苛む過去-1


 ――差し伸べられた細い手は
   心を寄せた娘の手
   抱き寄せたその背中には
   白鳥の如き大きな翼――

 草原の中を走る、土を踏み固めただけの街道。がたがたと揺れる馬車の車輪の音の間から、朗々とした歌が聞こえる。姿は見えないが、声からして僕と同じくらいの年頃の女の子のもの。アナイスやヒルダではない。商隊の娘だろう。
「綺麗な声だな」
 ヨランが呟く。それには溜め息ともつかないようないい加減な返事を返してしまった。わざとじゃない。一応ちゃんと返そうとしたが、声が出なかった。
 綺麗な声だってのには賛成。歌だってうまい。でも、そんなことどうだっていいくらいに僕は気が立っている。
 僕の苛立ちを感じ取ったのか、乗っていた馬の動作がぎこちない。八つ当たりをする気はないよ、と首筋を宥めてやる。意志が伝わったようで、少し落ち着いた。
 そんな一連の動作の所為で、僕はヨランをすっかり無視してしまったことになったらしい。
「なんだよ、つれないな」
 不機嫌そうな声が隣から聞こえる。適当に謝ろうとして、相手がヨランだったから考え直した。別に変な意味じゃない。体裁を取り繕う必要性がなかったってだけだ。
 というわけで、思ったことを素直に言ってみる。
「僕、この歌、大っ嫌いなんだよ」
 そうやって、吐き捨てた。

