きみとおれの距離感/天馬×京介


 唇までの、距離が遠い。

 ここから見上げる剣城はいつも高圧的で、何を考えているのか分からなくて、冷静で、情熱を隠していて、それで、時々、心から綺麗だ。向かい合って喋っていても、いつも一方的だと自覚はしている。口数の多い方ではない剣城はほとんど相づちだけで、けれどもきちんと的確な一言を返してくれる。そう言うとき、ちゃんと聞いていてくれたんだなあ、とか、ちゃんとおれのことを考えていてくれたんだなあ、とか、感動してまたぼんやり思う。唇までの距離が遠いんだ。

 剣城を夢にまで見るようになったのはいつの頃だっただろうか。するりと心の中に入り込んでいつの間にかおれの意識を支配した剣城はいつものように何事にも動じない。感覚の鋭い剣城はおれの気配などすぐに分かってしまうらしく、意を決して触れようとしてもするりとかわされてしまう。それは夢の中だろうと同じ事で、おれは剣城の後ろ姿ばかり見ている。フィールドの上でも剣城はおれの前を爽快に走っていて、とても眩しい。

 おれの心が剣城に占められているように、剣城の心はお兄さんに向いている。嫉妬はしない、けれど、単純に、そういう事実が、とてももどかしい。

 入学早々にした身体測定が記憶に新しいなか、わざわざ身長を測りに来るおれを、先生も信助も不思議そうに眺めている。メモリが示す数字は変わらず、もしかすると剣城の方がこの短期間にまた伸びたのではと落胆する。背伸びをすれば、数字は伸びる。それでも、剣城の高さには到底及ばない。

 剣城の、描かれるような表情のひとつひとつが好きだ。剣城の、纏う雰囲気が好きだ。剣城の、サッカーが、剣城の声が、剣城の剣城の、剣城の。

「剣城」
 呼べば振り返ってくれる。それだけでどれ程の進歩か分からない。それなのに、おれの欲はどんどん深まっていく。剣城は少しだけ、不審そうな表情を作った。微妙な変化もおれの目はきちんと捉え、色濃く脳内に上書きされていく。おれは今、妙な顔をしているのだろう。それだけは、固まった顔の筋肉が教えてくれる。

 剣城はおれの言葉を待っている。「何だ」とか、「じゃあな」とか「今日の練習は、」だとか、言葉を返してくれる訳でもなくただ、待っている。口の中が乾ききって、喉まで貼り付くようだった。前に浜野先輩に連れて行ってもらった釣りで、何時間も粘ってようやく釣り上げた、小さな魚のように、口を閉口させながら言葉を探す。準備もなしに呼び止めてしまった自分の焦りが嫌になる。けれど後の祭りで。ただ、粘り強く待ってくれている剣城がそこにいて、ああ、おれは、やっぱり剣城が好きなんだって、涙が出そうなほどに実感して。

 剣城との距離は間近だった。けれど、勇気を振り絞るように一歩を進み出て目と鼻の先。驚いたような剣城の顔が、近すぎてよく見えない。勿体ない、と思いながらも精一杯背伸びをしてみる。けれどやっぱり、おれの唇は到底届かない。誤魔化すように「剣城は、背が高くて良いな」なんて口についた言葉は宙に浮く。

「なんだよ突然」
 どこか安堵したような剣城は結局、おれの気持ちに気付かないまま。剣城が望んでくれない限り、この唇は生涯彼の口先に届かない。ああ、唇までの、距離が遠い。

2012/2/21


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