人身売買-1 何処かの盗掘者が手に入れた魔物を封じた腕輪。200年前の物と思われるそれを前に、僕はペンを持っていた。もちろん、この魔具に使われている魔術式の解析のためだ。 あのあとリグたちにこれを見せて、この魔具に使われている魔術を検討してみようってなったのだ。で、彼らが忙しいのと僕が技師であることもあって、この魔具について僕らが調べることになった。 暇ができると、こうしてリグたちの研究室に行く。〈紫枝〉の研究室なのは、この腕輪が危険な物だからだ。実力者の多いここなら、万が一術が発動しても対処できる。……部屋の安全は保障できないけど。 まあ、でも僕だってプロなのでへまはしない。調査のほうはそれなりに順調で、仕組みがだんだんわかってきたところだ。リグたちの研究もいよいよ大詰めに差し掛かってきたようで、みんなそれぞれ忙しくしている。喋っている余裕もないらしく、部屋は静かだった。 そんな研究室のドアがノックされる。 「入れ」 相変わらず横柄なジョシュアの許可のもと、扉が開かれた。入ってきたのは、〈木の塔〉の事務スタッフだ。 「レン・ヴィスさんはいますか?」 他所の研究室で僕がご指名? 不思議に思いつつ腰を浮かせて返事をしようとすると、小さい影が飛び込んできた。腰のあたりに打撃を受けて、椅子にもう一度座る羽目になる。 「……ティナ?」 僕に飛びついた衝撃の所為で外れたキャスケット帽の下からぴくぴく動く狐耳が見える。その頭を撫でながら、もう一度入り口に目を向けた。 そこには、息切れしながらも申し訳なさそうなミンスが立っていた。今日はルビィが仕事で手が離せないからと、ティナをあいつの下に預けていたんだけど。 「ミンス? どうしたの、ここに来るなんて」 それも、ティナを連れて、だ。 ティナの耳に目を丸くしていたスタッフをリグが追い返し、ジョシュアがミンスに席を勧めた。ティナは梃子でも動きそうにないので、落ち着くまでそのままにする。 仕方ないけど、また服が伸びる。 「ティナをつれて散歩に出てたんだ」 それだけで終わんなかったのは、ティナの怯えようを見てわかった。前にミンスの家で乱暴者を見たときの比じゃない。よっぽど怖い目に遭ったんだろう。 まずは話を聞いてからだけど……内容によってはミンスをぶっ飛ばす。 僕の念に気が付いたのか、ミンスは一度身体を震わせて僕から目を逸らした。 「それで?」 「そしたら、親子連れを見かけて……子どものほうが、ティナを見て言ったんだ」 チコちゃん、何処に行ってたの、って。 「ただ事じゃないと思って、逃げてきた。駆け込むには、お前の家よりもここのほうがいいと思ってな、それでここに来たんだ」 「ナイスだミンス」 家に僕がいるとは限らなかった(実際いなかった)し、〈木の塔〉なら騒ぎが起こったら知らんぷりするってことは起きないし。だから強引なことをされても、ティナに被害は及ばなかったに違いない。素晴らしいとっさの判断に、さっき物騒なことを考えたことを心の中で謝罪しておこう。 しかし、“チコ”ねぇ。前のティナの名前なんだろう。名付けたのはその親子か。地域性にもよるんだろうけど、少なくともこの辺りでは何の意味もない安易な名付け方だ。気に入らないな。 「ティナ、おいで。ジュースでもあげるから」 リズは戸棚の一番下にある、金庫のような箱を開けた。ひんやりと冷たい空気が足元に流れてきたなと思うと、中から瓶に入ったオレンジ色の液体が出てきた。机に置いた瞬間表面が曇ったことからしても、冷やされていたことは間違いない。 「うわ、魔力の無駄遣いっ」 氷室だ、氷室。容器の壁に氷を張って、中を冷やして食料保存庫にしているのだ。もちろん状態を維持しているのは魔術。動力源は魔石だけれど、室温維持のために魔力消費が激しくて、蓄えていた分がすぐになくなる。それを補充するには魔石の中に魔力を流し込むか、魔石自体を交換するしかない。