黒魔術狂想曲-2


 現代魔術はおおよそ2種類ある。
 1つは〈陣魔術〉。円の中に魔術式を書き入れた魔法陣を使った、主に火とか水とかの属性系の魔術のことをそう呼ぶ。魔法陣の円は発動させる場の限定。属性系の術は自然に影響を及ぼしてしまうため、発動させる場を限定させないと反動が大きい。基本的に魔法陣は魔力で描くけど、式と円陣に魔力が流れればいいため、魔力伝導性のある物で予め描いておくことも可能。魔具技術はこれを応用している。
 もう1つは〈呪術〉。魔術式を使用しない、呪文による魔術の総称。端的に言えば、呪い、おまじない、願掛け、祈りといったものを実現させる魔術だ。人を癒し守る白魔術と、人を傷つけ強制させる黒魔術の2種類がある。光系統は白、闇系統は黒、なんて分類もあるそうだが、僕にはよくわからない。
 さて、今問題となっているのは、その黒魔術。魔法陣を必要としない魔術は魔具に使用されないため、僕はこの方面に弱い。
「何処に行くんですか?」
 僕、リオ、ルーファス、グラム、アザレアの5人で〈木の塔〉の2階を歩いている。先頭はルーファス。塔の2階は魔術を専門にしている〈紫枝〉の研究室が詰まっているフロアだ。行き先としては妥当だ。
 問題は、どこの研究室に行くのか。
「ミラベル・ハンフリーのところだ」
「誰です?」
 知らない名前だった。首を傾げていると、リオが親切に教えてくれる。
「黒魔術専門の研究者だよ。黒魔術の講師もされている」
 黒魔術の講義もあるにはあるんだが、僕は受講していなかった。本当は受けたかったんだけど、陣魔術系と一般教養系、小隊の訓練に家の手伝いといろんなことに追われて、呪術の講義まで首が回らなかった。魔具技師に重要なのは陣魔術だから後回しにしてしまったのだ。
 対しリオは一般教養系は充分だからと、魔術の講義はいろいろ受けているらしい。羨ましい。
「どうして、黒魔術師なんかのところに!?」
 だんまりだったアザレアが引き攣った声を上げる。目を見開いて泣きそうな目でルーファスを睨んでいた。どうやらアザレアも僕と同じように黒魔術に手を出してはいないらしい。
 ……は、いいのだが、彼女の反応の理由が分からなくて、全員首を傾げる。
「黒魔術を解くなら、黒魔術師のところが一番だろ」
「そうかもしれないですけれど、もしかしたら私のこと呪った人かもしれないんですよ!? そうでなくても仲間を庇うかもしれないし、とんでもない見返りとか求められたりしたら……っ」
 ああ、そうか。彼女は前提から間違えているのだ。
「犯人はおそらく黒魔術の達人――いわゆる黒魔術師じゃないですよ」
「え?」
「それだけはありえないな。まあ、お前が奴らによっぽどのことをしたなら別だけど」
 呪いを扱う黒魔術師。彼らは容易に人を苦しめ恐怖させることができるから、と結構邪悪な存在として考えられている。ちょっとでも気に障ったら相手を呪うとか、酷い場合は金を貰って呪いを商売にしてる者も居るなんていうのが、なにも知らない人の認識。けれどそれは大きな誤解。さっきも似たようなことを言ったけど、黒魔術師ほどそういうことをしないのだ。
 人を呪わば穴二つ、という言葉がある。誰かを害そうとするならば自分もまた害を受ける、という意味だ。教訓とか戒めの言葉だけど、これは黒魔術の本質を表してもいる。黒魔術を使えば、術者は代償を受けるのだ。彼らはそれを、業を背負うと言っている。
 黒魔術師は、黒魔術の行使によって業を背負った者たちだ。そんな人たちは、悪ふざけとか嫌がらせとか金儲けとか、そんなことのために新たに業を背負うなんてことは考えない。誰が好き好んでどうでもいいことのために重い荷物を持つというのか。
 逆に言えば、そんな軽い理由で黒魔術を使う者は黒魔術師じゃない。それは罪の重さを知らぬ軽率な者の行動だからだ。そしてそんな軽率な奴らは黒魔術師と呼ばれるほどに成長することはない。
 そう説明すると、アザレアは半信半疑ながらも納得してくれた。まあ、いきなりこれまで信じていたことと違うことを言われて素直に呑み込める人は少ないよね。
「で、なんでリズのところじゃないんだよ」
 アザレアへの説明のために脇に置かれていた疑問をグラムが口にする。ここに居る4人に共通する最も親しい黒魔術師はあのリズだ。気安さもあるし、礼も他人に頼むよりは少なくて済むからうってつけなのに。