『愛しき白の翼の娘』という歌がある。200年昔のある王子と市井の娘の恋を唄った、シャナイゼではそれなりに有名な歌物語だ。
 城に咲く珍しい花見たさに城の庭に忍び込んだ幼い娘が、たまたま居合わせた王子に遭遇してしまったところから物語は始まる。その出会い方からいがみ合う2人だが、時が流れるに連れ、想いを寄せ合うようになる。
 しかし、少年だった王子が青年になった頃戦争が勃発。王子は戦場に行き、2人は引き裂かれる。娘は約束を胸に故郷で恋人の帰りを待ち、王子は責務を果たすために戦地で剣を振るう。しかし、その努力虚しく王子は戦場で死に直面するのだが、そこを背に白い翼を生やした娘が救い、めでたく2人は再会する――という話。
 歌詞を辿ればわかるが、この歌物語、話が急展開で結末が曖昧であるために、そういった学問の世界でも結構持て囃されている。
「最近の……」
「うん?」
「最近発表されたこの歌の新しい解釈って知ってる?」
「……いや」
 ヨランは首を振る。そりゃまあ、仕方ないか。普通の人は歌の学術的見解なんてどうだっていいもんね。
 最近出てきたこの歌の解釈。実はウィルドが説いたものなんだけど、白い翼の生えた娘は合成獣の実験の被害者だという。
 王子の恋人は、合成獣にされてしまったのだ。
「ヨランは、もし家族でも恋人でも、大事な人が合成獣にされたらどうする?」
 何を思い出したのか、ヨランの顔が歪む。
「……考えたくないな」
「あの歌の王子は、恋人と共に生きようとしたんだ」
 歌の結末から結局それは叶わなかったけど、そう思っただけ、行動しようとしただけすごいと思う。
 僕とは違う。
「僕は殺した」
 高潔な王子に比べ、自分ははるかに劣っているような気がして――実際そうなんだろう、とにかく自分の薄汚さを突き付けられているような気がして、嫌気が差すのだ。
 ああ、雲のない広い空が疎ましい。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 少し時間を遡る。何故、僕らが今平原のど真ん中に居るのか。それは単純な話、小隊の仕事だったりする。
「キャラバンの護衛?」
「そうだ。第11小隊から13小隊の3隊で、およそ30人の護衛を行う。行き先はサリスバーグ最東方の町ティエナだ」
 キャラバン――つまり商人の一団だ。西側を南北に走るシェタ沙漠の所為で、シャナイゼは他地域からほとんど隔離状態にある。作物は育てられるので生活には困らないが、どうしても足りない物はある。そんなシャナイゼでは、他国からくる商隊は貴重で有り難い存在なのだ。
 でも、隔離状態の上に魔物が跋扈して治安があまりよくないシャナイゼ。旅慣れているだけの一団が無事草原を越えられるはずもなく。そのため護衛が必要とされているのだ。〈木の塔〉はその護衛を進んで引き受けている。旅人の護衛っていうのは治安活動の延長線上であるんだけれど、さらに彼らはシャナイゼの経済活動を補助してくれる存在だ。とても蔑ろにできるはずがなく、格安で護衛を引き受けているのです。
 そして、その護衛を引き受けるのも小隊のお仕事。今回は僕らにお鉢が回ってきた。
「ってことは沙漠越えか……」
 地図に書かれた行軍ルートを見ていたヨランがげんなりした様子で肩をすくめた。〈黒枝〉のほうで沙漠での訓練が前にあったらしく、そこでの過酷な環境にかなりしんどい思いをしたとか。
 嘆くヨランに、アナイスが呆れた表情を見せた。
「半日も掛からないじゃない。沙漠自体は」
 沙漠は旅の最後にほんの少しかする程度のものだ。シャナイゼ地方を主に描いた縮尺が小さめの地図でも女性の指一本分の幅しかない、本当にちょっとした距離である。確かにこれなら、長くて半日しか掛からない。
 因みに僕の沙漠越えの経験は3回。暑さには弱いので、日中は結構辛かった覚えがある。
「片道1週間ってところかな」
 シャナイゼ地方は、南北に長い。だから横断よりも縦断のほうが日数が掛かってしまう。それでも地域の真ん中より少し北側にあるシャナイゼの街から、南下して沙漠を越えた先のサリスバーグの国境までは人間の足で5日程度の距離なのだが、大荷物つきの集団行動、素人の体力、魔物の襲撃、いろいろ考慮すると1週間はみないと、ってことらしい。
「結構長期ですね」
 2、3週間は街を離れることになるらしい。護衛任務となるとよくある話だけど、随分と長いな。その間魔具が弄れないとなると、ちょっと嫌だったりする。
 うん、やっぱ、義務の期間が終わったら小隊抜けるか。隊長には悪いけど。
 なんてこと考えながら地図を見ていて、気が付いたことがある。
「あの、行き先がティエナって、僕らもそこに行くんですよね? 国境でお別れとかじゃなくて」
 はじめ聞いたときはあくまで商隊の目的地とだけ思っていて、国境でサリスバーグの傭兵団に引き渡すのかなーって考えていたけど、よくよく考えると普通そんな中途半端なことはしない。待ち合わせなんて非効率だし、引き渡した相手が本当に契約相手かっていう問題もある。
 つまりそれって、僕らもサリスバーグに入国するってことで……。
「ああ。だから身分証明がいるぞ。今から配る」
 うわあ。たぶんそうだと思ったけど、うわあ。
 顔を引き攣らせた僕を、小隊のみんなが不審そうに見る。
「そういえばお前、サリスバーグ出身だったな」
 そう、その通り。僕はあの国の出身なのである。つまりまあ、この仕事で僕は故国に帰れるわけだが、実はあまり嬉しくない。
「故郷近いの?」
 そんな僕の心境を知ってか知らずか。実際は、なんとなく気づいているが、わからないってところかな。僕の事情を話していないから、これは仕方がない。
「いえ……」
 僕の生まれた村はサリスバーグの南西部だ。目的地はサリスバーグの東端。気軽に行ける距離じゃない。行けても帰る気ないけど。
 それから身分証明書を配布され、小隊の4人はなにやら話してた。僕はなんだか気鬱がやってきて、とても話が耳に入らなかった。咎められなかったことから考えると、さほど重要な話じゃなかったらしい。
 そして3日後、旅立ちの時が来た。
 僕の憂鬱は晴れなかった。
 ここ最近気分が重い。どうも昔を思い出すようなことばかりあるような気がする。



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