〈凍れる森〉-4


 気を取り直して先を行く。こうして行軍してわかるのは、奥に行けば行くほど結晶が凄くなるということだ。入口のほうは木の表面を覆う程度だったけど、この辺のものは枝先から結晶だけが成長しているみたいで、中身がないものがよく見られるようになった。
 たまにアリサさんは立ち止まって、その結晶の欠片を折る。もちろん氷とは比べ物にならないくらい硬いから、魔術を使う。地の魔術で局所的に脆くして、そこからポキッといくのだ。
 そうして採った結晶をまじまじと見て、アリサさんは残念そうに溜め息を吐いた。
「それも駄目か」
 リグが尋ねると頷いた。
 この森の状態が魔術によって維持されているのはさっき言った通り。つまり、結晶自体も魔術でできたものだ。ということは、この結晶は魔力が溜まっているこの場限定での物だということで、魔力がなくなれば結晶も消えるということ。
「もっと奥に行けば、魔力がなくても消えない結晶があるかも」
 アリサさんはさっきから未練がましくその言葉を繰り返している。採った結晶は一応しまっていた。
「でも、だいぶ潜ったよなー」
 道の先を見ながらグラム。同意するのはウィルドだった。
「そろそろ中心部ですね」
「じゃないと困る」
 疲れた顔でリズが言った。竜以外にも魔物の襲撃を受けていて、そろそろ疲労もピークだ。ある程度鍛えてはいるけれど体力がないリズにはそろそろきつい。普段から鍛えてもいないアリサさんも、結晶への執念が身体を動かしているだけで、顔に疲労の色が出ている。
「〈凍れる森〉の中心部かぁ……」
 さすがというべきか、まだまだ元気なグラムは、ふと視線を遠くに向けた。
「本当に妖精って居るのかな?」
「妖精?」
 なにやら唐突……って、精霊が魔術で作られてるような世界だっていうのに、なに言ってるんだこの人。
「レンは知らないか。シャナイゼの北のほうじゃ有名な言い伝えなんだけど」
 〈凍れる森〉の奥深くには湖があり、その湖に浮かぶ島には白い翼を持った妖精が氷の中で眠っていて、騎士が1人控えている。そんな言い伝えがシャナイゼの北部にあるのだそうだ。
「……白い羽根の妖精、ねぇ」
 シャナイゼって、どうもそういうのが好きなんだな。同じようなものが出てくること。
 その中でも、知っての通り、僕は羽根の生えた人型が嫌いな訳だが。
「〈セラフィム〉です、それは」
 白い羽根を持つヒューマノイド、〈セラフィム〉。歌物語の題材になった娘の末路であり、僕の姉の末路。
 ウィルドの言葉を聞いた瞬間、僕の事情を知っている人たちの動きが止まった。様子を伺うように僕を見てくる。
「…………へぇ」
 まさかの大当たり。同じようなものじゃなくて、全く同じだったと。
 しかし、思いがけないところで出てきたな。今回は結晶を採りに来ただけだから、戦闘以外で魔物に関わることなんてないだろうと思っていたのに。どうしても縁があるらしい。
「先行きましょうよ」
 たぶん状況が読めてないテッドが促す。感じ悪いけど、今はありがたかった。
 黙々と道を進む。奥に行けば行くほど結晶が成長しているのは相変わらず。
 下らない会話がないのは、疲れの所為というより、僕の所為だろう。僕の前でその妖精の話なんてできないから、皆なんとなく喋りにくくなってしまったってところ。僕もあまりその話題は嫌だな。
 結晶化は地面にまで及ぶ所為か足元は硬く平坦で、獣道なのに歩きやすい。そしてなんだかとっても静か。魔物の気配がない。
 なにか、この先に凄いがいるのか。
 先頭を行くテッドが、立ち止まって声を漏らした。なんだなんだ、と全員が同じほうを向く。
「湖だ……」
 本当にそこには結晶の森に囲まれて広がる青い湖があった。本当に中心部まで潜ってしまったんだ。泉とも言えそうな小さな湖。その真ん中に島があって、一際大きな結晶が座していた。
 地面から真っ直ぐに生えた青い結晶。その中に人の形が確かに見えた。
 お伽噺は本当だったのか。
 その結晶の周りを徘徊する、人型の黒い影があった。
「あれは?」
「傀儡死体だな」
 さすがというべきか、黒魔術師は一発で看破した。
 本来は黒魔術で動く傀儡死体。魔力が溜まっているとたまに術なしでも動くという。ここはそういう場所だから、ああいうのがあってもおかしくない。
「まさか死体になっても守っているとは……」
 驚き、呆れたとばかりにウィルドが言う。その横でリズが目を丸くした。
「てことは、あれが王子なのか」
 王子、といえば〈セラフィム〉の恋人だ。……まさかとは思うけど、魔物になった恋人を受け入れただけじゃなく、死んだ後もその死体を大事に守ってた?
