〈凍れる森〉-3


 鱗の隙間に刺さるように槍の穂先を突き出す。難しいには難しいけど、思ったよりは通る。
 けれどこれにはこれで問題がある。角度が浅いのだ。肌と槍の角度が鋭角だから、どんなに深く突き刺しても臓器には届かない。せいぜい血管を傷つける程度――それはそれでいいんだろうけど――で、致命傷にはなりにくい。
 それをどうにかしようと頑張っていたのが、リグだった。彼は槍を携えて前線に出ていた。そして僕たちと同じように槍を鱗の隙間から突き刺している訳なんだけど、他の人とは違って穂先に炎を纏わせているのだ。これぞ前線に出る魔術師の真価ってところか。お陰で肉が焦げる臭いが漂っている。
 そんなこんなで戦えている僕たちだが、7人もいながらたった1体にまだまだ苦戦していた。というのも、
「蜥蜴なら蜥蜴らしく這いつくばってろっての!」
 苛立たしくリズが叫ぶ。
 そう、この蜥蜴……じゃなくて竜は、2足歩行しやがるのだ。それもただ立つだけじゃない。走る。結構な速さで走る。結晶化した木を削りながら勢いよく走る姿は圧巻で、血の気が引くほどだ。一直線だから躱すのはまあ簡単だが、かすっただけで肉が抉れるので洒落にならない。
 これを見てからリグが後衛に下がることになった。この中で回復系の魔術がある白魔術を使えるのはリグだけだから致命傷なんて受けられたら困るし、加えて彼は守りの術が得意だからアリサさんを守って貰わないといけない。
 それにしても、攻撃と防御と回復兼任ってどうなんだ。
 めげずにちまちまと攻撃する僕ら。武器による攻撃は浅いし、リズの魔術は相性が悪いのか通りにくい。経験の少ないアリサさんは問題外。逃げることももちろん考えたけど、道を逸れて結晶の茂みの中に行くのは躊躇われるし、かといって道を行けば早い足で追い付かれるしで、それもできない。幸い、竜はグラムたちに翻弄されて1人に注意を向けられないから、集中攻撃を受けることはないんだけど……。
「なんでこんなところでどでかい図体ぶん回すかなっ!!」
 身体を勢いよく1回転させた竜の尾がグラムの鼻先を掠る。動ける場所が狭くて、回避するのがぎりぎりで、見極めどころが難しい。長期戦で体力も神経も削られてしまい、機動性が売りのグラムも苛ついてきている。
「あぶねぇ……」
 グラムと違ってリグは竜の回転に巻き込まれたようで、吹っ飛ばされて木に激突した。ただ、尾が当たる前に岩の殻を作り出して全身を包み込んだので、大したダメージはないみたいだ。
 殻の中からアリサさんも出てくるから、ぞっとした。リグがいなかったら死体が1つできていた。
 僕とリズとテッドは距離を取っていたから無事。魔術師と弓士はともかくとして、僕はグラムみたいな芸当はできないから、距離を詰められない。ただ1人、ウィルドはどんな目と反射神経をしているのか、うまく躱していた。
 竜がまた後ろ足で立ち上がる。見てるのは正面に立つグラム。
「させるかっ!」
 リズが描いた魔法陣から水流が迸る。走り出そうとしたところに側面から受けて、押し流された。そうか、氷は効かなくても水は効くのか。
 ふと閃いた。
「溺死させます?」
 水の球とかで頭を覆って。息ができなきゃ、さすがにそのうち死ぬよね?
