蒼空に魂を
――Fliegen in den blauen Himmel


 昔は、僕は空にすら興味を持っていなかった。物心つく前より、成人することが危ういことを宣言され、人生を白い部屋の中で過ごしてきた。さらに馬鹿馬鹿しいことに、我が家の――正確には両親が日夜生活している家の外観すら霞がかかっている。僕は、限りなく小さい世界に暮らし、早くもグレてしまった。
 その頃は、本当に幼かった。学ぶことをはじめるくらいの歳。
 その日は晴れていて、でも風が強くて雲の流れがとても速かった。何を思ってか、普段僕は病室すら出なかったのに、その日は珍しく一人で外に出た。
 風の所為なのか、外にいた人は少なかった。その少ない人間たちに見つからないように、病院の庭を歩いていた。
 そんなとき、女の子を見つけた。同じくらいの年頃で、真っ白なノンスリーブのワンピースを着た、長い髪の女の子。はだしで芝の上に立って、両手を胸の前で何かを掬い上げたかのようにしていた。
 同じ年頃だったからなのか、僕はその子がなにをしているのか気になって、女の子の手を覗き込んだ。
 覗き込んで、驚いた。
 その子は、小鳥の死体を持っていた。
 僕は驚いて声を上げて二、三歩後ろに下がってしまった。死者がいてもおかしくない病院に長いこと暮らしていながら、人や動物に関わらず初めて死体を見た瞬間だった。
 女の子は、声を出した僕を驚いて見つめた。この時にはじめて僕を知覚したようだった。
「な、な、なにしてるのっ!?」
 この時の僕は、自分でも面白いくらいに取り乱していた。また後ろに下がろうとして、足をもつれさせて、緑の短い丈の芝に転びかけたりしていたのだ。
 自分でも哀れだった僕を、彼女は笑いも心配したりもせず、きょとんと見つめ、僕が自分の質問を忘れかけた頃に応えた。
「この子のたましいをね、お空に送っているの」
 捧げるように持っていたのは、そのためだったらしい。
「鳥は死んだら、空にいくの?」
「鳥だけじゃないよ。人も、動物も、植物も、生きているものはみんな」
 僕は混乱した。だって、本では死体を土の下に埋めていたから。それに、死んだ人が空へ逝く様子を想像できなかった。
 その事を彼女に言うと、
「死体はね、土にかえすの。だけど、たましいは、空の向こうへいくんだよ」
 僕はまだ、魂という概念を知らなかった。だから、その違いを理解することができず、ますます混乱した。
「たましいはね、生きているものみんなが持っているの。ひとりひとり、別々の形をしていて、それは、肉体よりもずっとずっと大切なもの」
 僕に、その子の言葉を理解することはできなかったし、今もはっきりわかっているわけじゃない。彼女の言っていたことは、あらゆる知識を手に入れた今なら、科学的な常識として説明できず、迷信としか捉えられないことだった。
 だけど、当時の僕も、現在の僕も、彼女の言葉が世界を捉える鍵となり、核となっていた。そしてそれは、小さな鳥一羽の冥福を願った女の子の優しく大きな双眸が、同じ歳だったはずなのに、本を読んで普通より遥かに知識を得ていた僕や経験豊富な大人たちよりも、とても純粋で知的に輝いていたことで裏付けられていた。



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