どう向き合うか-3


 翌朝。ティナを連れて家を出た僕は、アーシャさんの家に寄り、彼女を預けた。そのときに、帽子は絶対にはずさせないこと、単語帳である程度の意思の疎通はできるけど筆談はできないことなど、頼む身としては申し訳ないほどの注意とお願いをした。大丈夫だと言ってアーシャさんは笑っていたけど、それでも心配で、午前中の講義はあまり頭に入らなかった。ノートは取ってあるから、復習は必須だ。
 訓練のほうは意外となんとかなるものだ。こういうことは身体が覚えているから、よっぽど惚けていない限り戦える。
「どうだ、あの子は」
 休憩中、たびたびヨランはこういうことを言ってくる。知ってるだけに気になるんだろう。
「別にどうも。いい子だよ。大人しいし、聞き分けもいいし」
 聞き分けが良すぎるくらいで、そこが心配でもある。喋られないってこともあるんだろうけど、もう少し自分の意見を言える子であればいい。このままじゃ、なにかあったときに言われっぱなしで縮こまっているだけになってしまうんじゃないかと思う。
「お前は?」
「僕?」
 なんで僕なんだろう。別に体調崩したりとかしてないんだけど。
「魔物嫌いなんだろ?」
 ああ、なるほど。そういう心配か。
「虐待とかしてないよ」
「そうは思ってねーよ」
 馬鹿にしたように――というか哀れみの目で見られた。腹が立ったけど、ヨランのその行動に思い当たるものがあったから、ここはグッと堪える。自虐とも嫌味ともつかない僕の態度は、さぞかし滑稽だろう。
「けどお前、あの子来てから、やっぱいつもと様子が違うぞ」
「まあ……ねぇ。僕も複雑なんです」
 そう、複雑なのだ。単に僕の態度を正当化しようとして言ってるわけじゃない。……まあ、そこに甘えがないっていうのは嘘になるけど。
「ヨランは、平気なんですか? 魔物が街に暮らしているって知って」
 普通はこういうの、パニックになるはずだ。僕の故郷は魚に紛れて海鳥の魔物が網に引っ掛かっただけで大騒ぎだった。それも、死んでいる奴だったのに。でも、魔物に対してはこういう反応が普通なんだと思う。沙漠の向こう――シャナイゼ以外の土地では、魔物は未知の存在だから。
「危なくないってわかってるからなぁ。そしたら、必要以上に怖がるのも馬鹿らしいっていうか」
 ヨランはそうやって言葉を切ると、なにやら考え出した。
「曲芸でさ、たまに熊とか使うだろ」
 いきなりなんなんだ、と思ったが黙って聞くことにする。話題を変えたというわけじゃないみたいだし。
「そりゃあ、あれに近づくと怖いかもしれないけど、でも同じ街にいるぶんにはそう怖くないだろ?」
「……怖いですよ」
 逃げ出したり、襲ってきたらどうしようとか。そういう風に考えることだってあるんじゃないかな。僕はあんまり気にしないけど。
 にしても、話の意図がわからない。
「そうか? でも、ようは慣れだよ慣れ。怖いものじゃないってわかったらそう怖くない」
 そういうもんだろ、と彼は言う。そういうもんかな。
「まあ、俺が戦う力を持ってるってのもあるかもしれないけどさ」
 それを言ってしまえば元も子もない気がする。
「おい、いつまで休憩してるんだ! 続きやるぞー」
 ついつい休憩時間以上に話し込んでしまったらしく、隊長が呼んでいる。
「はーい!」
 返事をして、勢いよく立ち上がる。僕はというとそういう気分になれなくて、動作がつい緩慢になってしまう。
 そんな僕に、ヨランは背を向けたまま言った。
「……お前はさ、あの子が怖いの?」
 胸にナイフを刺された気分だった。
 怖くはない。少なくとも脅威に感じていない。彼女はまだ小さな子どもで、ヨランじゃないけど、僕は武器も魔術も扱えるからいざ襲われたときも身を守れる。だからそんな感情を抱くことはないはずだ。
 怖いのは彼女じゃない。
 彼女たちを受け入れることで生まれる罪悪感だ。

