黒魔術狂想曲-3 こうなったら、リズしか頼れない。急ぎ足で彼女がいるはずの研究室に向かった。 「とんだ回り道じゃん」 さきほどリズのところに、と進言したグラムは不平を漏らす。 「全くだ。……すまないな」 ルーファスは珍しくグラムの言葉に反発しなかった。それどころか一刻も早く楽になりたいだろうに、遠回りになってしまったことをアザレアに詫びる。 「いえ……」 大丈夫です、と俯き加減で、やはりか細い声で彼女は言った。今のところ、呪いによる金縛りは起きていないけど、いつ起きるかわからない。早急に対処しないといけない。 リズのいる研究室は2階、つまりミラベルさんの研究室と同じ階にある。扉を5つほど通り過ぎ、先程とは反対側にある扉の前に立った。立って、ルーファスはなにやら考え込んでしまった。彼が扉を塞いでいるため、中に入れない。 「……ルー?」 怪訝に思ったグラムが声を掛けると、ぼんやりとした答えを返したルーファスは不安そうな表情で僕らを見回した。 「……リオがいるから大丈夫か」 そう1人納得して頷くと、彼はリオの肩に両手を置いてとても真剣な表情で彼の目を見た。 「いざというときはお前だけが頼りだ。頼むぞ」 話が自己完結しすぎて、なにを言っているのか全然わからない。本当に講師かこの人。 「え……え?」 「なんの話だよ」 目的語がわからずぽかんとして固まったリオの横でグラムは呆れた顔をする。 「暴走したときのストッパー」 「ああ、なるほど」 この2人、普段口げんかしている割に通じるものもあるらしい。今ので理解できるか、普通。 つまり、この件でリズがキレたときにリオに止めさせようということらしい。彼女は敵には容赦ない。黒魔術による悪事となると特に敏感だ。怒ったら本当になにするかわからないし、いざ実力行使に持ち込まれると止めるのにも大変だ。だから、自分の弟のように可愛がっているリオが止めて、と懇願すれば折れる可能性が高い。というわけでリオに期待が寄せられているわけなのだ。 「レンじゃ誘爆するからなぁ」 「どういう意味ですか!」 僕が同じことしてもリオほどの効果がないことは認めるが、危険物扱いすることはないじゃないか。 と。 突然、がん、と目の前の扉が音を立てたので、僕たちは皆して飛び跳ねた。恐々と入口を見つめていると、部屋と廊下を遮る板が開かれて、ゆらりと黒と灰色の影が現れる。 「あのさ、うるさいんだけど」 いささか不機嫌、といった様子で扉の枠に凭れたリズ。仕事中であるためにいつものように灰色のローブを着た彼女は、半眼で僕たちを見回し、初対面のアザレアに不思議そうな目でみて、どういうことかとルーファスに視線で訴えた。そして身を起こすと、やれやれと頭を掻きながら道を開けた。 「用があるならさっさと入れ」 案内もあったので、遠慮なくお邪魔する。 リズの他、この研究室にいるはずのリグやジョシュア、そしてこの研究室の主はいなかった。その代わりに、ショートカットに眼鏡を掛けた女性が1人お茶を飲んで座っている。テーブルにもう1つ茶器セットがあるから、女性2人でお喋りに興じてたようだ。もちろんいろんなお菓子も置いてある。 リズは席を勧めて、棚から僕らの分の茶器を出した。リオがそれを手伝い、僕らはそれに甘えて座って待つ。 「なんでミシェルがいるんだ」 早速甘いお菓子に手を伸ばしつつ、グラムは娘を横目で見た。 「なんでって、リズと愛を語り合って……ごめんなさいなんでもないです」 彼女ミシェル・リヒティはいつものようにふざけたことを言って、リズのひと睨みを喰らって頭を下げた。ミシェルはリズが〈木の塔〉に入ってから以来の親友であるらしい。どういう経緯で仲良くなったのかは知らないが、互いが互いを尊重し合った、それは仲の良い友人同士なのだそうだ。 