におい/ミストレ×エスカバ


 彼は抵抗しない。本気で抗えば均衡する力加減のまま、オレを退けることもできるだろうに。

 時刻は五時半を回った所だった。飛行船の飛ぶ空にはもう太陽の面影はなく、群青色からは遠い轟音が降り注いでいる。いくら科学技術が優れようとも、季節を操ることはできなかった。ただ、その折々に合わせた対策をこうじている限りである。
王牙学園のある地域には四季がある。それに応じた訓練を行うためだ。春の安穏に負けず、夏の猛暑に打ち勝ち、秋の怠惰に活を入れ、冬の極寒に立ち向かう強靭さを要求される。軍服の袖口といわず襟口といわず、流れ込んでくる寒風が肌を刺した。

「エスカバ」
 睨み付けてくるだけ。言葉も行動も反応すらなく、ただ無遠慮で不快な瞳を黙々と、向けてくるだけ。オレが彼を積極的に理解しようとするとでも思っているのか、はたまた全く期待をしていないのだろうか、どちらにせよ、オレの怒りは心頭に達する。外気はオレを鎮めてはくれない。更なる冷気が心臓を冷やしていく気分を味わいながら、その頬を容赦なく殴りつける。短い息を吐いた彼は視線を戻す。それと共に、おびただしい量の血液が鼻から落ちていった。
唇から顎から襟から胸までぼたぼた染めていくその色からは恥辱のにおいがする。交わりを知らぬ処女のかおりがする。月経期の女がまとう、淫靡が感じられる。その瞬間、どうしようもない征服感を得て、オレの口角は自然と上がる。彼を貶めた快感に酔いながら、一向にとまらぬ血に手套を濡らした。
彼の血液をみるみる吸い取り、重くなっていく手套は、介して指先にその生々しさを伝える。口内に、親しみのあるあの鉄臭さを感じ、舌先がいよいよ濡れてくる。
 面白いほど流れ続けた鼻血も、さほどかからず止まってしまった。その跡は、色黒の彼の肌にはありありと残らないけれど、独特な香りだけは、鼻の奥底にこびり付いていた。それをかすめ取るように、血を吸いきった指先で拭う。そうしてその両手で耳や顎を掴んで引き寄せる。より濃厚な悪臭が鼻先をくすぐった。

「サディスト」
 吐き捨てるような彼の言葉を口内に溶かす。強い塩気に高揚を覚えながら夢中で貪った。喉の奥底までをえぐるような口付けに、耐えかねた彼が嗚咽に苦しむまで、念入りに執拗に。

「ねぇ、エスカバ、鼻血ってさぁ、経血みたいだよね」
 その瞬間彼が浮かべた、言いようのない軽蔑の表情を嘲笑いながら、乾き始めた手套にこれ見よがしに口付ける。

「君がオレに何を抱いているかは解らないけれど」
 未だ反抗的な瞳をしている相手の髪を掴み、柱に再度叩きつける。短い呼吸音だけが、その痛みの度合いを表していた。

「この屈辱によがってる君は、オレの数十倍哀れだよ」
 ニヤリとしながら、その下半身を膝で押しやる。けっきょくはこいつもオレも、同じ穴の狢に変わりない。それを消化しきれない彼はまた、恥辱と動揺に顔を歪ませる。

「早く認めなよ、このマゾヒスト」
 彼を留めている理性のひとかけらを噛み砕くように、再度その唇に噛みついた。あの、経血のかおりは今、二つの獣の本能に呑まれ、跡形もない。再び通っていく飛行船が演出する、雑音の中の閉鎖的空間で、他でもない、エスカ・バメルの雄の香を感じた。


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