「ハンフリーは黒魔術の権威とまで言われている。誰が黒魔術を使えるか、それを把握している可能性はリズより高い」
 リズは黒魔術を扱うしたまに術の開発もしているが、専門的に研究をしてはいない。だから知識面でミラベルさんに劣るし、研究者同士でのつながりも希薄だから知り合いも少ないだろうと判断してのことのようだ。
「…っと、ここだな」
 ルーファスは廊下を中ほど行ったところにあった扉の前に立ち、ノックした。
「ミラ・ハンフリー、いるか?」
 扉を開けた中は不気味な暗さだった。真昼間なのに、洞窟の中に入ったかのように暗い。僕たちは思わず躊躇してしまったが、ルーファスは慣れているらしく構わず入っていった。
「ハンフリー?」
 返事がないので、何度か呼びかけて見ると、くぐもった声が返ってきた。
 のそりと向こう側でなにかが動く。
「はにゃ、ファーレンハイトせんせー?」
 寝ぐせだらけの頭を机の向こうから浮かび上がる。女性だ。若い……けど年齢不詳。すごく眠たそうだった。これが黒魔術師ミラベル・ハンフリーか。
 彼女は机の上に置いてあった眼鏡を掛けた後、机にしがみついて立ち上がった。蝋燭1本のわずかな光源の中に浮かび上がる白。その正体に気付くと、アザレアはポカンと口を開けて呆然とし、残りの男性陣ははすぐさま彼女から顔を背けた。
「お前、なんて格好してるんだっ!」
 顔を真っ赤にしながらルーファスが唾を飛び散らんばかりに怒鳴りつける。
 ミラベルさんの格好は下着同然……どころではなく、裾の方が捲れていて、肌まで見えている。さすがに見えてはならない部分は隠れてはいるが、突然の訪問とはいえ、人前――それも男性の前でその格好は如何なものか。
「自分の研究室だからいーじゃない……」
 しかもそれを気にした様子がない。更に、寝ぼけている。この弛緩した雰囲気の女性が黒魔術を扱うと誰が信じるだろうか。
「研究室は私室じゃない!」
「はいはい。いーから、入って扉閉めて。眩しいから」
 言われた通りにリオが扉を閉める。明かりは机の上に載った小さな蝋燭ひとつだけ。これでは机のあたりしかまともに見えない。
「この人が講師?」
「う、うん」
「予想とは違うけど……、これはこれでヤだな」
 黒魔術師といえば、暗闇の中で蝋燭を持ち全身黒のフード付きのローブを身にまとっているような、邪悪そうな姿を思い浮かべそうなものだが、ミラベルさんはそれとはまったく違い、少し要領の悪そうな女学生のような容姿である。……目も当てられないような格好を似合いそうな服を着た格好に補正したなら、だけど。っていうか、ほんと何歳だ。えっ、リズより年上って、冗談? 中身はおっとりとした人物。とても呪いやらとは結び付きそうにもないが、黒魔術の第一人者だそうだ。リオ談。
「で、なんの用? 徹夜明けで寝たばっかだから、眠いんだけどぉ」
 徹夜でいったいなにをしていたのか。聞いてみたくもあれば、そうでなくもある。黒魔術は元来それほど邪悪なものではないのだが、この部屋の雰囲気はやはり間違ったイメージしか生み出さない。
 それはともあれ、アザレアの呪いである。
「この見習いが呪いにかけられたらしい。見てくれないか」
「ん〜、パス」
 しょぼしょぼとした眼で欠伸を噛み殺しながら、椅子に座り込む。なんか羽織る気はないらしい。もっと恥じらいとか。目のやり場にホント困る。
「なんでだ」
「言ったでしょ、徹夜明け。頭がぼうっとした状態じゃあ、なんの呪いにかけられているかがわかっても解呪できない。というか、むしろ失敗してとんでもないことになるかも〜。
 リズがいるでしょ。そっちに頼んで。できなきゃひと眠りした後にやるから。ま、心配ないと思うけど」
 お休みー、といって、沈むように椅子から滑り落ち、そのまま床で眠ってしまった。今さっきまで会話していたことが不思議なくらい、深く眠りこんでいる。
「……これ、教師?」
 穴を覗き込むように中腰になって彼女を指さしながら、グラムはルーファスに顔を向けた。
「残念ながら」
 いや、ほんとに残念だ。
 なぜか研究室に備えてあった毛布を彼女にかけてやり、危ないので蝋燭の火を吹き消してから部屋を後にした。



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