情を真っ直ぐ返してくれる。


「おいで」

 過去の日々と重なった言葉が、エスカの表情をみるみる変えていく。

 軍人になるべく、日々研鑽を積んでいた俺は確実に欠落部を増やしていった。綺麗事の裏側を突き付けられ、後ろからは両親と家柄とが迫り、俺を押し潰していった。
 エスカを抱き締めながら、俺はその実エスカに縋っていたのだ。

 可愛いエスカ、利用されているとも知らず、俺に無償の愛を見た哀れな弟。小さな腕に、両親の期待を押し付けられた可哀想な代用品。それでもお前は俺より強い。遥かに強い。


「どうした?」

 作り笑顔が得意になった頃から、俺の崩壊は始まっていたのだろう。

 いずれ、お前が俺の庇護を必要としなくなることは分かっていた。それでも、細くて強い、この繋がりだけは断ち切るわけにはいかないのだ。これはただの、俺のエゴだ。俺は弱い。弱さを自覚してしまった。


「兄さん……」

 半ば、青ざめたようにも見えたエスカの中の、戸惑いやら憚りはまだ、根を張っているようだった。それでも俺はこれ以上、自ら歩み寄ることは出来ない。ただ、手を差し伸べて笑みを深めるだけだ。

「おいで、エスカ」

 麻薬というものは、その者の神経を媒介して、肉体を浸蝕する。瞳が、結ばれた口元が、震える喉元が、主張している。
 ゆっくりと、歩みを進めた弟の、沈んだ視線と、苦渋の表情とが間近に迫る。その体を受け止め、包み込めば息をのむ音が聞こえた。

 細くとも強い糸、それはこの、恐怖にも似た、麻薬的な、エスカの執着。俺に対する、離れがたい渇望。


「大きくなったな」
「……」
 頬や額を擦り寄せてくるエスカの頭を撫で、密着を増す。従順なエスカは確かに、ここに息づいている。俺を生かすために、息づいている。

「エスカ、俺の、エスカ」

 全てを捨てた俺が、唯一手放せなかったもの。全てを諦めた俺が、ただ一つしがみついていたもの。

 彼の腕が、びくびくと背に回される。俺から漏れた微笑が、空気を揺らした。


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