苛む過去-3


 翌日の行軍は静かだった。例の歌が聞こえないのだ。商隊の娘にヨランがあの歌を歌わないでくれと頼んだら、ふてくされて他の歌も歌うことをやめてしまったらしい。悪いことをした、と思いつつもほっとした。
 気を使ってくれたのか、とヨランにお礼を言うと、
「いや、正直俺もあの歌聴けそうにない」
 昨日解釈について話したのと、ヒューマノイドとの戦闘があったからだろう。それでも普通は他人事だが、生憎ヨランはティナと会っていて、僕との会話を通して事情も知っていた。
 そのまま浮かない顔をしていたヨランは急に頭を強く振った。
「……もう気にしてても仕方ないな。ヒューマノイドに会うことももうないだろうし、切り換えないと」
「そうだね……」
 あんまり憂鬱していると、周囲の警戒が疎かになる。気を引き締めた。
 ……て言っても、馬に乗って移動しているだけだから、退屈なんだけど。見通しの良い昼間の草原じゃ緊張しようもないし。
 静かだ。暖かいし、眠くなってくる。
 暇。
「サリスバーグってどんなところなんだ?」
 って思っていたのはヨランも同じらしい。なんとか絞り出した会話のネタって感じだが、
「え、今さら聞く?」
 普通、そういうのってサリスバーグに行くと決まったときに訊くものじゃないだろうか。旅行先――旅行じゃないけど――の情報を全く仕入れずに行く人間っていない。
「う……。いいだろ、暇なんだし」
 まあ確かに、このままうっかり昼寝してしまいそうになるくらい暇だ。眠るくらいだったらそんな話でも口を動かしていたほうがいい。
 さて、サリスバーグの基礎情報か。
「ミルンデネスの南に位置する三大国の1つ。400年前に西のサリス、東のカルビンが併合してできた。3国の中では貧しく、所得格差が大きい。海に面している部分が一番広いために漁業が盛ん。近年では軍事のクレール、魔術のリヴィアデールに対抗し、民芸を始め、鍛冶、科学、建築などのあらゆる方面の技術に特化している」
 説明している間に、ちょっとは面白そうな話を期待していたらしいヨランの肩が徐々に下がっていった。
「そういう教科書的なのじゃなくってさー」
 さすがにそういうのは学校で教わったらしい。けど、他になにを教えろっていうんだ。貧しい、海がある、技術特化している、それ以外でサリスバーグを表現する言葉ってあまりない気がするんだけど。
 因みに、僕がたまに使っているあの〈魔札〉。あれは実はサリスバーグで作られたものだ。
 う〜ん、とヨランは悩んで、代わりの質問をひねり出した。
「じゃあさ、レンはサリスバーグにいたとき、どんな生活してたんだ?」
 サリスバーグにいたとき、か……。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 僕が生まれたのは、小さな漁村だ。普段は小さな貝と海草、沿岸にやってくる魚たちで食い繋ぎ、男たちがたまに沖に出て魚を釣ってそれを売る、そんな生活で成り立っていた貧しい村。襤褸屋で暮らすのは当たり前で、子供も早いうちから駆り出さないと食べていけない、他国の人たちから見れば物語のような貧しさを体現した村だった。
 僕の家族は母と姉が1人。父はいなかった。女ばかりの家がとても満足に暮らしていけるはずもなく、僕らは村の中でも特に貧しかった。
 毎日その日の食料を調達するだけの、つまらない生活だった。母は家にこもり、姉と僕で海に行く。十分に取れなければ食事抜きということも間々あった。こんな生活は嫌だと思いつつも、学がないので脱却する術もない。不満を抱きながらも、面倒見の良かった姉のお陰でなにかと幸せな日々だったような気がする。
 転機が訪れたのは、比較的最近。僕が12になる頃だ。
 村に、勉強を教えようという酔狂な人間が来た。村に居ついて、週に1度学校のようなものを開いて、子供たちに勉強を教えていた。もちろん僕も姉もその1人で、特に学ぶことに熱心だった。その人も勉強熱心な子は特別可愛がって、魔術まで教えてくれた。
 それまでとは違った楽しい日々だったんだけど、それは虚構で。
 慈善家ぶったあの野郎の真の姿を見抜けなかったことが、僕の人生最大の失敗。

