苛む過去-2 目の前には満天の星空。そろそろ雨季になってもおかしくないはずなのに、それを感じさせない雲一つない空だ。それをぼうっと見上げているのは、別に僕の趣味だからって訳じゃない。天体観測は嫌いじゃないけど、グラムやリオたちみたいに嵌まるほどではなかった。 本当は今、仮眠を取らなきゃいけないのだ。昼間の行軍の休息、それからいずれ回ってくる見張りのために体力と集中力を回復させておかなきゃいけない。1日中移動していたし、商隊が馬車を引き連れているのに合わせて普段は乗らない馬に乗った。いつも以上に体力を使っているはずなんだけど、寝付けなくって困った。 目を閉じて横になるだけでも違う、とよく言うけど、今日に限って何故かそれでもがりがり体力が削られていく。静寂と暗闇が落ち着かない。 それでも頑張って寝ようと粘って……結局無理だった。じっとしているのが駄目なら、むしろ動こうと起き上がる。武器を持って、そのあたりを歩き回ることに決めた。 ヨランは寝てる。羨ましいような、恨めしいような。 草原の中に建てられた野営地。さすがというべきか、商隊はテントを持っていて、今は大きなものが3つ建てられている。1つは商隊の男たち、1つは〈木の塔〉の男たち。男に比べて数の少ない女の人は商隊、〈塔〉にかかわらず共用。三角形に並べられたテントの間に篝火が焚かれていて、見張りはその周辺に1人ずつ待機し、2人が野営地の周りを巡回している。これが2時間毎に3交代。今はその1回目。 夜はまだ長い。 ふらふらと野営地の周りを歩いていると、声を掛けられた。 「よう、どうした。交代はまだだぜ?」 今の巡回当番はニース隊長らしい。ついてた。こういうとき知っている人のほうが気が楽だ。 「寝付けなくて」 「まあ、外で寝るのに慣れてなきゃ、そうだよな」 「違いますよ」 野宿は昔よくしていたから、慣れてるほうだ。最近はベッドでぬくぬく寝てるけど。 「寝れねぇんだったら、手合わせするか? 身体動かしゃ気分も少しは晴れるだろ」 気が晴れる……ね。この人はどこまでわかって言っているんだろう? どうせグラムから色々聞いてるんだろうけど、さすがに全部話したとは思えない。 「見張りはいいんですか?」 「これだけ広けりゃそうそう見落とさ……」 ねぇよ、と言おうとしたんだろうけど、草原を見渡していたところで、一点を見つめて止まってしまった。さっと屈みこんで剣に手を掛けた。なにか見つけたのか。僕も身を低くして見てみる。 少し遠く。400 mくらい離れているだろうか。そこに蠢く影の一団がある。魔物か。背負っていた槍に手を伸ばした。まだ抜かずに、じっと観察する。数は……5体かな? シルエットが不確かでよくわからないけど、結構大きい。僕らと同じくらいか、ちょっと小さめ。獣だったらそれはもう大きいけど……。 背筋が凍る。気の所為かな。2足歩行に見えるんだけど。 まさか、と思いながら目を凝らす。凝らせば凝らすほど、ますます2足歩行であることに確信が持ててきた。それどころか、どんな魔物かまでわかってしまった。 「……〈ゴブリン〉だ」 〈ゴブリン〉。大きな耳と大きな目、大きな鼻を持ち、獰猛な表情をした人型の魔物――つまりヒューマノイドだ。大きさは成人女性より小さく、子どもよりは大きい。襤褸だけど、人間らしく服を着て(鎧とかもたまに着けてる)、平原、森、山、過ごしやすいところならどこでも住み、器用に道具を使いこなして獲物を狩る。見つけた獲物はとにかく集団で襲い掛かって蹂躙する、野山の蛮族ともいわれている、それは凶暴な魔物だ。 ヒューマノイドは人間が材料の合成獣のなれの果て。人間への憎悪に塗れていて、つまり人間の天敵である。 立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。 「まだ動くな」 低い声で叱咤する。ヒューマノイドとの接触は避けるのが基本だ。