つまり、金か魔力がすごく掛かるのだ。だから便利な贅沢品として有名だった。 「平和的利用と言いなさい」 確かに、違いない。戦いに用いられることに比べれば、有意義な使い方だ。 ティナを椅子に座らせ、カップに注いだジュースを置く。ティナはすぐにはそれに手を伸ばさなかった。遠慮、というよりも、まだ緊張状態にあるのかもしれない。 「子どもに話しかけられてすぐ逃げた?」 「いえ、それだけだったらよかったんですけど、母親のほうも加わってきて。その子、うちの使用人だと思うんですけど、って言って迫ってきたので逃げてきました」 魔族の子が使用人、だって? もしかしたら、本当に善意で使用人として引き取ったのかもしれない。けど、だったら、こんなに怯えたりはしないだろう。 「その親子の特徴は? 触られたりしてると話は早いんだが」 「腕を掴まれました。母親のほうです」 リグとリズが足元に向かって短く呼びかけると、ぬいぐるみみたいに小さな犬――いや、狼が現れた。白い狼と黒い狼。現れた、と思ったら、ティナの匂いを嗅いですぐに、影に溶けるように消えていった。 この世のものならざる生き物に、ミンスとティナは面食らった様子だった。 「……レーヴィン兄妹の狼、か」 「さすがに有名ですね」 魔術と関わりのないミンスが知っているなんて。 あの2頭の狼。白いほうはスコル、黒いほうはハティという。サーシャとダガーとはまた違った、リグとリズの使い魔だ。2頭は何故かは知らないけど身体の大きさの調整が利くらしく、本当はもっと大きいんだけど、今はティナに気を遣って小さめで出てきてくれたみたい。 今まで存在を忘れるほど無言だったジョシュアが立ち上がった。 「グラムとテッド……ステイスさんも呼ぶか?」 どうやらお使いに行ってくれるらしい。確かに、こういう殺伐とした話は研究者でしかないジョシュア向けじゃないし、展開によっては小隊が動くからグラムたちは必要かも。 「悪いね」 気にするな、と手を挙げて出ていく。 「一応訊くけど、元居たところには帰りたくないんだよね?」 頷いてから、ティナは不安げに僕を見上げた。引き渡されるとでも思っているんだろうか。 「大丈夫だ。嫌なところに帰れとは言わないから。それに、ルビィと養子縁組してる限りはこっちに部がある」 なにせ、正式に家族になっているのだ。向こうがティナの正当な保護者であると証明できない限り、書類もあるこっちのほうが強い。 そして、向こうにそれを覆すだけのものがないのもわかってる。残念なことに魔族の人権は確立されていないからまず書類はないし、ティナの怯えようからいって、世間を味方につけられるような人格者じゃなさそうだし。 と言っても、まだ8つの女の子にそんな手続き上の話はわかるはずもなく、 「万が一向こうに有利だった場合は、無理矢理にでも納得させるから」 結局こんな強引な言葉が出てきたりする。 「ほんと?」 双子の説得に、じっとリグとリズの顔を見比べた。嘘か本当かを見極めようとしているらしい。疑ってるわけじゃないんだろうけど、さすがに慎重だ。 「ほんとほんと」 安心させるために笑みを浮かべるリズが頷くのを見て、少しは安心したんだろうか。ティナの身体の力が少し抜けた。それでもまだ真剣な表情を作っている。 「わたし、おにいちゃんたちと離れたくない」 思わず頭を撫でてしまった。可愛い事言うじゃないか、この子は。 ……こうなったら、なにがなんでもこの娘を手放すもんか。その元主人とかいう奴、来るなら来い。来ないんなら殴り込みに行ってやる。 て、意気込んでいたのに。 「今日は帰れ。ルビィにもこのことは話すべきだろ」 後のことはこっちでやっとくから、と言われる。他人任せにしておくのは気が済まない……というか、ティナに関わることなのに蚊帳の外にされるのは冗談じゃないのだが、この子を帰して安心させたいのもまた事実。 仕方ない、従おう。 [小説TOP] |