〈凍れる森〉-2


 結晶に覆われた森の獣道。僕らは隊列を組んでそこを歩いていた。割と広めの道で、人間2人並んでいても障害物に当たることはほとんどない。
 〈凍れる森〉の中はやはり神秘的だった。さっきは青と白、なんて言ったけれど、角度によっては虹色に輝いてもいる。木陰であってもきらきらと輝いているので、深めの森なのに結構明るかった。
 幻想世界を彷徨っているよう。だけど、僕らは居間現実を見つめていた。
「こういうところに居る魔物って、どんなのだと思う?」
 不意に――でもないか、たぶん全員同じこと考えていたから――グラムが尋ねる。
「硬そうだよな。でないと、結晶で傷付く」
 至極真面目にリグが答える。
「だよなぁ。獣道がちゃんとできてるんだもんなぁ」
 そう、人間が2人並んでも普通に歩けるほどの幅の獣道が。
 グラムが尋ねたときと同じように、突然沈黙が訪れた。遠くでなにかが這いずっているような音がする。そりゃあなにかいるだろう、森なんだもの。
「……あんまいい予感しないんだ」
 これには誰も応えなかった。
 がさがさと、さっきよりも近く音が聞こえる。全員が武器を取り出した。
 グラムが手振りだけで指示をする。剣を持ったグラムとウィルドが前列。真ん中を広く開けて道の端のほうへ立つ。僕と同じで〈青枝〉所属のウィルドは小隊の人間じゃないのだが、剣の腕はこの中で一番だ。
 その後ろ中列には魔術と白兵、どちらもいける僕とリグ。リグは杖を槍に変化させていた。後列には、リズとアリサさんとテッド。リズとテッドが前のほうに出てアリサさんは少し後ろ、三角形を作るように立っている。これはアリサさんがあまり戦闘が得意でないから、逃がしやすいように。
 できればやり過ごせないかと、気付かれないように声を出さずにいたけれど、やはりそれは期待できなくて。
 前方からのそのそと現れた。
「うわぁ」
 それを目にした途端グラムが間抜けな声を上げる。それに続いて双子たちが気の抜けた声を出した。
「え、竜?」
 竜。それはまるでトカゲを馬鹿でかくしたような生き物で、硬そうな鱗と、大きな牙と、鋭い鉤爪を持っている。背中には蝙蝠みたいな羽根が付いていて、そこにも鉤のようなものが付いている小さな羽根だから飛べそうにもないけど、この種は付いていることに意味がある。身体の大きさはまちまちらしいが、今僕らの目の前にいるのは、人間の3倍程度の大きさ。
 もちろん、言うまでもなく魔物である。
「なんでこういう厄介なのがいるかな」
 なんというか想定外すぎて、もはや怯える気も失せてしまったらしい。心底迷惑といったリズの呟きに、諦めを滲ませたウィルドが答える。
「人間は、特にこういった生き物を好みますから」
 魔物は昔伝説とされていた生き物を真似て作られた生き物だ。伝説になる、ということはこういう生き物がいればいいって思っていたってことで、つまり好きってこと。そんな生き物が作れるとなれば、そりゃあ作ってみたいと思うかもしれないが。
「200年前に行って、これ作った奴を殺してきたい」
 それと遭遇して戦うほうとしては全く洒落にならない。魔物嫌いの僕じゃなくてもきっとそう思うはずだ。ぶっ殺して、なかったことにしたい。神様であっても時を遡るなんてできないから、こうしてこんな生物が残っているわけなんだけど。
 僕の背後から、黒い大きな針のようなものが飛んでいく。リズの棒手裏剣。それはちん、と音を立てて鱗に当たり、突き刺さらずに落ちていった。
「……硬い」
 抑揚のない声でリズは言う。
「当然でしょ。女の人の投擲であんなの刺さると思ったんですか」
