魔族の娘-1 作業に熱中していると、僕に客だ、とルビィが声を掛けてきた。手が離せなかったので作業場まで通してくれ、と頼むと、画家のミンスが入ってきた。 入ってくるなり、口を開く。 「森に行きたい」 唐突すぎる内容に、さすがに金属に式を書いていた手を止めた。 「……なにをしに?」 「無論、絵を描くに決まっている」 「そうですか。どうぞ気を付けて」 もう一度作業に取り掛かる。赤色の魔法陣を出現させ、金属に熱を与える。そうして柔らかくなったところに文字を刻み込むのだ。これがなかなか難しい。熱を与えすぎると形が変わってしまうし、ペン先にインクをつけて紙に書くのとは感覚が全然違う。加えて、金属は弧状に曲がっているからさらに難しい。油断すると字が歪む。 聞く耳持たないよ、と無言で主張する僕だが、ミンスはめげなかった。 「付き合ってくれ」 「僕、可愛い女の人が好きなんです」 可愛いどころか、女にも当てはまらない奴は完全に僕の範囲外。 「違うわっ!!」 唾を飛ばさんばかりに怒鳴るミンス。そんなに真っ赤にならなくても冗談だって。 「護衛をしてくれって言ってるんだよ」 何度でも言うが、シャナイゼには魔物が多く、町の外に出るには武装が必要だ。画家なんかが1人で外に出たら危なくて仕方がない。 けどさ。 「なんで僕が」 「強そうな知り合いがお前しかいないからだよ」 まあ、絵描きともなれば、知り合いに〈木の塔〉や傭兵は珍しいだろうけど。 しかし、さあ。 「あのですねぇ、僕が暇そうに見えます? 見えるんだったら絵描きの仕事は諦めて、今すぐ病院に行け」 もうすぐ試作品ができようとしているんだから、できればこっちに集中していたいんだ。ただでさえ、講義や訓練で時間がないっていうのに。 「忙しいところ悪いとは思ってる」 頭は下げるも、引き下がる気はないようだ。 「どうしても今行きたいんなら、〈木の塔〉に行ってください」 「そんな金、俺にあるわけないだろう!」 いや、どや顔で言われても。そんな安い金払えないなんて、どれだけ経済状況逼迫してるんだ。四神の絵は好評だったんじゃなかったのか。 「……前に俺がアルバイトで絵を描いてた新聞屋、そこにお前んとこの商品の宣伝をしてもらえるように掛け合ってもいい。もちろん、イラストは俺が描くし、資金も俺持ちだ」 だったら護衛を頼んでもいいんじゃないかと思うんだけど、まあいいか。コネかなにかで安く載せて貰えるんだろう。僕は広告代についてよく知らないんだけど。 ……まあ、ちょっとでも報いようとしてくれるなら、聞いてやらないこともない。一応友だちだしね。 「日にちによりますよ。それから、僕1人じゃ対処できる保証がないので知り合いに声かけてみますが、捕まらなかったら断ります」 1人の護衛には最低でも2人必要。それでも少ないくらいだ。僕は実力者ってわけじゃないし、他に人がいないと不安で仕方がない。 「ありがとう! このお礼はきっとするから! さっきのとは別口で」 よし、さすがわかってる。どんなお礼か知らないが、これで時間を潰すだけのメリットがある。 「期待してます」 もちろん、つまらない物は許さないっていうプレッシャーはかけておく。 ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽ 声を掛けて捕まったのは、ヨランとリオだけだった。双子は研究から手が離せず、その所為で小隊としての活動ができないグラムは仕事を押し付けられて忙しい。隊長もアナイスも仕事があるらしく、ウィルドはミンスが嫌であるらしく断られた。 というわけで暇だったのは研修生だけ。滅多なことがない限り大丈夫だろうとお墨付きをもらい、ミンスに引き合わせることに決めた。 あれから4日後、ぐるりと街を囲む石積みの城壁の、東にある門が集合場所だった。まだ店も開かない朝、僕とミンス、ヨランの順に門の傍に集まって、最後に来たのはリオだった。 