境界線/シンジュ




 こういうときのジュダルは無害である分非常に質が悪い。しなだれかかってくる細い肢体は心許ないほど軽く、いつもの彼の傍若無人振りを感じさせなかった。進めていた書き物ははかどらない上、身動きも取れない状態で真っ直ぐに瞳を向けられると立つ瀬がなくなってくる。吸い込まれそうな瞳の色はコレがどこか異形の者であると言うことを示すように煌めいている。いつもは昼間ないし朝からやって来ることの多い彼が宵の口に現れた。生温い温度が辺りに充満している中、少しずつ密度が上がっていく感覚がした。風はなく、彼がいる以外はいつもと何ら変わらぬ夜であった。

「今日は何をしに来た」
「別に?」
 そうとだけ答えたジュダルは俺の膝の上で向きを変え、常時用意されているフルーツの盛り合わせに手を伸ばす。口を潤す程度ですぐに飽きてしまったらしい彼はいくつかの種類を味見したあと、もう一つ用意されていた葡萄酒のボトルを手に取った。そうして横の盃に注ぐと、それを口に運んだ。アルコール臭と異国の葡萄の香りが広がっていく。火照ってくるジュダルの体は益々密着してくる。

 彼が何の要求もせず、ただ俺に甘えるように擦り寄ってくることが極々稀にあった。初めこそ気味が悪く、何か企んでいるのではないかと勘ぐったものだったが、今となってはその気苦労も徒労であると知った。好き勝手にさせれば特段害もなく、またすぐにどこかの寝床へ帰っていくのだ。ジュダルには謎が多い。だがそれをあえて暴こうとは思わなかった。ただ、コイツにも誰かに甘えたいだとか触れたいと思うことがあるのかという純粋な驚きはあった。子供っぽく自由気ままな癖にどこか他人を卑下して、頼ることなどしそうにないジュダルは手間のかかる悪ガキそのものだった。

「アンタも飲めよ」
「生憎今ここにはそのグラスしかない」
 何を思ったか、その盃をこちらに傾けてくるジュダル、それに敢えて逆らわない俺はその飲み口から流し込まれるアルコールを口に含んだ。上手く呑みきれない分が口の端から一筋流れ落ちた。グラスに残った分を含み、そのまま合わせてきた奴の唇から更に葡萄酒が俺の口を濡らす。後ろに回された手ががっちりと俺を捉えている。ただ、力任せにすればはね除けられるのに、それをしない俺は彼と同じように、どこか調子が狂っていたのだろう。
 互いの喉に落ちていった葡萄酒の香りが濃厚に広がる中、唇を離したジュダルは気怠げに額を俺の肩へ押し付けた。濡れた口許を拭い、少し下方へ視線を移す。相手の息遣いが分かるほど、辺りは静かだった。

「酔ったのか」
「……」
 押し黙ったジュダルは何も口にしない。何か、懇願の一つでもされたら堕ちてしまいそうな俺がそこにはいた。それでも不器用で傲岸不遜な彼は頑なに押し黙っている。この、どうしようもなく越えがたい距離感が俺たちの均衡を静かに守っているのである。危なげなラインの上、自尊心や己の信念を保っている俺たちはやはり、体を重ねても心までは交わることができない。絡められる指を握り返さないよう意識を向けながら、俺はただ、虚空を睨み付けていた。


Back
Top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -