行ってらっしゃい/ヘラアフ


 機械混じりに響いた声に、長いその髪を揺らめかせて振り向いた亜風炉は口角を上げただけで言葉を発することはなかった。ただ全てを承知したように返した踵のまま、優雅に長い回廊を歩き始める。感情を潜めて様様な体験、経験、つい先日、以前、ずっと前の出来事、そんなものが視界の真下に緩やかな速度で巡っていく。そう、穏やかだった。何もかも。
「行くのか」
 問いかける声に歩みを停めるも、そちらを振り向くことはせずに、亜風炉は尚も優雅に首肯した。
「正しい道と信じるのなら、まず進んでみなければ仕方がない」
 凛と、芯を持って言い放つ彼の言葉に、握りしめた拳をそのまま、平良は苦笑を浮かべた。
「強いな、アフロディは」
「だから行く」
 それは酷く美しい、狡猾な笑みだった。それは常、平良が側で見ているものとは大きく違う笑みだった。
 亜風炉照美という人物は、日常生活において気を抜ききっていたり、人に頼るような仕草、無知な装いをしてはいるが、一旦緊迫した、重要な場面になれば人が変わったようになる。完全なる戦闘態勢。それに入った今の彼には屈託なく笑みを浮かべることすらしないのだ。平良にとって、それは何よりも喜ばしく、そしてどこか寂しさを覚えるものであった。自分は未だ地に伏し、彼を見送ることしか出来ないのだと。
「知っているよ」
 理解している。そう確認するように呟いた平良は精一杯の笑みを浮かべた。彼のことは近くにいる自分が一番理解している、それは紛うことない真理であると。
「アフロディ」
 再び歩き出す相手に声をかけた平良は、(必要はないと分かっていても)その背中を押すように、笑みをそのままに言葉を繋げた。
「行ってらっしゃい」
 少しだけくすぐったさを感じながら、亜風炉は時間をおいて答える。
「行ってくる」

 姿が見えなくなるまで見送った平良は、静かにその瞳を閉じた。

2009/9/28 Mon 02:50


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