巻き込まれ恋愛騒動-2


 扉を開けて、外にいた2人を招き入れる。男の怒鳴り声が外まで聞こえて怖かったのか、入ってくるなりティナが僕にしがみついてきた。喋れなかったときの癖が抜けなくて、こういうときは声が出せないみたいだ。まあまだ喋れるようになったばっかりだしね。
 ぽんぽんと宥めるように背中を叩いてやると、ますます力を強めた。頭を撫でてあげたいほどに可愛いが、他人のいる場所で大きな耳を隠すキャスケットは取れない。
「うわ……ミンスさん、大丈夫ですか?」
 ティナに続いて入ってきたリオは、負傷しているミンスが真っ先に目に入ったようだ。近づいて傷を見て、すぐに治療術を掛けてやっていた。
 顔の痣が消えて、すっかり元の見た目は良い男に戻る。
「まず言っておくが、俺は絵描きだ」
 よくよく周囲を見渡せばわかることを敢えて口にしているけど、それだけ男が冷静じゃないってことだ。そう前置きしておかないと話が通じないと思ったんだろう。
「絵を描くのを生業にしている。なんでも書くが、基本人物画が多いな」
 神話題材ではアリシア。この前は魔族のエルザ。確かに人物画が多いな。それも女性の。
「それで、彼女はモデルだ」
 まあ、そんなことじゃないかなとは思ってたけど。
「嘘を吐け! だったらなんで脱がせているんだ!」男のほうはとても信じられなくて、喚き散らした。
それにミンスも釣られる。
「今手がけているのが裸婦画だからだよ!」
 彼はそれでも信じない。まあ、言い訳臭く聴こえるのも無理はないと思うけど。絵のためとはいえ、自分の恋人が他の男の前で脱いだなんて、普通は信じたくないもんね。
「怒鳴るの止めてください2人とも。ティナが怯えています」
 ぐ、と2人は喉を鳴らす。男の人がある程度良識のある人のようで、ばつが悪そうな顔をした。
 しかしまあ、不可抗力とはいえ、子どもになんつーもんを見せてしまったんだ。この子には変な知識は得ないで欲しいんだけど。
 リオがキャンバスを覗き込んで「あ、ほんとだ」と呟いた。場所もさっき女性が立っていた場所に向かい合う位置にあったその絵を覗き込んでみる。さすがに下書きの段階で白黒の線で大まかにしかわからないが、裸の女性が柱――木か? これは――にポーズを取りながら凭れているらしい。絵とモデルの雰囲気が違うような気がするけれど、絵を描いていたというのは疑いようもない。
 しかしさすが画家。裸なのに嫌らしさを感じない。神秘的かつ清廉としていて、神話や伝説の挿絵のようだ。
 でも、なんだか女性の印象が違うような気がするんだけど……。
「とにかく、すべて誤解だ。彼女の魅力は否定しないが、どうこうする気は全くない。彼氏がいるならなおさらだ。あんたの存在を知らずに裸体を見てしまったことは申し訳ないが、彼女にも責任があることをわかってくれ」
 さすがのミンスの説得に、男も納得しかけているようだったが。
「そんな、酷いわっ! あんなに熱心に口説いてきた癖に、放り出すなんて!」
 女性の言葉に、再び全員の目がミンスに向いた。突っかかろうとした男の人を、ミンスに胡乱な目を向けるヨランが押しとどめる。さすがのリオも白い目を向けた。
 たちまち味方を失ったミンスは狼狽える。助けを求めて視線を彷徨わせ、僕たちへの説得は諦めたのかどもりながら訴えた。
「いや、でも俺、言いましたよ? もしよろしければって。契約書もきちんと交わしましたよね?」
 首を左右に振ってあちこち見回したあと、キャンバス横の絵の具皿だらけのテーブルの上から紙を引っ張り出した。それを1人1人に見せつけるように突き出す。確かにミンスが言った通りの内容とサインが書かれていた。
「私との関係はこんな紙切れ1枚で済んでしまうというの!?」
 ……なに、この展開。
 女性はミンスに女として口説かれたと思っているのか? でも、契約書書かされたのなら、普通そんな勘違いはしないはず……。
 そんなことを考えながら、ミンスに詰め寄る女性に僕は距離を置く。腰の辺りにしがみつくティナがあまりに怯えて可哀想だ。
「済みますけど……これ、どういう流れ?」
「僕に訊かないで」
 ついていけないのはこっちだってば。
「とにかくお願い、私を見捨てないで! あの人の下に帰りたくないの!」
 必死にミンスの襟元に縋る彼女の一言に、僕たちは得心が行った。近寄ったヨランが僕に小声を漏らす。
「……もしかして、痴話喧嘩に巻き込まれた?」
「そうみたい」
 察するに、彼氏と喧嘩して、家を飛び出して? ミンスに声を掛けられたから恋人への当て付けについていってモデルをしたところにその恋人が乗り込んできた、と。で、喧嘩の熱が冷めなかった彼女はミンスを新しい恋人に仕立てあげようとしたのかな。ミンスもそれなりに見た目が良いから、誘われてその気になってあわよくば、なんて思ったのかもしれない。……思うかな?
 とにかく、無茶があるが、僕らは今、女性の狂言に巻き込まれているのだ。
 そうとわかれば、再燃したカップル2人を置き去りにして場は白けた。なんて馬鹿らしい、とヨランは頭を抱え、リオは放心。僕はミンスに言い放つ。
「迷惑だから帰ってもらって。さっきからティナが震えてる」
 遠い目をしていたミンスは、ゆらゆらと首を縦に揺らした。
 ヨランが男を放り出し、僕とミンスで彼女を宥めながら追い出す。彼女は抵抗したが、容赦しなかった。相手は女性だが、下らないことに巻き込まれた上に、今は治っているけど友だちに怪我させる原因を作った人の事情を聴いてやるほど、僕も心は広くない。
 扉を閉めてから彼女の恋人が暴力男だったら、と不安が過ったが、考えてみれば彼女は服を脱いで見せたのだから、身体には傷1つないはずだ。きっと大丈夫だろう。

