この神社に鼠が身を寄せて間もない頃のことである。恨むことを知らない鼠に狡猾な蛇は言った。
「他者を恨まず生きるというのは難しいことだ。成程、確かにそれが出来れば美徳であると言えるだろう。周囲もさぞ持て囃すに違いない。」
「そんなつもりは……。」
「だが、君は違う。」
「……違う?」
「あぁ、違う。」
鼠が見上げると蛇は笑っていた。
雨の落ちる庭園を眺め、縁側に腰を下ろし、少し寒いその場所で、薄ら寒さを感じたのは今となれば警鐘であったのかもしれない。
「君は恨むことを知っている。」
「……。」
「他者を妬み、恨み、謗り、嘲り、踏みにじることすら知っている。」
「ま、待ってください!わ、私は誰も……!」
「知っているんだよ。」
「……っ。」
細められた瞳に鼠は息を呑んだ。
「知っているんだ、君は。」
赤い瞳に映る自分の姿。
「知っていながら、恨むことすら出来ない君は……。」
楽しげな声が耳を掠める。
「ただの……。」
恐らく自分は、その声と言葉を一生忘れられないだろう。
「……臆病者。」
泣き腫らした赤い目で、子依は笑った。