「なんだこの小動物」 初対面のリオを見たミンスの発言に、僕とヨランは吹き出した。リオは微妙な顔で笑う。ひきつり笑いというやつだ。初対面の年上の人に怒鳴ってはいけないと耐えているんだろう。こういうところは兄と違う。ジョシュアなら間違いなく怒鳴ってた。 「思った思った。俺も思った」 「ああ、やっぱり?」 いつだったかリオをヨランに紹介したときに妙な顔してたけど、やっぱりそんなこと考えてたか。 「2人とも酷いよっ」 頬を赤くして怒る姿はやっぱり小動物に似てる。なんていうか、リスが尻尾膨らませて威嚇してる感じ? 必死さがつい微笑ましく思っちゃうんだよね。 さて、森に行くわけだが。 「森って、どっちの森?」 シャナイゼには2つの森がある。1つは平原を越えた街の東側にある、北から南、そして東へと広がるフェヴィエルの森。もう1つは街の北北東に位置する、通称〈凍れる森〉。 「本当は〈凍れる森〉に行きたいんだが……」 「無理ですよ」 〈凍れる森〉は、本当に森が凍っているわけじゃない。そこに生えている木、草、花、土までもが結晶化していて、まるで凍りついたように見えるからそう言われているらしい。原因は魔力によるものらしいが、詳しいことは不明。〈木の塔〉の大樹に次ぐ、シャナイゼの不思議スポットだ。 そんな〈凍れる森〉はたいそう幻想的で美しいらしいのだが、結晶の所為で恵みのない森であるために人が近付かない。ということは、〈木の塔〉も近付かないので、狩りが行われず森の周辺は魔物が多く繁殖してしまって、難所となってしまっている。今や訪れるものも少ない、神秘の森だ。 「だよな。だからフェヴィエルの森で頼む」 まあ、フェヴィエルの森も魔物が多いんだけどね。でも、一部の小隊が新人の演習に使ってたりもするので、〈凍れる森〉よりは問題ない。 了承して門を出る。その先は広い短草草原。上部を覆っていた緑の天蓋がなくなって青空が広がる。視界が開けた気分――いや、実際開けたんだけど。街の中が息苦しいってわけじゃないんだけど、清々しい。 隊列は前に剣士のヨラン、後ろに魔術師のリオ。どっちもできる僕は、護衛対象のミンスと並んでその間を歩く。視界は良好、これなら魔物が現れてもすぐ分かる。 ふと、ヨランが振り返る。 「今更だけど、リオって役に立つの?」 そういえば、ヨランはリオと講義の前後でしか会ったことがない。僕は何度かリオの訓練に付き合っているんだけど。 「ぼ、僕だってあの兄さんの弟だし、魔術くらい使えるよ」 言うだけあって、リオはそこそこやる。魔力は当然多いし、技術もあって使える術の幅も広い。白兵戦はできないが、後衛としては優秀なはずだ。 「〈緑枝〉はフィールドワーク多いから、ある程度の戦闘訓練はしてるらしいよ」 地理・地学で観測に行ったりする〈緑枝〉や遺跡調査に出掛けることもある〈青枝〉は結構強い。観測や調査の度に護衛を雇うなんてことはできないから、自分で身を守る力をつけるんだってさ。まあそれ以前に、ある程度戦えなければ〈木の塔〉にはいられないんだけど。 「なんつーか……大変だな、〈塔〉の奴らって。勉強するために戦わなきゃいけないんだろ?」 そんな話を聞いてか、シャナイゼの住民として〈木の塔〉の現状は知っていても実情を知らなかったミンスはそう言った。 最低1年の小隊活動は義務。それだけじゃなく各研究室に〈塔〉から割り当てられる研究費が足りない場合は自分で稼がなきゃいけないから、お金のために仕方なく小隊に残る人もいる。……勉強のために戦う、そう取られるのも無理はない。 不満に思う人はやはり少なくない。剣を持つ人もいるとはいえ、〈塔〉の大半の人間は研究がやりたくて入ってくる人ばかりだ。戦っている暇なんてない。そう思っている人がどれだけいることか。 けれど、承知で入ってきているのだから、文句が言えないのもまた事実。だから、 「仕方ないですよ」 それでもいい、と自分で決めて入ってきたんだから。 ……ま、僕はぜんぜん気にしてないんだけどね。 [小説TOP] |