 お茶を入れて、一息ついて、ようやく人心地着いた。散らかった部屋を適当に片づけて、座れそうなものを引っ張り出してそこに落ち着く。ティナはソファに座らせ、見つけた中で可愛いマグカップを渡す。さすがに画家だけあって、こういった物のセンスは結構いい。
「悪かったな。まさかこんなことになるとは」
 さすがに疲れたのか、ミンスはテーブルに腕を乗せて体重を預け、そのまま謝罪した。誠意の欠片もない謝罪方法だが、あの騒ぎの後じゃあ咎める奴はいない。
「ホントにな」
 にべもない返事をするのはヨラン。事態のあまりの下らなさにすっかり気力を失したようで、答えがいちいちおざなりになっている。
「ティナも本当に悪かった」
 ようやく落ち着いたティナが小声で大丈夫、と返すと、3人は妙に感慨深げに彼女を見る。喋られなかった子が喋られるようになったのだから、それはもう感動ものだ。
「ああ、でもあのタイミングで来てくれたのは助かった。じゃないとどうなってたか……」
 さっきの話に戻って、ミンスは傷の消えた顔を撫でる。ホント、あのまま放っておいたらどうなっていたんだろう。ミンスはあちこち殴られてぼろぼろだった。だからこそ美人局なんて言葉が出てきたんだけど……。
 ってよく考えてみたら、これって傷害罪じゃないか? 結果誤解だったが彼女を取られた報復にしてもやり過ぎだし、そういえば謝罪もなかったし。
 よし、あとで被害届を出しておこう。名前を聞き忘れていたが、モデルの女性の身元は契約書に書いてあるみたいだし、ここから辿ればあの男が誰なのかは自然とわかるはずだ。
 そうだそうしよう、と黒いことを考えてた僕とは違い、リオはリオで別に気になることがあったようだ。
「何故あの絵にわざわざ人間のモデルを? あの絵の女の人、エルザさんをイメージしたんですよね?」
 エルザを思いだし、描きかけの絵を見てみる。ああ、本当だ。だからモデルの人と印象が違ったのか。
「彼女にモデルを頼めばよかったのに」
 そしたらあんなことに巻き込まれなかったのに。
 って軽い気持ちで言ったんだけど。
「あの人にそんなこと頼めるか!」
 何故か慌てたように声を張り上げたミンスに、僕らは黙した。急に大声だしたのに驚いたのももちろんだけど……。
「……まさか、お前」
 これにはヨランも身を乗り出した。16歳、この手の話には、男女関係なく興味津々だ。もちろん僕も。その一方でこうも思うわけだ。
「……不毛な恋を」
 相手は魔族で寿命も違う。ミンスが良いと言っても、エルザが受け入れるかどうか。仮に相思相愛になったとしても、そこからが大変そうだ。間違いなく周囲は反対するし、特にアーヴェントは頑固親父っぷりを発揮するに違いない。
 これで女の子だったら、“障害の多い愛”ってことで燃え上がるのだろうけど、生憎僕らはそこまでロマンチストじゃなかった。故に“不毛”。
 ……ところで、アーヴェントとエルザ、2人の関係ってなんなんだろう? 一見して族長とその秘書だが、まさか恋仲じゃあるまいな。男と女が一緒にいるからってそんな風に考えるなんて、これぞ下衆の勘繰りなんだろうけど。
 いや、今はミンスの話だった。
「そんなんじゃない。ただの憧れだ。あんな綺麗な人見たことないから……」
 視線を逸らして俯き、ごにょごにょと続けるミンスを見て、僕らは確信した。
「恋だな」
「恋ですね」
 照れながらも素直になれないミンスの反応は、どう見ても恋を知ったばかりの10代前半の反応だ。いや、彼は19だけど。
 しかし、ふーん、そうなのか。
「本命の人が手に入らないから、代わりの女を探したんですかぁ? 最っ低ー」
 からかってやれば、秘密を暴露して動揺しているミンスは面白いほどに反応した。
「そういう言いかたは人聞きが悪いからやめろ!」
 否定するけど、ようはそういうことなんじゃないか。実際は恋愛脳してないってだけで、身代わりは身代わりだ。
 ――と指摘すると、思うところがあったのか押し黙った。
「……しばらく、モデル雇うのやめる」
 さすがにそれは極論だけど、そのほうがいいんだろうな、とちょっと思った。



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