エスケープメカニズム/庄きり



「どうして、俺を避けるんだよ……!」

 掴まれた腕と真っ直ぐに向けられる視線が、庄左ヱ門の逃げ場を奪っていた。確かに今日は当番ではなかったはずなのに。彼がここにいることを全く想定していなかった、そんな自身の過失を呪う。しかし致し方ないと言えばそうだ。きり丸は当番の日とて時たまにふけることがある。人一倍多忙な彼がわざわざ金にもならない雑務を進んで行うなんて思いもよらない。だとしたらその言葉からも推測できるように、彼はここ最近の庄左ヱ門の余所余所しい態度について問い詰めるために、彼の命綱とも言うべきアルバイトをわざわざ断念して待ち伏せていたのだろう。年齢を重ねるにつれて彼が担う仕事の質は上がってきている。時間に換算して、彼が一刻で稼ぎ出す金額は跳ね上がっているのだ。時は金なりを地で行くような彼にしては……。

(なんて物好きな……)

 逆に金にならないことで多忙な庄左ヱ門を捕まえるなら、下手に部屋に行くよりもこの図書室を張っていた方が得策だ。その策は功を奏して、きり丸は数日ぶりに庄左ヱ門に面と向かったのである。

「黙ってないで答えろよ、庄左ヱ門」
「何のことかと考えていたんだよ」
「とぼけるのは得意だよな」
「君にそのことで褒められるなんて光栄だね」
 きり丸の手に力がこもり、庄左ヱ門の腕に指がめり込む。しかし眉一つ動かさないその人は、諦観したかのように、真っ直ぐ、眉間に皺の寄った相手の顔を見返す。

「無意識だとしても、理由は話してもらうぜ」
「難しいことを言うな、きり丸は」
「はぐらかすなっての」
「その、理由とやらを聞いてどうするんだ」
「聞いてから考えるんだよ」
 庄左ヱ門は目を細めながら内心疑問符を浮かべていた。自分の中の心象と眼前の彼との差異に僅かに戸惑ったのだ。

「来るもの拒まず、去る者追わず、だと思っていたのに……」
 呟きはしっかりと相手の耳に入ったようで、刻まれた皺が一層深くなる。自分は図らずも他人の不興を買ってしまうことがあると自覚はしているが、ここまで目に見えて不機嫌にしてしまうと自分の性質の悪さを改めて思い直した。だが反省をしないのは、もうこれは自身どうしようもない一面であると割り切ってしまっているからだ。

「お前、頭が良い割に固過ぎるんだよ。自分で何でも判断して最終的には現実を見ていない」
「……」
「成績が並行してきているからといって、あからさまに敵対心を剥き出しにする男じゃないだろ、お前は……」
「意外に小さい男なのかも知れないぞ?」
「庄左ヱ門」
 咎めるように、身を乗り出して低音を放つきり丸は、苛立ちと言うよりも傷心と言うような表情で庄左ヱ門を見つめる。

「俺が気に入らないのなら突き放せ」
「……。……物好きだな……。こんな堅物相手にしなくても、気楽に連める奴らは山ほどいるだろう?」
 成績のことに関して確かに焦燥は感じる。そのこと自体が庄左ヱ門を苛んだ。低学年の頃には目に見えていた大きな差が埋まってきている。きり丸はもともと器用で飲み込みが早く、休みには担任である土井半助と同居しており、知識の宝庫・図書室を預かる図書委員を務めている、とう環境の良さもある。彼が生きてきた人生の過酷さは、そのまま彼の技量となってかえってきている。単に羨むことのできない、複雑な仕組み。

 きり丸への、あまり好ましくない感情が募る度に自分が堕ちていくのが分かる。人間欠落だ。いや、在る意味人間くさいのかもしれない。そもそもの体質か幼少期の環境の問題か、体力や肉体的な部分では庄左ヱ門が優位であるが、その優位性は彼を安堵させるにはあまりにも心許ない。器用で小回りが利き、同世代よりも達観し世渡りの上手いきり丸のもとには多くの忍務が舞い込んでくる。幾人かをまとめ上げて何かを計画し成し遂げることを得意とする自分とは、まったく性質は違うのだと理解していながらも、彼の忍としての才覚に焦燥感や不愉快さを感じることは確かにある。こんな自分になんて構わなければ良いのに、本当に物好きだ、と庄左ヱ門は溜息をついた。

「庄ちゃんといると、気が楽なんだよ……俺はさ……」
 俯き気味に呟くきり丸の声は、人の入りのない図書室では十分すぎるほど聞こえた。だがその言葉を理解するには時間が掛かった。彼の本意は、あまりにも、自分の心情とは掛け離れすぎていた。

「……は?」
「だから、避けられるのが……嫌なんだよ。何かしたか?庄ちゃんが怒る位だから……俺……」
 腕を掴む力は次第に弱まっていく。逸らした顔は僅かに赤くなったり青くなったりして忙しなかった。まったく彼らしくもないその表情の変化に、庄左ヱ門は思わず吹き出してひとしきり笑った。しばらくしてもおさまらず、くつくつと控えめな笑い声が図書室に響く。その間、きり丸の機嫌はもともとよろしくないのに急降下していった。

「俺は至ってまじめなんだぞ?」
 恨めしそうな声色に顔を上げれば、滲んだ視界にその姿が映る。今日は色々な表情が見られるな、などと考えながら。

「あぁ、悪い悪い。なに、学園長先生に所用を言いつけられてね。そのための資料を禁書で調べていたから、きり丸とは顔が合わせづらかっただけなんだ」
 禁書は図書室の隠し扉の向こうにあり、一般の生徒は滅多なことがない限り利用できない。また、その存在を知るものも一握りしかいない。けれど、学園長の頼み事ならば堂々と利用できるはずなのに。

「話してくれれば、こんな忍び込むような真似をしなくて済んだろうに」
「内密に調べて処理しろとのことだったから。……でもまさか、きり丸が拗ねてくれるとは思わなかったなぁ」
「!」
 目を見開くきり丸。その顔は僅かに紅潮している。対して庄左ヱ門は爽やかでいて、どこか意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

「い、いきなり避けられたら気になるにきまってんだろ!」
「私の側が居心地がいいと」
「だああ、もう!性根が悪い!それより、俺に知られちゃあ任務は失敗なんじゃねぇの?」
 気を取り直したように、意趣返しのごとく口角を上げるきり丸。だが庄左ヱ門は全く揺るがなかった。

「残念ながらもう遂行済みだよ。今日は資料を返しに来たんだ」
「抜かりないよな……本当」
 きり丸は溜息をつきながら、降参したように両手を肩の高さまで上げた。

「それじゃあ今日は思う存分側に居てやるから、機嫌を直してくれ」
 冗談のつもりで言った言葉を、庄左ヱ門は後悔することになる。



「………そいつはいい。内職がたんまりあるんだ」



 意趣返しにつぐ意趣返し。それはそれはもう完璧なまでの美しい、勝ち誇った笑みだったので、彼には敵わないことを庄左ヱ門はその時、すんなりと呑み込めてしまったのだった。


2016/01/13(改)


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