魔族の娘-4


 フェヴィエルの森の中には砦がある。昔々、シャナイゼが2国だった頃、戦線を仕切るために造られたものだそうだ。でも、2国そろってリヴィアデールに吸収され、一地方として併合された後は、魔物も闊歩しだしたこともあってそのまま忘れ去られた。……人間には。
 その砦は今、人知れず利用されていた。魔族と呼ばれる、人間をベースに作られた合成獣の子孫たちの生活圏となっていた。
 アズィル・フォーレ。“森の隠れ家”と称される、魔族たちの集落。僕らは今、その前にいる。
「だーかーらー」
 砦にすんなり入れずに僕は苛々している。中に入れないのは門番がいるから。……まあ、それはいいにしても、そいつらがわからず屋なのはいただけない。
「お前らんところの族長をさっさと呼べって言ってるじゃないですか。別に中に入る気ないんだから、こっちに剣向ける意味なんてないんです。つーか無意味だし。襲いに来たんだったらとっくにあんたたち殺してますよ」
「う、うるさいっ。だいたいなんで人間が族長のこと知ってるんだ」
 知り合いだってさっきから言ってるじゃんだけど。もう5分もこのやり取り続けてるんだけど。いい加減同じ言葉を何度も繰り返すのは面倒臭い。
 見つかれば魔物として排除される人たちだ、他所の人間を警戒するのは仕方がない。けど、入りたいって言ってる訳じゃないし、普通の人間なら知らない、奴等のトップの名前を言ってるし、少しは疑問に思って人を呼んでもいいんじゃないかと思う。それをせずに、何者だ、ここから先は立ち入り禁止だ、とだけ言う魔族の門番たち。正直、考える頭のない飾りとしか思えない。動けよ。
「……ああ、むかつく。もうマジで押し通ってやろうかな」
「待て待て、落ち着け」
 背中のハルベルトに手をかけると、ヨランとリオが飛び付いてきた。子どもの前だから穏便に、と窘められる。女の子も腰にしがみついていることだし、しぶしぶ手を離した。
 でも、じゃあいったいどうすればいいんだ。奴らが動いてくれない限り、平行線だ。
 待ち望んだ声――奴のことが嫌いなので癪だが――が聞こえたのは、苛々がピークに達して、食い止める友人たちに対してすら殺意が湧きかけたときだった。
「不審者だっつーから誰かと思えば。……珍しいな、レンじゃないか」
 肩に掛からない程度に長い、黒っぽい赤色の髪。同じ色の切れ長の目。20代半ばに見える、背中に大きな黒い翼を持つ男。
 アーヴェント。〈ルシフェル〉の名を持つ人間の合成獣の落とし子にして、ここら一帯の魔族を保護する者。この集落の長だ。これでも200近い年齢。僕が呼んでたのもこいつ。どういう知り合いかと問われれば、もちろんグラム経由の知り合いだ。でなきゃ、魔物嫌いの僕に魔族の知り合いができるはずがない。
「お知り合いですか!?」
 はじめて知ったとばかりに目を丸くして見せる門番。ほんとぶっ飛ばしたいこいつら。
「だからさっきからそう言ってるじゃないですか。本気で馬鹿ですか」
 なんかやべー、みたいな顔してるけど、それで許すとでも。むしろ今すぐ謝れ!
