苛む過去-5


 町の入り口で身分証を見せる。〈木の塔〉の人間であるという証明。国の間が陸続きで簡単に入国できるミルンデネスだが、治安というものを守るために町で自らを証明するものを見せなければいけない。国境で、でなく町なのは、果てしなく続く目に見えない国境線を監視するのが無理だから。柵を作ったりするなんて方法もあるが、それは結局越えられるし、財の無駄だし、下手すれば国境線をめぐって戦争なんてことになるのでしない。
 身分証を貰う方法はいろいろあるが、組織に所属するっていうのが1つの方法。組織に居れば身元は保証されるので、他所者に被りがちなトラブルを防ぐことができるし、なにか問題があったときに国が組織に問い合せすることができる。組織側にしてみれば、人員の把握はもちろん、いわゆる“語り”なんかを防ぐこともできる。まあ、偽造がないこともないけれど、ある程度対処はできるので、そう問題ではないんじゃないかな。
 身分証を見せたあと、宿に向かう。僕たちが泊まるのは、一部屋に大人数が収用される安価な宿だ。ベッドは確かに硬かったが、疲れた身体にはなんとも魅力的だった。今すぐに沈んでしまいたかったが、汗と砂だらけだったため、それも拒まれた。けど、風呂は真っ先に女性陣に占領されたため、眠いけど寝られない辛い状況にしばらく立たされた。
 諦めて寝てしまった者は多かった。けど僕はとにかくさっぱりしたかったので、耐えた。その結果風呂の中で少し寝てしまったりした。
 仮眠を取って、夕方に目覚める。疲れは大体取れた。寝起きで頭がちょっとボーっとするけど、身体は軽い。
 掛かっていた布団を押しのけ、裸足のままベッドから降りた。
「起きたか」
 立ち上がって正面、つまり僕の隣のベッドで、シャツ1枚姿のニール隊長が気怠そうに雑誌を読んでいた。宿の広間にあったやつを持ってきたのか。
「おはようございます」
「もう夕方だぞ?」
 と言われても、他に起きたときの挨拶を知らないんだけど。
 僕らの会話で覚醒したのかヨランも起きたみたいだ。けど、目蓋が半分閉じたままで、頭もぼさぼさで服も乱れまくっていた。女の子が居たら絶対枕を投げられている、だらしない姿だ。
 とりあえず、あいつは無視。
「帰りだが、またキャラバンを護衛することになってる。そのキャラバンは明日の夕方ごろに到着するらしい」
 連絡事項、らしいが、ニース隊長は雑誌に目を向けたままだ。やる気あるのかなって思うが、やることはやってるので言うのも憚られる。
 しかし護衛か。またか。人に気を使うの疲れるんだけどな。仕事だからお金入るだけいいけど。
「ってことは出発は明後日? それまで暇ですか」
「そうだ。だから明日までは遊んでていいぞー。あ、でも町にはいろよ? なにかあるかもしれんから」
 ということで、ヨランと町中に遊びに行くことにした。
 半分寝てるヨランをせっついて身支度させ、僕自身も外に出られる格好にする。今の時期は夜でも暑いので、気に入っている真っ黒な上着(これだから沙漠越えがきついんだって言われた)は羽織らずに置いていくことにした。
 外に出れば、さすがにヨランも目覚めたらしい。さっきのみっともない姿はすっかり鳴りを潜めて、すっきりとした表情で立っている。
「で、どうしようか?」
「とりあえず、腹減った」
 確かに、お腹すいた。
 ティエナの町は、沙漠から西、半日足らずの距離に位置する。周囲はぽつぽつと色の悪い草が生えていて、まだまだ荒れ地と言ってもいいような場所だ。その中に立つ町は、黄褐色のそっけない、砂と砂利を混ぜて作った壁の建物でできている。が、人の行き来は多いだけに、その規模は大きくにぎやかだ。今は夕方で少し落ち着いてきたみたいだけど、着いたときには商人たちの集客の声で騒がしいくらいだった。
 黄土色の町中を歩き回ると、砂が入る所為か、布で頭を撒いた人と多くすれ違う。サリスバーグ出身の僕でも、異国に来たんじゃないかと思ってしまうような異色な町だった。
 少し落ち着いてもなお騒がしい町の中を縫うように歩いて、それなりに大きな食堂を見つけた。人気の大衆食堂って感じの店だ。少し早い時間だから人もまばらで、すんなり席に案内された。
「おすすめは?」
 ヨランがシャナイゼで食べられなくてサリスバーグで美味しいもの、を聞いてくる。農産物ばっかのシャナイゼと食の趣が違うから、なに選んでいいかわからないんだろう。
「海のものがいいよ。ここもそう遠くないし、新鮮なものがあるはずだよ」
 確かここから南に馬で数時間のところに、漁村があったはずだ。きっとそこから海産物を持ってきているに違いない、とメニューのページを次々に捲る。
「……あ、ほらやっぱり刺身ある」
「刺身?」
 知らないのか。シャナイゼは海ないし、海魚を新鮮なまま運搬するのも難しいし、刺身なんてものがないのか。
 とにかく懐かしいので、注文。他に貝のパエリアと海老のピラフを頼む。しばらく待つと、みずみずしい赤身と透き通った白身のお刺身が皿にのってやってきた。
「って生魚かよ! 食って平気なのか?」
「海魚は川魚よりは平気だよ。冷蔵運搬しているから、まだ新鮮らしいし」