 あの日。
 姉さんがキース先生の助手に選ばれた次の日。僕より魔術の腕があった姉に嫉妬しつつも学ぶことをやめられなかった僕は、良い顔しない母親の目を盗んで学舎に向かった。次いでに姉さんがどんなお手伝いをしているのか聞くのを楽しみにして、丘の上の、村の中で一番綺麗でしっかりした建物へ飛び込んでいった。
「こんにちは!」
 講義のない日だったから、子どもは誰もいなかった。だから中が寂しいのはいつものことだけど、先生までいないのは珍しかった。
「お姉ちゃん、先生ー?」
 返事がないのを良いことに、僕は奥へと入り込んだ。入ってはいけないと言いつけられたところまで、構わず入っていった。
 他の部屋とは違う、冷たい灰色の部屋の中。檻の中に入った、1つの人影。
 はじめて見たときは、姉にそっくりな人形かなにかかと思った。人の身体。背には白く大きな4枚の羽根。頭は人間のものだったが牛の角が付けられ、足は猛禽類、尻には獅子の尾。おおよそ人間と呼べないそれの髪や目は、僕とは違う赤と茶色で、やっぱり姉のもの。
「…………レン?」
 声が聞こえて、やっとそれが本当に姉なのだと認識した。
「お姉……ちゃん?」
 あまりのことに状況が理解できないのも当然のことで。
「なに、なんなの、その格好!」
 口にすれば、姉はこれ以上ないほどに顔を歪めた。
「わかんないっ! いつの間にか眠くなって、そのあと起きたんだけど、頭ぼんやりして、なんかあちこちすごく痛くて、終わったと思ったらこんなところにいて……っ! ねえ、これなんなの!? この足、私のじゃないよね。尻尾とか羽根とか生えてないよね!?」
 このとき姉にとってもっとも不幸だったのは、自我がはっきり残ってたことだった。普通合成獣は自我を奪われる、あるいは喪失するものらしいが、どうしてか姉は姉のままだった。
 だから、化け物になったのを自覚して、絶望した。
「いやだ、いやだよ。こんな姿で、家に帰れない。村で生活なんてできない!」
 このとき僕は取り乱す姉を見ていることしかできなかった。姉の言葉を否定することができなくて悔しかったけど、かといって叶いっこない気休めの言葉を吐くこともできなかった。
 だから、数年後に魔族の集落のことを知ったときは、本当に絶望した。
「……死にたい」
 さんざん暴れて、ようやく落ち着いた姉が絞り出した言葉はある意味当然のものだったけれど、聞いていた僕は崖から突き落とされた気分だった。それしか選択肢がないということも。
「レン、お願い……殺して」
「できないよ!」
 それしかないとわかるほど聡くても、僕はまだ子どもで。人殺しなんてとても怖くてできるはずもなく、姉となればなおさらで、ひたすらそれを拒否した。
「ごめん、わかってる。酷いこと頼んでるってわかってる。でも、無理なの。それしかないの! 自分で死ぬのは怖い。だから殺して!!」
 さんざん抵抗したと思うが、結局僕はお願いを聞き入れた。何故かあった、城とか貴族の家にありそうな鎧飾り。それが持っていた鉾槍を手にして、姉の心臓を貫いた。
 それからどうしたのか、よく覚えていない。気付いたら家に帰っていて、母に非難されていた。
 たぶん、姉を殺したことで、いつか自分も殺されるかも、とか思ったんだろう。その日のうちに僕は母に家から叩き出された。

 闇神様から聞いたところによると、白い羽根を付けた人型の魔物を〈セラフィム〉と呼ぶらしい。そう、あの『愛しき白の翼の娘』は、その〈セラフィム〉第1号だ。
 あの外道魔術師は、その〈セラフィム〉に憧れて、数々の実験を繰り返した。はじめはシャナイゼでやっていたのだが、悪事がバレて逃げ出し、逃亡先のサリスバーグで姉という素体を見つけて、材料にした。
 合成獣づくりには時間が掛かる。学校を開いたときから奴は僕の村で実験することを目論んでいたんだろう。そして、慈善家のふりをして子どもに勉強を教え、じっくりと品定めをしていたわけだ。僕は気付かなかったけれど、姉さんに目を付けてからは、たぶん拒絶反応とかそういうのも調べたんだろう。そして、他の素体を集めて、ばらして、姉さんの身体にくっつけた。
 本当だったら姉は自我を喪うはずで。それどころか、3日は目覚めないはずで。そうならなかったのが1番の不幸。姉も僕も事実を受け入れられなくて、歌にあるような美しい結末を迎えられなかった。
 それが僕の、故郷の思い出。



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