 呆れるどころか、完全に馬鹿にした風にテッドが言うので、思わず振り向きかけてしまった。敵前でそんなことするわけにはいかないから、なんとか堪えたけど。テッドの奴、反抗期だからっていくらなんでも無礼じゃないの。
「……わかってるっつの」
 苛立たしげにリズは小さく吐き捨てる。経験のほとんどない後輩に馬鹿にされるのは、そりゃ腹立たしいだろう。リズだって決して考えなしで棒手裏剣を投げているわけじゃない。それを同じ隊のテッドが知らないとは思えないんだけど。
 そんな殺伐とした後列とは一転、前列は棒手裏剣が竜の身体に刺さらなかった事態を冷静に受け止め、考察していた。
「武器はあまり効かないかな」
「魔術のほうも風はほぼ無駄でしょう。結晶を削る鱗ですから、氷や地の術も生半可なものではおそらく効きません。火炙りできればいいのですが」
「燃えそうにないけど」
「熱は防げないでしょう」
 うーん、と言ってグラムは考え込む。言葉だけの描写じゃわかりにくいだろうけど、この間にグラムたちは敵との睨み合いを真剣にやっている。
「……よし。おれとレンとウィルドで隙を突く。リグとリズは火の術メインで、テディも後方で援護な。アリサのことはリグよろしくな」
 指示が下れば、さすがに仲間の誰が気に入らないとか言ってられない。全員が気を引き締めて、目の前の魔物に集中する。
「よし、散れ!」
 腹から出たグラムの一声で全員が動き出した。素早い動きでグラムが正面に、ウィルドが側面に回る。僕は右側へと大きく回った。
 グラムたちの小隊には、基本的に前で踏ん張る人間がいない。リグとリズは近接戦もいけるけど魔術師だし、グラムはスピードファイターだから装甲が薄め。新入りは弓使いで、たまに助っ人に入るウィルドは隙を突いた攻撃が得意。だから彼らは敵の注意を1つにばかり向けさせない戦い方をする。
 素早く竜の首元に潜り込んだグラムが首筋に剣を振り下ろす。金属がこすれる嫌な音が響いた。
「駄目か」
 舌打ちをしながらさっと後退し、首を掻くようにグラムをひっかこうとした鋭い爪から逃れた。次いで鼻先で剣を振った。これも鱗に阻まれる。
 斬れないなら割ったらどうか。グラムを見ていた僕はハルベルトの斧頭を振り下ろしてみた。がちん、と嫌な音が鳴って跳ね返る。岩を叩いたみたいな感触だった。……ああ、鱗が結晶化してるのか。まさに結晶の森にふさわしい生き物ってわけだ。
 これじゃあたぶん、火も駄目だな。リズとアリサさんが火球を飛ばしているけど、肉が焼けることも、鱗が焦げ付くこともない。
ポーチから紙の札を取り出した。久しぶりの〈魔札〉。魔力を流し込んでやれば、氷の矢が飛んでいく。けれど当たった途端に氷柱の先が砕けてしまった。ウィルドの言う通り、生半可な物じゃ効かないんだろう。
 ……これ、倒せるの?
 ふと前にリズに借りた英雄物語を思い出す。その物語の英雄は1人で竜を倒し、全身にその血を浴びたという。できるかそんなこと。1人で挑むのも、全身に浴びるだけの血が出るほどの傷を負わせることもできそうにないよ。
 逃げたほうがいいんじゃないかって思いはじめたとき、珍しくウィルドが叫んだ。
「鱗の隙間から剣を突き刺してください! 鱗の下は通ります」
 ってことは通したのか。竜から距離を取ったウィルドの剣を横目に見ると、確かに血で汚れていた。
 なるほど、確かに鱗なんて張り付いているだけだから、鱗の生え方に沿って剣を差し込んでやれば肉に突き通るわけだ。納得して思う。難しいって。
 愚痴が多いというなかれ。相手は動いてるんだよ。だというのに、一定の角度つけて突き刺せって、どれだけ器用なこと要求してるんだ。
「ああ、もうっ!」
 自棄だ自棄。やってやる。



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