 彷徨く死体の後ろにある結晶に閉じ込められた死体は、少女と呼べそうなほどに若い。そりゃそうだ。だって、今でも受け入れられていないっていうのに、2、300年前の人たちがあれを受け入れられたはずがない。間違いなく化け物として殺されたはずだ。
「あれをどうにかすれば、〈凍れる森〉はなくなるかもしれませんね」
 〈凍れる森〉の現状を作り出したのは、あいつがきっかけだ。きっかけを潰せば、森が元の状態になる可能性は大きい。幸いここには、黒魔術師がいる。斬っても叩いてもなかなか潰れない動く死体は比較的簡単に対処できるだろう。あいつを倒すことだってできる。
 だけど、
「……馬鹿じゃないの」
 僕は湖に背を向けた。
「レン?」
 きっと殺しに行くと思ったのだろう、皆が意外そうに僕を見る。
「200年だろうが、300年だろうが、それこそ1000年だろうが、勝手に死体を守ってればいい」
 大切な恋人だったんだろうけど、死んだ人にいつまでも縋って。魂が一生入ることのない器なのに、土に返すこともせず何年も何年も結晶に閉じ込めて保存して。その上、死んでもなお、一生蘇ることのない恋人の死体に縛られて。
 幻想的な風景と王子の愛情の深さだけ見ればおとぎ話になりそうな美談だけど、客観的に見てみると、それってひどく滑稽。
 似た境遇だからこそ、僕は共感できない。ああなりたくないし、なれない。一緒にしてほしくもない。
「ですが、永劫に等しい孤独は辛い」
 1000年以上を生きてきた神様の言葉にはすごく重みがあった。その孤独を体験してきた本人はさぞつらい思いをしたんだろう。彼の過去を想ってか、そっとリズがウィルドに寄り添う。
 彼は別にいい。彼の孤独は自分で作り出したものじゃないし、打ち破ったのも彼自身だ。でも、あれは違う。
「自分で選んだんでしょう。嫌なら辞めればいい」
 だって自分で地獄を作りだして、閉じこもってるんだ。それって自分で望んでるってことでしょ? だったら僕らが勝手に同情して、救ってやる必要なんてない。
「……ま、おれたちの仕事は魔物討伐じゃないからな。アリサの採集が終わったら帰るぞ」
 肩を竦めて頭を掻いたグラムの声は、珍しく抑揚がなかった。アリサさんは頷いて、周囲の結晶の採取を始める。
 そう、僕らの仕事はアリサさんの護衛であって、〈凍れる森〉の異常をどうにかすることじゃない。
 あんな死に損ないの事なんて知らない。
 自分が作った結晶の檻で、憐憫に浸っていればいい。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 数日後。僕はリグとアリサさんの研究室を訪れた。採取した結晶がどうなったのかを聞きに行ったのだ。
 他に人のいない部屋で、苦いくせに味は薄いコーヒーをもらう。でも液体は真っ黒だから、不思議。
「……コーヒーにも水色ってあるんですかね?」
「頼むからサーシャがいるところで迂闊に言うなよ」
 〈精霊〉サーシャの紅茶の水色遊びは、最近ようやく落ち着いてきたらしい。
「で、どうだったんですか。結晶は」
 落ち着いたところで、ようやく本題に入る。
 アリサさんの望んだ、魔力で作られながらも魔力がなくても残る結晶は、僕らの望むものでもあった。これがあれば、魔具作りが変わってくるかもしれないし、そしたらリグたちだって研究の助けになる。
「中心部で取れた奴は残った」
 そうして机に置いた青い結晶は、採取したときよりも小さい気がした。どういうことかと2人でアリサさんを見上げると、彼女は肩を竦めた。
「縮んだけど」
 硬そうな割に中身すかすかだったのか、それとも魔力で保ってた部分がなくなったのか。まあ、苦労した甲斐はあったのかな。
 でも、こんなに小さいんじゃ僕らが使う分はないな。
 残念に思っていると、アリサさんがボソッと呟いた。
「……あの、妖精が入ってた結晶、あれ削れたら良いのに」
 嫌な予感がした。ちら、とリグと目配せし合う。同じことを考えているみたいで、互いに頷き合った。
「ねえ」
 表情が割と淡白なくせに、こういう時は目をやたらと輝かせてアリサさんは身を乗り出す。
「行かねぇよ」「行きませんよ」
 ハモったのは、心が一致している証拠。
 採取対象が妖精が入っていた結晶ってことは、あのアンデットを相手にしろってことだ。道中にも厄介な魔物が多いっていうのに、たった一欠片の結晶のためにそんな苦労したくないっての。



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