たまに黒い話も繰り広げているらしいが、定かではない。 「寝るからってミラさんに追い出されたんだって」 ミシェルはミラベルさんの研究室で黒魔術の研究をしているらしい。けれど、上記の理由で居場所を奪われたと。だから親友のところに駆け込み、ちょうど休憩していたリズとお茶をしていたんだそうだ。 「別にいいんですけどー。ルーファス先生からも行ってくださいよー、研究室を私室化するなって」 「言ったが駄目だった」 「え、もしかして会ったんですか? あの恰好のままで?」 その瞬間男衆が顔を赤らめたのは失敗だったとしか言いようがない。にやにやと笑いながらも冷ややかな視線を女性2人から向けられて居心地が悪くなった。弁解はどつぼにはまるだけなのでしないに限る。 「それで、なにか用?」 自分のカップにだけお茶を継ぎ足し、ルーファスを見た。 ルーファスはアザレアを紹介し、経緯を語った。話を聴いたリズは、ちょっと見せてみろ、と言って彼女の手を取った。ミシェルも後ろからアザレアを覗き込む。 「ふぅん……」 そうして浮かべた薄笑いにぞっとしたのは僕だけじゃないと思う。普段は人当たりの良いリズの顔が薄氷に覆われている。 「こんな性質の悪いもの掛けて……実験台にするにしてもやり過ぎだねぇ、これは」 「実験台?」 なんとも不穏な言葉に思わず訊き返すと、リズはうんざりした顔を作る。 「いるんだよ、たまに。たまたま近くを通った奴に術をかける奴」 「そんな奴いるのか!」 リズとミシェルは頷く。 「まあ、なにかを勘違いした馬鹿くらいしかやらないけどね。因みに、きちんと規則で禁止してます」 ただあまりにも常識的なことだから、あえて指摘もしないんだそうだ。 ――でも、言われるまでもないことを規則に載せるってことは前例があるわけで。 「こっちも迷惑してるんだよ。そういうのって大概が黒魔術でさ、そいつらの所為で黒魔術が誤解されて、使い手は白い目で見られるんだから」 先程のアザレアの反応を見てもわかるように、黒魔術についての誤解は蔓延している。その所為で黒魔術師と呼ばれるようになった人たちは肩身の狭い思いをしているようだ。やましいことをしていないのに責められて、引きこもる人も多いらしい。 「とりあえず、呪いを解いてくれ」 今は黒魔術の是非よりもアザレアのほうが大事。どうせ愚痴の内容はいつも同じだ。 「その前に……ダガー」 呼びかけに応じて部屋の中に突如現れる炎。それは徐々に人の形を成してゆき、黒髪金目の野性的な少年の姿が現れた。リズの〈精霊〉であるダガー。彼はサーシャのように柔らかい物腰でなく、ふてぶてしさを感じさせる。しかし、忠誠心は強い。〈精霊〉は主の為に働くことを喜びとする、というのが世界にたった2人の〈精霊〉が主張するところ。 「頼んだ」 「はいよ」 そう返事するとダガーは現れたときと同じように炎となって姿を消した。消しただけで、還ってはいないのはわかる。〈精霊〉は主から魔力さえ与えられていればどんな形であっても存在することができるのだそうだ。実体化、霊体化、と呼び分けているらしい。 「どうしてダガーを?」 「いやね、犯人を特定しようと思って」 とっちめないとね、と笑い合うリズとミシェル。〈精霊〉と召喚主は感覚を共有できるので、それを利用して捜し出すつもりらしい。ダガーを喚んだのは、霊体化することで壁や床が関係なくなるからだ。 呪いを解除するときに魔力の波長を感知したらしい。それとおんなじ波長の人間を探すのだ。 「〈塔〉の人間だったらきっとすぐ見つかるから、それまでもうちょっと我慢して」 そう言ってアザレアに向ける笑みは温かいもので、安心感を覚えたのか彼女は声も出さず頷いて返事をした。 しばらくして見つけた、と言って、リズはミシェルとともにアザレアの呪いを解いた。 [小説TOP] |