ねこ/庄きり



「きり丸…」
「ん〜?」
「重い」
「失敬な!」
「退いてくれ」
「分かりきっているのにどうしてそういう要求をするんだ」
「一縷の望みを掛けてもいいじゃないか」
「いちるの望み潰えたり〜」
「重いって」
 のし掛かってくる重みに眉が寄る。それでも書物を読むことをやめない庄左ヱ門に痺れを切らして、きり丸が覆い被さるように覗き込んでくる。

「庄ちゃん…構ってってば」
「ひとまずこれを読み終えたら」
「あと何貢?見るからにとても厚いけど」
「ざっと二百貢」
「よし半刻で充分だな!」
「何の基準?」
「半刻で飽きる」
「きり丸のか……」
 最初こそ驚きはしたが、きり丸には甘え癖がある。普段まるきり人に甘えないきり丸が堰を切ったように纏わりついてくることがごく偶にあるのだ。そんなに甘えたいなら土井先生の所にでもいけばいいのに、と考えたことはあったがそれは酷だろう。あれは、そういう部分をあえて見せないで保っている距離だ。それでも他に頼り甲斐のある人は沢山いるのだし、彼を甘やかしたい人も大勢いるのだから、わざわざこんな薄情な自分のところに来なくてもいいものを。そう頭の端で考えていると、その疑問が口をついて出ていた。
「きり丸は何で僕のところに来るのさ」

 抱き付くようにしてつまらなそうに書面を覗き込んできたきり丸は、そんな言葉にあっけらかんと答える。
「庄ちゃんが最初に見つけたからだけど?」
「は?何を?」
「俺に最初に『泣け』ってひどいこと言ったの覚えてないのか?」
 その言葉をたよりに記憶を辿ってみる。そういえば、入学してからしばらく経った頃に、は組の輪から外れて一人薪割りの仕事をしているきり丸を見たときのことだ。庄左ヱ門自身も予習やらで輪を抜けることがしばしばあったので、こういう光景を目にする機会もよくあった。

 何とはなしにそんなきり丸を見ていたら、彼の方に虎若が蹴ったボールが飛んできた。それを蹴り返したきり丸が見せた表情は、弟の泣き喚く寸前の表情と似ていた。兄根性のようなものが働いた庄左ヱ門はきり丸に近付き、少し驚いている彼に『泣く?』と一言聞いたのだ。その後きり丸は「庄左ヱ門でも冗談言うんだな」と笑い飛ばしたので、バツが悪くなってしまった、などという出来事もあったりしたが、まさか。それで?

「庄ちゃんダイスキー。構ってー」
「棒読みの大好き有難う」
 きり丸の腕に力がこもる。彼の思惑通りに読書どころではなくなってきた。図書委員としてあるまじき行動であるし、もう少し真摯に仕事に取り組んでもらいたいと思いながらも溜め息をつき、読んでいた本を閉じる。ここは図書室。彼は図書委員としてこの時間、ここを任されたいわば番人。とはいえ、彼がこのような体たらくをさらせるほどに今この場所は閑散としている。庄左ヱ門はいくつかの本を読み比べて自分の求める書物を探しつつ、中でも最も気になるものを熟読し始めた所だったのだ。そんな、図書委員としては殊勝に読書をする相手を推奨すべきところを、きり丸はこうして絡むように庄左ヱ門の邪魔をし始めたのである。文机に並んでいる数冊の本を仕分けして、持っていた本を右の山の一番上に置いた庄左ヱ門は、持参してきたものを中央に置いて「よし、それじゃあこうしよう」と手を打った。

「庄左ヱ門、それは勘弁」
「いい機会だからね、そうだ明日の予習から始めようか」
「でも俺、部屋に置いてきちゃったし」
「大丈夫、そうやってくっついているなら、一冊で充分だろう?」
「俺ちょっと急用思い出した」
「それは図書委員としての仕事?折角僕が読書をやめてまで構って『あげる』のに?」
「うっ!」
 大好きな言葉を前に苦しそうに胸を押さえきり丸。相変わらず難儀な性質だと思いながら、距離を取ろうとするきり丸の手を掴んで隣に座らせる。目下には門外不出の忍者の教典、忍たまの友。都合の良いことに、予習のために集めた参考書が机の上には何冊も置かれている。

「たっぷり教えて『あげる』よ」
「……ひ、ひとでなし……!」
「はい、じゃあ三十五貢から」
 きり丸は早速机にもたれかかるようにして涙ぐんでいる。襟首を掴んで正座をさせ、文章を復唱するように強要する。こういう涙ならすぐに出るのに、などと意地の悪いことを考えながら。

「庄ちゃんの鬼…悪魔…」
 その声を無視しながら強制的に始めた勉強は僅か半刻で終わりを告げる。

 職務怠慢、自分にもたれかかるようにして眠りこけているきり丸を眺めながら、苦笑を漏らした。こちらの都合などお構い無しに擦りよってくる迷惑な奴。犬ではなく猫の方。甘えてくるのに真意はけして明かさないし、全てを明け渡そうとはしない。こちらを都合良く利用しているだけなのだ。それでもこの特権を、悪くない、などと思ってしまう自分を、庄左ヱ門は今さら否定しなかった。

(きり丸がいる時間に、わざわざここに来ている時点で僕も相当捻くれているな)
 いつも通り冷静に、自分を省みながら、改めて短い嘆息を漏らす。そうして日なたの優しい匂いがするきり丸に膝を貸しながら、再び厚い本を手にした庄左ヱ門は読書を再開した。



2016/01/13(改)



Back
Top