戦いなんて挑まず、ひっそり隠れてやり過ごそうっていうんだろうけど、もう遅い。 「もう気付かれてますよ。こっちに向かってます」 「確かか?」 頷く。それはもう嬉しそうにこっちに向かって歩いていた。あれは獲物を追い詰めて歓喜した狩人の目だ。こちらを襲う気満々だ。 戦いは避けられない。 「僕が引き付けます。隊長は他の人を起こしてください」 なんて言ったらますます強く握られた。 「馬鹿言え! 相手はヒューマノイドだぞ!」 「だからですよ!」 あちらは5人。こちらは戦える人間だけで15人。数の上では勝ってるけど、ヒューマノイドが相手で、護衛対象が居て、その上戦いの匂いを嗅ぎつけた他の魔物も警戒しなければいけないとなると、決して十分な戦力じゃない。野営地に接近されたらとんでもない。少しでも離れて戦うべきだ。 頼みましたよ、と念を押して振り払う。隊長も馬鹿じゃないから、ちゃんと他の人を起こしてくれるはずだ。 ハルベルトを抜いて走り出す。途中魔術を打ち込んで、こちらへと注意を向けた。奇襲がばれたことを悔しがっていたが、切り替えが早く、とりあえず1人で飛び込んできた馬鹿な人間をリンチすることにしたようだ。 上等だ。やってやるよ。 幸いというかなんというか、僕は人間相手の戦いは得意だ。そりゃあ、グラムやニース隊長みたいに本当に凄い人には敵わないが、ある程度ならいける。人間型だってそれは同じ。人間の形を取っている限り、動きに大差ないのだ。余計なパーツが付いてたら、そのときに警戒すればいい。それに、最近いまいち活躍していなかったハルベルトも今日は大活躍だ。穂先で貫き、長い柄で足元を払い、斧頭で革鎧を破り、爪で引っ掛けて放り投げる。リーチが長いから複数巻き込むことができるし、うまく扱えば防御も早い。 そんなわけでなんとか戦ってはいるが、さすがに5対1で猛攻を防ぐのはしんどかった。攻撃はわかりやすいから見切るのは楽なんだけど、群れの癖に集団行動をまるっと無視。味方に武器が掠ろうともお構いなし。四方八方いっぺんに襲い掛かられれば、360°警戒しなきゃいけないから、神経が削られる。 ――しんどかろうがなんだろうが、全員まとめて駆逐してやる。 なんて思っていると、野営地のほうから矢が飛んできた。〈ゴブリン〉の1匹に突き刺さると、遅れて発火した。アナイスだ。彼女の要望を聞いて作ったルビィの試作品を使ったらしい。 「レン、ヨランと組んで1体ずつだ!」 鋭い隊長の声に、駆けてくるヨランが見えた。それだけじゃない。他の隊の人たちも駆けつけて、僕から魔物を引き剥がしていった。1体につき2人以上の戦士が相手になる。人数が増えてしまえば、いくらヒューマノイドとはいえ中型魔物くらい負傷者なしで捌ける。僕ら以外はプロの人たちばかりなので、片付くのは早かった。 死屍累々と転がっている〈ゴブリン〉の群れ。人の都合で作られ、憎悪に突き動かされた挙句、斬り捨てられ野に放置されている姿は、なんて惨めなことだろう。 ――ティナも、 「……なんか、さ」 剣を下ろしたまま、ぽつりとヨランは零した。思考が中断される。 「少し、ティナのことを思い出した……」 視線の先には、ヒューマノイドの死体。たぶん今、彼らがどんなふうに作られたのか考えているんだろう。そして、どうしても思い出すのは、一番身近な存在。頭を過ぎらないわけがない。 「気持ちはわかるけど、魔族とヒューマノイドの違いをいちいち考えてたら死ぬよ」 考えに同調しつつ、あえて冷たく突き放す。ヒューマノイドは憎しみに突き動かされた存在。奴らに交渉の余地はなく、生き残るためには殺さなきゃいけない。姿は似ているし起源は同じだからつい混同してしまうのはわかるけど、そんなことしている間にやられてしまうから、敵意を向けられたらそんなこと考えないのが一番だ。 どうせ、すべては救えないんだから。 [小説TOP] |