野分の愚/団きり




 両手を流るるこの あか に途方もない気色悪さを感じる。

 正常じゃない、ああ分かっているさ冷静さを欠いている。いけないこれでは駄目だ駄目だ駄目だ。今まで学んできたではないか。己を繋ぐ理性だけは確固たるものとして保持していなければならない。これは基本中の基であって常日頃担任にも言われ続けて、そうだ大丈夫。だって現時点で俺は思考という最低限の人間的な部分を展開しているではないか。過去からの教訓をもとに己を律しようと、いやそれにしてもなんだ愛しいもののこぼれ落ちる体温というのは、ここまでの不快を与えるものなのだろうか。おびただしい気色悪いそして灰色の無彩色なこの視界は正常といえるのだろうか。思い出せない。これまでの俺は視界として何を捉えてきたのだろうかしかしこの あか だけは異常な程鮮明に映っていた。十二分に理解している。了承している。これは非常に乾きやすくそれが忌々しくあらぬ所に開いてしまった口を須く迅速に塞ぎ修復するということをそのことを知ったときの感動が、今更甦る。これは何を示唆するのか。否定するのか。いけない、やはり駄目だ。何をすべきなのかきちんと理解もできないしこの あか 以上に吹き出てくる己の愚行やら何とも表現しがたい鬱屈ばかりがそれから目を逸らさせようと奮闘している。愚かだ哄笑したくなる。駄目だ、考えろ、感じろ、受け止めろ、切り捨てろ、そう駄目だ、駄目なんだ……。

 混濁した思考は強制的に陸へと引き上げられて苦しそうに藻掻いていた。よほど周囲に転がっている死屍の眼よりも淀んだ、焦点のまるで合わないこの瞳が向かってくる影へと吸い込まれる。

 邪魔だ、無駄だ、無為だ、煩わしい、下らない。関わらなければよかったものを、とそういった感慨を表現しようとした刹那、残念ながら不純な液体を撒き散らしながらこちらへ向かってきていた一軍は何事もなかったかのようにただの肉塊に還る。

 どさり と幾つもの重みが重力に負けていく中、ああそうかとひとまずの結論が出る。腕の中の宝物へと愛しみをこめた接吻を落としてゆったりと立ち上がった。すっかり不純物が付着してしまった幾つかの苦無は肉塊に突き刺さったり地面に虚しく転がっていて使い物にならない。また、焙烙火矢やら銃器やらの火器ははなから持ち合わせていなかったし、なまくらな刀類はすでにその用を果たせない姿になり棄ててきた。辛うじて所持している飛び道具も意味はない気がする。仕方なしに、転がり水たまりに半分くらい浸かった刀を取り上げて一振り、刃先を確認するのも惜しく駆けだした。

 手当たり次第に奪っては斬って殴っては刺してまた奪っては突き立てた。既知の感覚だこれは。気を抜いてはいけない。堅い箇所は思うより壁が厚いのだから。十二分に力を込めてなぎ払う。また確実に仕留めるために衝く際には刃先を必ず通過させ、流れ出る不純に惑わされずに確実に仕留める、  仕留める。

 舞う飛沫は足下の水たまりを肥大化させていく。ボロボロと切断された箇所が落ちる音もが時折聞こえるがまさかそれの音の原因が自身にあるとは思わずに、疲れを感じない腕に更なる力を加える。

 時間なんて概念がすっぽり抜け落ちたように漆黒の空間で舞い続けた。次第に無音に近づいていく。完全な闇に溶け出す前に、俺を引き上げたのは呻き声にも似た彼の声であった。気が付けば片足を瀕死状態の彼に掴まれていた。うまく舌が回らないのか、その後は無言でただ静かに首を振る。その様子に恐らく開ききっていた瞳孔は次第に収斂していく。


 なに やってんだよ と、彼が苦笑を漏らした気がする。
込み上げてくる熱を圧して眉を僅かにひそめる。何でだ?だってこれが最良で最善だ。俺一人じゃああの状況でお前を運べないし、いやもう大丈夫全部始末したし。

 ぱっくり開いた箇所に引き裂いた服をあてがう。その間彼は何とも表現し難い表情で広がった水溜まりを眺めていた。実際見えていたのかは定かではなかったが。作業を終えた俺は彼の腕を取って笑い掛けた。それは酷く不適切な顔だったらしく再び彼に曖昧な表情をさせてしまう。

 この呼吸の仕方を手放してしまいそうな息苦しさからもあと少しで解放される。


「帰ろう、きり丸」
 美しい彼を抱き抱えて、全てが終わった場所に背を向けた。



2016/01/13(改)


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