全力疾走/ヒバン



 もしも、そんな考えに取り憑かれることは酷く愚かだと分かってはいるのだが仕様がない。もし、もしもだ、あいつが人並みの幼少時代を送ることが出来たなら、今頃俺を超すほどの能力を身につけられたのかもしれない。
 あいつは物心ついた時から病弱で、体調不良と隣り合わせで生きなければならなかった。筋肉とは日日衰えていくものである。ゆえにいくら練習で技量や筋肉を身につけたとしても、すぐに寝込んでしまうあいつには基盤としての体力やらが付いていかなかった。サッカーが周囲に浸透してから、皆がどんどん上手くなっていくのを眺めながら、あいつはベッドの上で何を思っていたのか、俺には分からなかった。ただあいつは酷く優しいから、自分よりも他人に重きを置いていた。気を遣うのに長けているのに気を遣われることを恐れていた。ゆえに読み取れなかった。「晴矢は凄いよ」あいつは静かに言った。「才能があるんだと思う。……何だよその顔。俺が言うんだから間違いないって」ベッドに縛り付けられているあいつは、優しいあいつは、遠巻きに見つめることしかできなかったあいつは、観察眼に長けていた。他人の内情をいとも容易く読み取るのだ。俺の思いなんていうのもお見通しなのだろう、こちらの言葉を未然に封じて年に似合わぬ笑みを浮かべる。俺はそんなあいつを気色悪く感じていた、薄気味悪いと思っていた。それは完全なる好意の裏返しである。あいつが自分を蔑ろにすることが大嫌いだった。俺が好きなあいつが、たとえあいつ自身にでさえ軽んじられるのは許し難いことだった。
 俺は努力した。自分を磨くことに時間を費やした。あいつが言ったことをなんとしても体現しなくてはならないと思ったのだ。好きなことに対して努力を出来る俺は幸せだ。あいつは好きなことを頑張ることすら出来ずに苦しみと闘い続けている。サッカーが上達することで、あいつが喜んでくれるのだと思った。実際色色な技を取得して見せたら自分のことのように喜んでくれた。同時に、霜焼けのようにジクジクとあいつを苦しめていることを幼い俺は気付かないふりをした。「俺もいつか、晴矢に追い付いてみせるよ」あいつはたった一度だけ、対抗心らしき言葉を口にしたことがあった。それが俺は嬉しかった。早くしないと見失うぞ、そう急かした。その頃から少しずつあいつの体調がよくなっていたからだと思う。
 夢見ていたのはあいつと同じフィールドに並び立つこと。今だって同じだ。チームメイトとして共闘できることが喜びなのと同時に、あいつはまだまだ発展途上で俺との差も開いている。病弱だった体がよくなってからの伸びが尋常ではなかった。そうでないとこのチームに入れていない。だからこそ、あいつが幼少から健康だったなら、なんて愚考が生じるんだ。不意に浮かぶその思いを淘汰しながら、俺は再び速度を上げる。決して待つことはしないから、猛スピードで追い付いてこいよ、なあ、ヒート。

2010/3/1 Mon 02:56


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