「怖ぇこと言ってんな」
 苦戦中でもグラムの突っ込みは健在……いや、突っ込みなのか? 彼は。
「そいつは難しいから……」
 リズは杖を2本の剣に変えると、そのうち1本をウィルドに渡した。素早く間合いを詰めた彼は、短めの剣を竜に深く突き刺して飛び退いた。リズの剣が刺さったまま残される。
「これでどうだっ!」
 リズが魔力の塊を飛ばす。それは剣に当たると魔法陣を描き出した。
 リグの杖と同じように特別製であるリズの杖〈オプスキュリテ〉は、少しの間魔法陣を保持することができるのだ。わかりやすく言うならば、魔法陣を描いて術が発動する前の状態を、術者が離れていてもしばらく保っていられるということ。普通魔法陣は術者が傍を離れるとすぐに霧散してしまう。けれどあの剣――というか杖というか――は、霧散するまでの時間を遅らせることができるのだ。
 因みに、リズの棒手裏剣もそれができる特別製。だから彼女は一度投げた棒手裏剣を戦闘後にいちいち回収してたりする。
 今回もそんな風に使われたリズの剣は、青色の魔法陣を描き、竜の身体を濡らしていた水を凍らせながら棘を作り出す。水は鱗の下まで入り込んでいるはずだから、きっと大きな氷の棘が肉に直接突き刺さっているはずだ。
 伏せた竜の身体の一部が赤く染まる。相当深くやったみたいだ。
「やるなぁ」
 感心したようにグラム。のんきに遠くを見るように目の上に掌を翳している。
 その竜が立ち上がるのに足に力を入れるのを見た。
「まだ生きてるか」
 リズが悔しそうに舌打ちする。
「もういっちょ!」
 なんて嬉しそうにグラムが声を張り上げるけど、
「武器手放せって?」
 リズは正気を問うかのようにグラムを白眼視した。確かに同じことをしたら、リズの手から防御にも使える武器がなくなる。
「じゃあどうしろってんだよ!!」
 地団駄を踏んでから後ろに飛び退いた。竜がグラムに殴りかかるように腕を振ったのだ。氷の棘は深く刺さっていたと思うけど、それでもこんなに動けるなんてどんな化け物だ。
 さすがにいつまでも傍観している訳にもいかなくて前に出る。間合いも詰められるようになったしね。顔の前に槍を突き出してグラムに向いた注意をこちらに向ける。
「泣き言言わない」
「もう一押しです」
「わかってるよ」
 戦闘中だっていうのに、きれいに会話が流れている。まるで呼吸するかのように話しているみたいで、グラムたちの付き合いの長さが伺える。4年も一緒にいるってのはやっぱり大きいな。
 宙を切って矢が飛ぶ。テッドの矢は何本か竜の身体に刺さっていた。僕の魔具を拒絶するだけのことはあるんだな。でも、使えばもっといいだろうに、意地っ張りめ。
「影は鎖。絡めとるは身の自由」
 呪文。リズの黒魔術だ。リズが右手を竜に向けて突き出すと、ローブの袖の中から黒い鎖が伸びて巻き付いた。竜は束縛から逃れようともがくけど、千切れるはずもなく横倒しになった。影からできた魔法の鎖なのに、じゃらじゃらと音がするのが不思議。
 好機とばかりに全員が武器を構えた。リグが穂先に炎を纏わせて突っ込み、肩口に思いきり突き刺した。かろうじて自由な、暴れる右手をグラムが剣で地面に縫い付ける。
「口だ!」
 グラムが叫ぶ。僕は正面に回って、悲鳴が漏れる口の中に鉾槍を突っ込んだ。穂先は深く潜っていくのに突き刺さる感触がなかなか来ないから、ちょっと気味悪い。
 喉の奥に穂先が刺さるのと、脊髄の辺りにウィルドが剣を刺すのはほぼ同時。さすがにこれだけやれば手強い伝説の生き物も絶命した。
 竜が横倒しになると、影の鎖が消える。
「なんとかやったぁ……」
 グラムは前足を縫い付けた剣を抜いて、だらりと背を曲げる。疲れた、んだろう。僕も疲れた。
 死体から鉾槍を抜く。……うわ、唾液が付いてる。拭くものないかな。
 リグとウィルドも死体から武器を抜いた。そうして一息吐いたところで、アリサさんがくいくいとリグの袖を引っ張った。
「なんだ?」
「これ欲しい」
 リグの袖を引っ張った手で竜の死体を指差す。途端リグが固まった。
「……えっと」
 どうしろと、と僕らの間を視線が彷徨う。
「鱗。剥がして」
 ああ、そっか。あの竜の鱗が結晶化してるから、調べてみたいのか。
 納得いったリグは1つ頷くと、グラムに向けて顎をしゃくった。
「グラム」
「おれ!?」
 えー、と不服そうに唸ってグラムは竜の死体の方を向く。確かに鱗硬いから一苦労しそうだもんな。
 押し付けられても面倒だから、こそこそと竜から離れる。ウィルドもリズの剣を返す振りをしてそそくさと死体から離れた。
「さっさと剥がして先に行きましょうよ」
 焦れたテッドが前に出て、短剣を取り出して鱗の下に突き刺した。が、うまくいかない。それどころか剣も抜けなくなった。
「……」
 テッドはだらりと両腕を下ろして、残った短剣の柄を睨み付けた。その顔はむっつりと不機嫌そうだ。自分の思い通りにいかなくて、気に入らないんだろうな。
「なにやってんだよ、お前」
 仕方ないとばかりにグラムが代わると、程なく簡単に抜けてしまった。そして自分の剣を抜くと、上手に動かして鱗を周囲の肉ごと切り取った。嫌がってた割りには手際が良い。
 その肉からテッドのナイフを使って、器用に鱗を剥がす。そしてアリサさんに渡した。
「ほら」
 受け取ったアリサさんは、鱗を翳すように持ち上げて、いろいろと角度を変えながら眺めた。表情変化に乏しいくせに、その目の輝いていること。
「ありがとう」
 ようやく満足した彼女の頬はこのうえなく上気していた。
 やっぱり彼女も研究者か。



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