「まあまあ。悪かったよ、こいつら最近門番に着いたばっかなんだ。見逃してやってくれって」
 僕が苛々してるのに気付いたんだろう、へらへら笑いながらアーヴェントは宥めてくる。それにまたムカついたけど、いい加減落ち着かないと僕も大人げない。
「……いいです。わかりました。こんなことに時間食いたくないですし。
 本題いきます。この子保護したんで、帰しに来ました。家出か脱走か知らないですけど、子供が森の中歩くなんて危険だから、きちんと指導してください」
 背中を押すと、女の子はビクビクしながら前に出た。狐耳のその子をアーヴェントはじっと見つめて、口を開く。
「……その子、ここの子どもじゃないぞ」
「はぁ!?」
 いやいや、待て待て。
「んなわけないじゃないですか! ここじゃなきゃ、いったい何処から来たっていうんですか、こんな魔族の子が!」
 この周辺にここ以外の魔族の集まりはないだろうし、人間の集落の中で生まれてきた――そういうことがあるんだ、困ったことに――のなら普通は生きられない。
「だよなぁ」
「だよなぁって……」
 能天気な。事態の大きさをわかっていないわけがなかろうに。
 後ろでひそひそとヨランとリオが会話する。
「なあ、もしかしてこれって大事?」
「たぶん。もしかしたら、〈塔〉も動き出すくらいに」
 〈木の塔〉どころか神様まで出張るかもしれない一大事だ。
「お前は嫌だろうが、入ってくれ。詳しく聞きたい」
 ……まあ、仕方がない。事が事だ。ここにいるとどうしても陰鬱な気分になってしまうから嫌なんだけど。
 重たくなった身体をどうにか頑張って動かし、後ろを振り返った。すっかり話に置いてかれていたミンスを呼ぶ。
「ミンス。ヨランとリオを残してくんで、スケッチに行ってきてもいいですよ」
 もともとはそれが目的だったんだ。なんか時間掛かりそうだし、一緒に着いてくることもない。さすがに1人じゃ危ないからヨランとリオは置いていくけど。
 ……と思ったんだけど。
「いや、魔族の生活に興味あるから、一緒に行く」
 買い物に着いていくような安易なノリでミンスは言う。うんうんと残り2人も頷いている。凄いな、気にしてないんだ。魔族の集落に入るということは、魔物の巣窟に入るのと同じだって考えても仕方がないのに、恐怖感も嫌悪感もないなんて。

 通されたのは砦の中、入り口から奥まったところにある広い部屋だ。応接室と決めているらしく、観葉植物やら絵やらが飾ってあって結構洒落ている。部屋の中央に長机が置かれ、僕らはそこに座った。……女の子は、ここへ来てまだ僕から離れようとしない。
 話を切り出す前に、ノック音が聞こえる。続いて扉が開くと、茶器を載せた台を持った女性が入ってきた。
「悪いな、エルザ」
 アーヴェントが簡単に労う。
 この人エルザも当然魔族だ。パッと見るとグラマーな美人。だけど、緑色の髪や尖った耳、不自然に大きい虹彩、そして緑白色の肌の色はどう考えたって人間のものではない。〈ドリュアス〉と呼ばれる、植物と合成された人間なのだそうだ。
 僕は何度か見たことがあるからいいが、肌の色まで違うからかヨランたちは衝撃が大きいらしい。彼女を見たまま固まっている。特にミンスの反応がひどく、まるで雷に打たれたみたいだった。
「なんて……ああ……」
 熱に浮かされたような言葉を呟いて立ち上がると、ミンスはふらりふらりとエルザのもとに近付くと、彼女の手を握って跪いた。人間相手になれてない彼女はびくりと震える。
 僕らはというと、ミンスの行動に呆気に取られていて、彼を止めることもエルザを助けることも考え付かなかった。
「私のモデルになってくださいませんか!?」
 まるで騎士が姫にプロポーズするときのような格好でミンスは叫ぶ。(絵のモデルとして)惚れたのか、と僕は察して納得したが、ミンスがはっきりと言ったのにも関わらず残りの人たちはまだ頭が展開に追いついてないみたいだ。特にエルザの硬直ぶりは凄い。
 しかしミンス、あんな芝居がかった行動するのか。普段はそんな感じはないから、そっちにびっくりだ。
「レン、あいつは?」
 ようやく立ち直ったアーヴェントがミンスを指さす。画家だと教えると納得して、
「エルザ、暇で、嫌でなければ付き合ってやれ」
 とだけ言った。彼女は一瞬すがるようにアーヴェントを見たが、諦めたのか頷いた。喜んだミンスはいそいそと準備をはじめた。話の邪魔にならないよう窓側で描くつもりらしい。
 でも、彼女の絵が世に出たらどうなるんだろう。妄想で済ませられるのか、それとも魔族の存在が知られて騒ぎになるのか。悪いほうに転がっていったら、ここが危ないと思うんだけど。
 ……まあ、いいか。放っとこう。
 閑話休題。エルザが茶を配ってミンスのもとに行った後、軽く経緯を説明した。
「なるほどな。まいったねぇ、これは」
 アーヴェントは眉間に皺を寄せた。同じように、僕もリオも神妙な態度になる。
「そんなに大変なことなのか?」
