雨と声と 雨霧の向こうに大樹が見える。 長い旅路も今日で終わり。そう思うとついつい早足をさせてしまいそうで、手綱を握る腕に力が籠る。鬱陶しい雨粒もじめじめした空気も気にならない。帰る場所があるってこういうことなのか、と思う。ここ数年縁がなかったから忘れてた。 シャナイゼは、僕らが数日旅に出ている間に、雨季が到来していた。沙漠を越え草原に入って1日、雨に降られると〈木の塔〉の一部の連中の間で騒ぎになった。聞けば彼ら、街ではなく周辺の農村の出身で、いつまで経っても降らない雨に不作の心配をしていたのだという。事なきを、というわけにはいかないが、最悪の事態を避けられたことに喜び、野営地では宴を開くまでに至った。仕事中じゃないのか、とか、食糧計画的に使えよ、とかも思わなくもなかったけど、それ以上に草原のど真ん中で騒いで魔物が襲ってきたりしないかが気がかりだった。いや本当にシャナイゼの人間の行動かよ。 幸いにしてその夜は魔物の襲撃もなく、また往路のようにヒューマノイドの襲撃もなかったので、かなーり楽な旅路だった。 それにしても、近くに沙漠があってこの辺は乾燥地帯だけど、そう遠くもないところに緑深く生い茂る森林も存在するのだ。短い距離で気候の変動が激しすぎじゃないだろうか。 ……いや、まあいいか。快適に暮らせるなら、住んでいるところが変な場所であろうと気にすることはないや。 隣の馬車の幌の下で小さな影が動く。商人の息子がちらちらと外を窺っているんだろう。なんでも前回来たときにペットに逃げられてしまったとかで捜しているらしい。さすがに土地が土地だ、他のご家族は諦めているようだけど、まだ小さいその子は諦めきれないようだ。 一応補足をしておくと、この商人の一団は全部で6人。夫婦2人に17歳になる長男、14歳の長女、そして5歳になる次男に使用人1人の家族。落ち着きがないのは、もちろん5歳の子だ。 この子どもだけど、よく喋る。聞いてもいないのに、いろんなことをぺらぺらぺらぺら。その逃げられたペットの話も向こうが勝手に話したので知ってるわけです。 子どもってこんなにうるさいだろうか。 身近な子どもを思い浮かべる。思い当たるのは、ティナとアーシャさんの妹のエリナちゃん。ティナは……置いといて、エリナちゃんは元気な子だけど、騒がしいっていうほどじゃない。 ティナが喋ればにぎやかになるんだろうか……? 喋れるようになれば良いと思うが、できれば静かな子であって欲しい。子どもの甲高い声が苦手なんだと、この帰路で知ったから。 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ シャナイゼの街の中は、木の天蓋によっていっそう暗かった。悪天候に夕暮れ前ということも相まって、通りを歩く人は少ない。僕の家は治安が悪い場所に近いためになおさらだ。ぼんやりと光る街灯が幻想的なうえに不安を誘う。 すっかり濡れてしまった服を不快に思いながらもハルベルトを杖代わりに街中を歩き、ようやくヴィスの店へと着く。入り口に立つだけで胸から何かがあふれてきそうだから不思議だ。僕にとって郷愁を呼び起こすのは、サリスバーグじゃなくてこちららしい。 長かった約2週間。ようやく帰ってきた。 店の中に入ると一気に倦怠感が襲ってきた。その場に座り込みたいのを堪えつつ、魔術を使って濡れた服の水気を集めた。水の球を作った後、周囲に誰もいないのを確認してから道路に放り捨てる。パシャッと音を立てて弾けた。 魔術は便利だと思う。こんな方法で服をある程度乾かすことができる。火の術があればさらに乾かすことができるんだけど、僕はあまり火の術は向いていないようなので諦めた。金属を曲げられるだけの熱は出せても、服を燃やさずに水分を蒸発させるほどの熱を維持するのはできない。つまりコントロールが下手なのです。これは火に限っての話。僕の矜持に掛けて! 服はなんとなく湿っているくらいまで乾いた。まだ気持ち悪いが、迷惑をかけるほどじゃないからいいか。 店は悪天候ゆえかすでに閉店。誰も居ない。ルビィたちは居間にいるんだろう……って、店の入り口開けといて誰も居ないって、万引きされないか? 僕は助かったけど。 店のカウンターの向こうの扉から居住スペースに入る。 「ただいまー」 「おかえり」 「おかえり……なさい」 ……あれ? 声が1つ多い。 変に思って顔を上げると、ルビィが意味深に笑っていた。 部屋の中にはルビィとティナ。お客はいない。それってつまり。 「え……ティナ!?」 びっくりして思わず叫んでしまえば、狐の特徴が混じった女の子は恥ずかしそうに顔を赤らめもじもじする。