陰陽ボーダーライン



※グロテスク注意










 風に乗って独特な鉄錆の臭いが漂ってきた。石段を登る足を速める。人がこの世から消え去ったような、無音に近い世界だった。蒼空は高く高く広がるのに、ここは幽寂としている。時折吹く軟風が、さやさやと葉擦れの音を奏でていた。その均衡を崩さぬようにと足音を潜ませて。

 左右には深林が広がっており、迷い込んだら抜け出せなくなりそうだった。昼間なのに暗闇としてそこにある。まるで黄泉の国への入り口で、手招きするかのように閑としていた。

 苔に侵食されつつある石段は高く、一本線で上へと繋がっていた。ようやく、この現実からかけ離れたような深山路の出口が見える。いっそう強くなった臭気に、僅か眉をひそめた。






「…酷いな」
 その言葉には答えずに彼は平然とその地獄のような空間を歩く。

 肉塊だ。あちらこちらに広がっている。凝らして見ればその残骸が大きく二つに分けられることが分かった。

 忍者部隊が争った末の惨事だろう。身元を隠すようにそれぞれ顔が潰されている。忍者同士の殺し合いとは珍しい、何が起因となったのか。頭の片隅でそんな考えを巡らせてしまう辺り、自分も人ならざるものに近付いているのだと自嘲した。

 肉塊はそれぞれ死後硬直していないが、吹き出たものの乾燥具合を見ると、恐らく死後一刻たらずだ。運がよかったと言えばそうだろう。もう少し落ち合いの時間が早ければ、この抗争に巻き込まれていたかもしれない。


 ビチャビチャと嫌な足音が鳴っている。その主は相変わらず俺から背を向けていた。真っ直ぐに何かへ歩み寄っている。目的の場所に着いたらしい彼は、しゃがみ込んで懐からくないを取り出した。

 怪訝に思って彼に近付く。その内ブシュ、という気色の悪い音がして、 臭気がより一層濃くなる。



 彼の後ろ姿で隠れているものの部分が見えてくる。なぜ今まで目に入らなかったのかと思う程、異様だった。瞳に白い人の足が映る。恐らくは若い女性のもの。この諍いに巻き込まれたのだろう。

 より近寄れば、断続的に聞こえる音の正体が明瞭になる。その死体は妊婦のものであった。出産まであと少しの所だったのだろう。今は廃れているものの、この山頂の寺院にお参りすれば、無事にことが済むという噂があった。皮肉なものだ。

 彼はというと、そんな女性の大きく膨れた腹を引き裂いていた。両手を赤く染めながら、一心に解体を続けている。心意を量りかねた俺はただ呆然とそれを眺めるばかりだった。

 やがて彼が取り出した赤黒い塊。それが何かを分かった俺は嘔吐感にみまわれる。彼はその塊を女性の胸に抱かせると、その血塗れの両手を合わせた。相変わらず表情は見えない。




「赤子をさ」
 ようやっと声を発した彼はこちらを向かずに両手を下ろした。地面に置いてある血まみれのくないを取り、手布を取り出して付着したものを拭き取っている。

「そのままにしたら、姑獲鳥になっちまうんだ」
 そよそよと優しい風が辺りを包み込む。生暖かい、夕刻の微風だ。やがて立ち上がった彼は踵を返した。その時の彼の表情は希薄で、全く印象に残らなかった。

「ウブメ?」
「物の怪の類だよ。妊婦の、妖怪」
 何気ない顔で歩き出した彼は俺の横を過ぎていく。その腕を掴めば、彼は顔を歪ませた。

「団蔵、汚れるぞ」
 なぜ彼はこんな今更なことを言うのか、到底理解できなかった。そのまま引き寄せて腕に抱く。

「おい……」
 小さな抵抗はあまり長く続かない。

「きり丸は優しいな」
「……優しいと言われて喜ぶ忍はいねぇよ。習わしに従っただけだ」
「そうだね、ごめん」
「ほら、いい加減にしろよ。ここだってまだ安全じゃない」
「ああ」

 渋々離れると、無表情の彼と目が合った。その腕を再度掴んで笑みを浮かべる。それが、今の俺の精一杯だった。


「帰ろう、忍術学園に」
 そんな俺に対して気恥ずかしそうに頷くものだから、このまま彼を連れ去りたいとさえ思う。

 ふと振り返った先、微風に髪を靡かせている女性の顔を、俺はしばらく忘れることができなかった。




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