 すっとぼけたことをいうヨラン。いや、それよりも、さっきは殺す殺さない言ってたくせに受け入れるの早くない? 魔物のいる環境に慣れすぎてるのかな、シャナイゼの人は。
「ヨラン、こんな、魔物がコミュニティ作ってる場所がそうそうあると思う?」
「あ……」
 ようやく理解したか。納得して頷いたあと、ヨランは首を傾げた。リアクションに忙しいことだ。
「え……でも、じゃあ、どういうことだよ」
 そこがわからないから、大変なんだ。
「まず、何処から来たかですね。この辺の村っていったらリアの村ですが……」
 リアは森の入口から西に30分のところにある小さな農村だ。
「あそこはよく行くが、こんな子がいる様子はなかったな。小さな村だから、いたらすぐに騒ぎになるだろうし」
「そうですね。かといって、他に子どもの足で行けるような村はありません」
「し、そもそもこの歳まで生きていられたのも不思議です。……合成獣なら話は別なんですけどね」
 それこそがリオが言ってた〈木の塔〉が動くということだ。魔物の出現によって世は荒れた。だから魔物出現の原因になった合成獣を作るのは大罪だ。その罪を犯した者は〈木の塔〉に粛清される。……まあ、ようは殲滅するのだ。
 ついでに、禁術絡みだから闇神さまも出張ってくる。まあ彼は神さま業を廃業してるので、本人の気分次第だけど。
 で、もしもこの子が合成獣であった場合は最悪だ。禁忌を犯す魔術師がいるのもそうだが、人型の合成獣がいるということは、人間が実験体となっているってことだから。
「まあ、それはこっちで調べておく。今はこの子のことだな。とりあえず、こちらで預かっておくよ。あとは様子見だな」
 それは助かる、嫌な想いして来た甲斐あった、と思ってたら、女の子にしがみつかれた。ぎゅっとシャツを掴まれる。このままでは伸びてしまうほど、強く。
 なんで、って困っているとアーヴェントと目が合った。
「……ずいぶん懐かれたな?」
 面白そうにしているのがホントムカつく。
「覚えがありません」
 怖がらせたことなら、心当たりがあるけど。
「そうか? ……でも、そうだな。お前に預けるか」
 名案だとばかりに楽しそうに頷くアーヴェント。対して僕は血の気が引いていく。
「はあ!? なに馬鹿言ってんですか。普通、魔物嫌いに預けますか!?」
 僕の魔物嫌いは折り紙つきだ。それは奴もよく知っている。僕がここのことを知って当たった相手はアーヴェントだというのに。
「乱暴なことはしないって信用してるし、グラムと双子は寮だし。けど、お前は違うだろう?」
 確かに住まいについてはそうだが。
「僕は弟子とはいえ、居候の身ですよ!? それなのにまた1人置いてくださいとか言えるわけないでしょうが!」
「養子縁組したって聞いたぞ?」
 確かにした。親がいたほうがなにかと都合が良いだろう、とルビィが言って、僕も別に保護者はいないから同意した。親というものが嬉しかったのも事実だし。
「だからって言えません!」
 書類上じゃ立派な家族でも、一緒に暮らしてたった2年じゃ本当の家族みたいにとはいかない。ペットじゃないんだから。
「とりあえず掛け合ってみろよ。駄目だったら俺が引き取るから」
 絵を描きながら話を聞いていたらしいミンスは気軽に言うが、
「あんな汚いところに、女の子を置いておけるか!」
 ミンスの家は埃だけじゃなく、顔料に使う石や植物の粉塵が舞ってるっていうのに。気管支を患ったらどうするつもりだ!
「ていうか、そういう問題じゃないんです! もっと根本的な問題があるでしょうが!」
 彼女は魔族だ。人間の街に受け入れられるはずがない。いくら人間に似ていても魔物を迫害するのが普通の人間の反応だ。そんなところに置いたら、どうなるかわからないぞ!
「耳と尻尾を隠せばなんとかなるだろ」
 簡単に言うよ。それが一番難しいんじゃないか。それはアーヴェントがよく知っているはず。その大きな翼を隠すのに苦労しているはずだ。――いや、してないな。この人魔術で隠しているんだった。……てか、尻尾もあるんだ。気が付かなかった 
 助けて欲しくてリオとヨランのほうを向くが、曖昧に笑って目を逸らされた。ヨランなんか、頑張れ、とか励ましにならない励ましまでくれた。
 ああ、もう。色々あって疲れたから頭回んなくなってきた。しょうもないことばかりが頭を過る。……ああ、畜生。もう自棄だ自棄。
「あーあー、わかりました! 僕がなんとかします」
 まったく、リオとヨランはともかく、歳上が宛てにならないなんて。
 僕は魔物嫌いだ。けど、魔族でも女の子相手に酷いことができないのも事実。特に、なんでか知らないけどなついてくる相手を無視するのは難しい。
 彼女は嬉しそうに僕を見上げる。これを見るとますます振り払えない。
 ……ああ、本当に嫌だ。こんな不自然で哀れな生き物の面倒を見なければいけないなんて。
 見ているだけでも胸が痛くなるというのに。



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