緊張の所為なのか、あらゆる方向からの音を聞きとるかように耳が動いている。 「喋れるようになったんですか!?」 ティナはますます顔を赤くして俯いた。視線が右左と彷徨っている。 そんな様子を見て、ルビィはくすりと笑った。 「お兄ちゃんが帰ってくるまでに喋られるようになるんだ、って言ってね、2人で頑張ったのさ」 「うわー……」 凄いな。いつの間にそんな努力をしてたんだ。僕が出掛ける前はそんな様子はなかったから、本当に2週間足らずで克服したのか。どんな風に練習していたんだろう。様子を見れなかったのは残念だな。 「それからもう1つ。ティナはうちの子になったから」 その意味を正しく飲み込むのに少し時間が掛かった。うちの子。つまり、正式に養子にしたと……? なにそのサプライズの連続。いや、それより、 「え、いいんですか、それ」 彼女は迷子だ。この歳でそれなりに生きているんだから、保護者が居たはず。ティナが喋れなかったことを考えるとどうせ碌な保護者じゃないんだろうが、万が一ということもあって止めておいたのに。 「その子たっての希望だよ」 予想通りってわけか。どうしても帰りたくないんだな。よっぽどの目にあったんだろう。 ――まったく、この子になにをやったんだろう。見つけ出して、問い詰めて、場合によっては……。 「なに考えてんだい」 呆れたルビィの声に我に返った。いけないいけない。ティナの前で物騒なことを考えてた。 なんでもないです、と首を振る。 お腹がすいた、と言ったらルビィが準備を始めてくれた。ティナもルビィを手伝いに台所に立つ。疲れて帰ってきた身とはいえ、このまま椅子にふんぞり返って待つのは気が引けて僕も手伝おうとすると、「お兄ちゃんは、すわってて」とたどたどしくティナが言った。 ……ヤバい、可愛い。ふさふさ尻尾とかピコピコ動く耳含めて可愛い。 我ながら、すごい掌返しだと思う。すべての魔物を嫌っていた僕は何処に行ったんだか。でも、犬も3日飼えば可愛いって言うからな、それでかな。 それはともかく、そんな風に言うんだから、お言葉に甘えて座ってることに…… 「風邪引くから、先に服着替えて来な」 ルビィの言葉に従うことにした。 部屋に行って服を脱ぐ。もう外に出ないことだし、と適当に服を掴む。下を替え、上を替えようとして、部屋着にしてもあまりに奇妙な組み合わせだったことに気付いて、仕方なく箪笥を漁った。灰色と黒なんていたって地味な組み合わせに落ち着き、濡れた服を洗濯籠に放り込むと、リビングに戻ってくる。 ティナが温かいお茶を入れてくれていた。それをすすりながら、2人が食事を作るのを眺める。トントンと野菜を切る音に混じって雨の音が聞こえる。1年にちょっとの間の雨の季節。この地では晴れている日の多いから、雨音がするのは不思議な気分だ。 「雨はいつ降り始めたんですか?」 「今週の始め頃だ。だいぶ遅かったよ」 ずれただけで期間はさほど変わらないだろう、と気象の専門家が言ったらしい。それじゃあ、付近の村は安心だ。 「明日からはどうなんだい?」 「3日休みを貰いました」 向こうで1日遊んだ日はあるとはいえ、2週間仕事の都合で出掛けていたのだ。帰ってきて、いきなり働け、なんてさすがにそんなひどいことを言う勤め先じゃない。 「なので仕事手伝えますよ」 2週間ルビィ1人だったのだ、放置していた魔具がいっぱいあるはずだ。 「そりゃ有り難いが、1日くらい遊んだらどうだい。若いんだし」 「弟子に対して言う台詞じゃないですよ、それ」 こういう技術職の師匠って、むしろ寝たり遊んでいる暇があったら修業しろって言うものじゃないのか。僕、これでも楽しているほうだと思っているのに。 「ヨランとかいう友だちも休みだろう。ティナを連れて、どっかに遊びに行ってくんな」 それが目的だったか。じゃあはじめからそういえばいいのに。やれやれと肩を竦める。 「僕がティナで動くと思ってます?」 魔物嫌いが魔族のことで動くとどうして思えたんだろう。確かに僕は克服したけど、それにしてももう少し疑いを持つんじゃないだろうか。 自分の名前が出たから、ティナは呆然と立っていた。あ、なんか傷ついた目で見られてる。言いかたが悪かったか。けど、ルビィには正しく伝わったみたいで、背を向けたままだったのがようやくこっちを振り向き、 「動くだろう?」 「……動きますとも」 悲しいかな、新しい妹を気に入っていることは、すでに見抜かれているのであった。 ――あ、そういえば、お土産あるんだった。後で渡そうっと。 [小説TOP] |