黒魔術狂想曲-1


「それでは、今日はここまで」
 途端、静かだった部屋の中が騒がしくなった。疲れたー、とか、眠かったー、とか、生徒の大半は教師がまだ教壇に立っているのにもかかわらず、好き好きに喋っている。
 教材を片付けて紐で纏めていると、グラムが教室を横切っているのを見た。僕に用かと思ったら、こっちを見向きもせず(たぶん気づいてない)に講師の先生の下に向かっている。
「レンくん?」
 グラムを見ていたのをぼうっとしているとでも思ったのか、隣にいたリオが首を傾げる。それにグラムを指さすことで答えた後、なんだか気になったから僕もそっちへ向かった。
 歴史の講師で〈青枝〉所属の研究者ルーファス・ファーレンハイトは、それはもうめちゃくちゃ美形だ。暗闇でも輝く銀糸の髪。新緑と深緑の間の鮮やかな緑柱石の瞳。繊細でありながらもしなやかな姿。冷たい鋭さの中にほろ苦い甘さのある整った容貌。女であるならば誰もが一度は恋い焦がれる、理想の王子様。
 因みにこれ、恋愛小説が大好物な〈青枝〉の女性による評価を引用したものだ。大げさだと笑い飛ばしたり、言葉がおかしいと指摘できないほどに、ルーファスの見た目は優れていた。あまりに美人だから目覚めた奴もいるって話だ。なにに、とはあえて言わない。
 そんな彼だから、当然女性には大人気。もちろん研修生にも。講義を終えた彼の下には毎度誰かしら女の子がいる。さすがに慣れたものでいつもは適当にあしらっているのだが、今回は何故か話し込んでいるらしい。
 これはまさか恋の予感!? と下世話な発想が頭の中に湧いて出る。もちろん違っても、からかいの材料になるので問題なく楽しい。
「ルーっ!」
 というのに、空気を読まず大声でルーファスを呼ぶグラム。ルーファスは寮でジョシュアのルームメイトだったので、つまりはリグとリズの知り合いで、その経由でグラムとも知った関係だったりする。どう見てもそうなのに、何故かグラム相手には友人と呼ばないのが可笑しなところ。
「あのさぁ……っ」
 状況を理解しようともせず、さらに何事かを話そうとするグラムがのけぞった。不自然に手が宙に浮いている。たぶんチョークかなにか投げつけられたのだ。ルーファスは遅刻者と居眠りしている奴にいつもそうしているから。そして彼がその常習犯であったことは想像に難くないはずだ。
「話し中っていうのが見てわからないのか、お前は。なにをずかずかと入り込んでやがる」
 〈木の塔〉の女性の注目の的の歴史講師は、口を開けば結構辛辣だった。
「あ、悪ぃ」
 グラムは頭を掻いて詫びる。が、あまり悪いと思っていなさそうに取れるのはどうしてか。
 そんな彼に溜め息を吐いて、ルーファスはふと視線を僕らのほうに向けた。まずい、とばっちりか?
「いいところにいた。この子知ってるか?」
 ……でもなかったらしい。
 促されてその娘を見る。気弱そうな少女だった。内気そうな顔立ちに、肩までの赤茶の髪が掛かる。前髪は左側だけピンでとめていて、そこから茶色の瞳がのぞいていた。
「ああ、えっと確か……アザレアちゃん、でしたっけ?」
 名前しか知らない、と答えたら充分だとグラムとルーファスから返ってきた。
「あの……身体は大丈夫ですか?」
 おずおずとリオが話しかける。確かにこの娘、顔色が悪い。いや、それだけじゃない。思い出した。彼女確か、最近色々とやらかしているのだ。なにもないところで急に倒れたり、席を立とうとしたところで動かなくなったり、本当に危ないのでは、魔術の実践訓練中に急に直立不動になっちゃって、火の玉を喰らいかけたなんていうのもあった。全部今週の話だ。
 間抜けだとか、怯えて動けなくなった、とかそんなんじゃないのは見ていてわかった。
「実は、それについてだ」
 彼女アザレアは、1週間前から急に金縛りになったり、胸が苦しくなって動けなくなったり、ということを繰り返しているらしい。時間場所構わず起こるので、何度も危ない目にあったのだとのこと。僕が見たのもそれが原因らしい。
「〈白枝〉の人にも相談したんですが、身体に異常はないそうなんです……」
 身体の不調を感じたらまず医療専門の〈白枝〉に行くのが普通だ。そこで異常がないと言われ、はじめは気のせいかと思ったのだという。だが、その後も症状は治まる気配がなかった。だからルーファスに相談を持ち掛けたのだという。何故〈青枝〉のルーファスを選んだんだという疑問は、今はとりあえず仕舞っておいてやった。それどころじゃない。
「たぶん黒魔術だ」
 ルーファスの宣言に、リオ共々頷いた。魔力の気配がある。それしかない。
「だが、医術が専門とはいっても、仮にも〈木の塔〉の研究者だ。そうそう魔術――呪いを見逃すはずもないんだが……」
 訪れる患者にも、稀にこういうことがあるはずだ。仮に専門外で対処できなくても、対処できる人物を紹介することになっている。だから、呪いを見抜くことくらいはできるはずなのに、その診断がなかった。
「やぶだったのかな?」
 経験の浅い僕たちも気付くぐらいなんだから、相当な鈍さだ。
 まあ、問題は医者ではない。あとで告げ口はするが、今は呪いをかけた術者のほうが重要だ。
「……駄目だ。心当たりがないな」
 全員で溜め息を吐く。困ったことに、こういう黒魔術の事件は可能性がある人物ほど犯人に“当てはまらない”のだ。だから容疑者はある程度黒魔術を齧った魔術師に限定される。
 果たして〈木の塔〉の中に何人いることやら。当てはまらない人物を探したほうが早いくらいだ。
「とにかくさ、アザレアの呪いだけ解いてもらわねぇ? またあんなことがあったら困るし」
 グラムの声で我に返る。その通りだ。犯人が誰にしても彼女の呪いを解かないと、この先もっと危ないことがあるかもしれない。
「お前にしては珍しくいい案だ。と、なれば……」
 何処へ行けばいいのかと、ルーファスは思いを巡らせていた。



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