 サリスバーグで冷蔵運搬ができるようになったのは、確か5年前だ。薄い金属の板で荷台を作り、その中に冷気を発する魔石を入れて低温を保たせているらしい。そうして断熱性のある箱に氷と一緒に魚を入れれば、馬で海から2〜3時間くらい離れた場所でも新鮮な魚を届けられるようになったのだとのこと。荷台は少ない魔石で済むよう、様々な工夫がされているとか。
 そんな風に運ばれてきた魚は、こちらでもうまいこと保存してあるはずだから、1日くらい生で食べても問題ないはずだ。
 それでも、ヨランは生魚に抵抗があるらしい。
「食べたくないなら、僕1人で食べるからいいよ」
 久しぶりの生魚。シャナイゼでは食べられないんだから、ここで食べない手はない。独占できるなら、それも上々。
「……ちょっとわけてください」
 というので一切れわけてやる。口にしたヨランは、生臭いとか言ってそれ以降手を付けなかった。そんなに生臭いかなぁ。さりげなく鼻を近づけて嗅いでみたけど、特に感じない。シャナイゼでは魚が出ることは少ないから食べなれてないんだろうけど、そのぶん敏感なのだろうか。
 でも温かい料理は気に入ったらしく、美味しそうに食事を掻き込んでいた。食の嗜好がある程度合うのは好ましい。
 久しぶりの海鮮料理を堪能していると、いろいろ杞憂だったかなぁ、なんて思い始めてくる。こんなに穏やかじゃあ、なにか起こるはずもない。
 ……なんて思っていた僕が馬鹿だった。
「誰かと思ったら、赤眼じゃん」
 その呼び名は、結構僕を不快にする。珍しい色だから僕のことを知らない奴が僕を識別するためにいうのは構わない。しかし、僕の名前を知ってる癖にあえてそう呼ぶ奴らがいる。いつかのナンパ男とは違う。今回はそういう奴らだ。
 聞き覚えのある声だった。明確には覚えてないが、なんとなく心がざわつくくらいには知っている声。
「奇遇だな、こんなところで」
 日焼けした褐色の肌。筋骨隆々とした、がたいの良い身体。濃い金髪は短めに、顎には同じ色の無精髭。けれど暑苦しさばかりでない、いろんな意味で感嘆の声が漏れてしまいそうなほどに鍛えられた中年男。
 残念ながら、知り合いだ。
「嫌な奇遇もあったもんです」
 せっかく知り合いもいなくて快適だと思ってたのに。悉く水差しに来やがったこいつ。しかも馴れ馴れしく席に着きやがったし。
 ご飯がまずくなるから、あっち行け。
「で、誰でしたっけ?」
 ポカンとした奴の顔は見ものだった。ある程度関わっていただけに、名前を覚えてもらえてなくてショックだったんだろう。ちょっと顔を顰めて、それでもぶち切れたりすることなく、名乗った。
「レナードだ」
 聞いて、しっくりと僕の中でこの男の存在が落ち着く。顔と名前が一致するってこういうことか。ムカつく存在なのでどうでもいいと思ってたけど、そんな奴でも自分の中でそれなりに存在を安定させたいものらしい。
「ああ、そうでした。で、なんでここに?」
「シャナイゼの遺跡をあたってみようかってな。サリスバーグのほうは最近不作気味なんだよ」
 この男は発掘屋、盗掘屋、宝探し屋……まあ、そんな風に呼ばれる種類の人間だ。遺跡の中に潜り込み、価値の在りそうな物を見つけては持ち帰り、売りさばく仕事。かつての僕も同じことをしていて、その縁で顔見知りなのだ。
 嫌なことだ。でも今、それ以上に困ったことがある。
「シャナイゼの遺跡は全部〈木の塔〉の管理下ですよ。荒らすならパクりますが」
 こいつらにシャナイゼの遺跡が荒らされるのは問題だ。僕もまだ潜ってないのに、不法侵入者に荒らされては困る。僕が言うことではないけれど、こういう奴らは金銭的価値のあるもの以外には興味を抱かないから、遠慮なく遺跡を破壊することがあるのだ。
 そんなことをされて、うちの〈青枝〉の連中が怒ったらどうなるか。野外調査の多い〈青枝〉の人間には実力者が多いのである。
 大捕り物ってのも面白そうだけど、物が壊れるのはやっぱり困るなぁ。
 さすがに不穏な言葉が聞こえてきたからか、レナードは少し狼狽した。
「同業だろ? 仲間売るような真似はするなよ」
 白々しいな。同業ってだけで仲間と呼べるような関係はいっさい結んでいないのに。
 パエリアをスプーンで掬い、けれど口に入れる気分に慣れずにスプーンを弄ぶ。せっかくの楽しい食事が台無し。
「つーか、なんだよパクるって」
 彼にとっては予想外な発言に訝しんでいる。そうだよね、普通はチクるだもんね。
「僕は今、〈木の塔〉の人間なんで。それに、今は技師なんで同業でもないです」
「〈木の塔〉!? なんでそんなところに」
 今は技師、のところは流された。
 まあ、いろいろと不思議なんだろう。奴らにとって僕は糞生意気な同業のクソガキ。そしてある意味それ以上に疎ましい存在。そんなのが一応有名な組織にいるなんてそんな馬鹿な話があるか、ってところだろう。僕も逆の立場ならそう思う。
「人徳です」
 僕はお前らなんかと違うんだよ。そういう意味を込めて、そう言った。
 あ、ヨランが呆れてる。知り合いを通じて入ったようなものだから、嘘じゃないのに。



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