 ティナを迎えに行くと、アーシャさんは微妙な顔をして僕を迎えてくれた。なにかあったことを察するのは、それで充分だ。
「遊んでいるときに、ティナちゃんの帽子が取れてしまったんです」
 その言葉に心臓が跳ねた。思わず店の奥を覗く。ティナの姿はここからじゃ見えなかった。
「お客さんもいなかったので、他の人には見られていません。エリナも驚いたみたいだけど、今は普通に奥で遊んでいます」
 ほっと溜息を吐く。とりあえずなにも……なにも起きていないらしい。よかった。
「すみません。黙っていて」
 頭を下げる。これでは騙していたようなものだ。しかし優しいアーシャさんは首を振った。
「ああいう子が、いるんですね……」
 奥のほうを見やりながら、悲しげな表情でアーシャさんは言う。詳しく聞かないところをみると、彼女は知っているほうなんだな。
「人間と違うっていうのは、どういう気持ちなんだろう……」
 その気持ちはよく知っている。
 ――頭の奥で、悲鳴が聞こえた。
 思い出したくないことが蘇りかけたので振り払う。
 僕らの声に気付いたのか、ティナが店の奥から出てきた。僕の姿を見ると小走りに駆け寄ってきて、腰にしがみつく。はじめて会ったときもこんな感じだった。僕のなにに安心を覚えているのか知らないけど、こうしてくっついてくるんだ。あまりにぎゅっとしがみつかれるものだから、こっちもひっぺがすことができない。仕方がないから頭を撫でてやる。
 懐かれてますね、とアーシャさんは小さく笑う。僕が魔物嫌いだと知らないからこその発言だろう。
「あの、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしてしまって」
「いいえ。よかったら、また連れてきてください。エリナも楽しかったみたいですし、ここで遊べば、たぶん耳のことはバレないと思うので」
 予想以上に好感のある発言に、思わず怖くないんですか、って訊こうとしてやめた。それは怖がれと言っているようなもので、つまりティナを否定する言葉だって、さっきのヨランの言葉で気付いたから。
「じゃあ、またお願いします」
 認めてくれる人がいるなら、甘えるべきだ。身内だけでティナを守るのは難しい。数少なくても理解者っていうのは絶対に必要だ。
 でも本当にありがたいから、今度なにかお礼を持っていこう。
 よく頭を下げて、帰路に着く。
「今日は、どうでした?」
 ティナは単語帳を捲る。途中首を傾げていたが、変な顔をして『うれしい』と見せた。
 嬉しい、に近いけれどそれとは違った感情。遊んでどうだったかを訊いて、普通返ってくる答えは……。
「楽しかった?」
 勢いよく頷いた。そういえば、その単語は入れてなかったか。仕方ないから、帰ってから作ってやろう。

「俺たちもそうすぐ受け入れられたわけじゃないんだ」
 夜。ルビィがまだ帰っていなかったので、客が来ないだろうと思いつつも閉店時間前だったから店番をしていると、リグが様子を見に来てくれた。基本的に彼らは心配性な気がする。友人の用事にキレるほど忙しいのに、こうして僕のことを見に来てくれる。お節介だなと思いつつも、嬉しくないはずがない。気に掛けてくれる人間がいるっていうのは本当にいいものだ。
 そうしてリグが語るのは、彼らがはじめてアーヴェントに会ったときのことだった。
「ただ人殺しをしたくなかったから、殺さなかっただけ。向こうが親しげに話しかけてきたから、あからさまに怯えられなかっただけ。やっぱり、人間はそうそう異物を受け入れられるものじゃない」
 リグの口からそういう話を聞かされるのは珍しい。彼はあまり差別とかそういうのをしたがらない。けれど、“したがらない”ってだけで“しない”というわけでもないみたいだ。結局は人間ってことなんだろう。嫌なものは嫌。でも、それはとても理不尽だと思う。そこに折り合いをつけることができないから、悩む。
 ……もしかしたら、今の僕の気分に一番近いものを持っているのは、リグなのかもしれない。僕の気持ちは今、良く見るならばそういう気分なのだから。
「お前の感じ方は普通だ。むしろ、ルビィやその友だちが寛容的過ぎるんだ。だけど、やって良いことと悪いことがある。それはわかるな?」
 頷く。それは言われるまでもなくよくわかっている。たぶん、うまくそれが処理しきれていないだけなのだ。そう思いたい。
 リグの言葉を噛み締めて、そしてふと思い出した。笑いが漏れる。
 笑うもんだから、怪訝そうにリグが見てくる。
「……以前、ラスティにも似たようなこと言われました。嫌い、は心無いことを言っていい理由にはならないって」
 懐かしい名前にリグは一度虚を突かれたようだった。そして、僕と同じように笑いだすと、同じように懐かしんで口を開いた。
「何処に行ったのかねぇ、あいつは」
 本当に何処に行ったんだろう。なにも言わずに出て行って、まったく腹立たしいったら。
「会ったらシメてやりますよ」
 そう言ったら苦笑した。止めたり可哀想と言ったりしない辺り、きっと同じ気持ちなんだろう。
 まあ、いなくなった人のことは置いといて、だ。
「アーヴェントの奴がお節介して悪かったな」
 アーヴェントが僕にティナを引き取れと言ったこと、予想はしていたけれどやっぱり企んでいたらしい。魔物が嫌いだけど憎み切れていない僕が、これから魔物を徹底して嫌うのか、それとも受け入れて生きていくのか、それをそろそろ決めさせたいらしい。本当にお節介だ。
「でも、いい機会だから、どうしたいのかちょっと考えてみろよ。それで無理って結論なら、あの子は俺たちでどうにかするから」
 確かにいい機会だ。僕だって、この件に関していちいち憂鬱になることに疲れてきた。逃げているだけじゃいつまでもずるずると引きずるだけだろうし、どう向き合うか考えてみてもいいかもしれない。ティナに関わるのなら、なおさらだ。
「そうします」

 店を閉めて、作業場に入る。そこにはここ最近ずっと僕が力を入れていた作品がある。
 金属の紐のようなものが絡み合い、輪を作ったそれ。はじめから考えていたような、ユリの花が入ったリースがモチーフだ。ただし、ルビィとミンスの助言に従って、スケッチとだいぶ変わってはいるけれど。こっちはもう完成している。それともう1つ。ここ最近で作っていた花のモチーフ。これも今日には完成する。あとは調整。
 きっと、これが僕の答えとなるだろう。



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