Oneiroi

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 骨は鉄。壁は煉瓦。屋根はトタン。床はコンクリート。鉄パイプが壁を這い、天井にはもう点かない照明がぶら下げられている。光源はドラム缶の中で燃やされている篝火だけ。あとは深い闇に塗りつぶされている。
 墓堂みたいだ、とイリスは思う。地下深くに造られた、埋葬のための建物。深い闇がそう思わせるのか、はたまた仄かに香る芥子の匂いの所為か。
 廃工場の中はがらんどうだった。もともと置いてあった機械類は、おそらく潰れたときに売り払ったのだろう。残っているのは資材と製品を出荷するのに用いたとみられる木箱のみ。木箱には会社名が印字されていて、ここが製薬会社のものであったことが知れる。
 なるほど。薬売りの連中が溜まるようになったのも必然なのかもしれない。
 その件の薬売りの連中だが、年齢層が低かった。イリスとさほど歳の変わらない少年少女……ただの不良たちの集まりだ。イリスたちの正面に立つ代表格を取り囲むように並んでいる。その数、15、6。
「薬を売るのをやめろって? そんなことして、俺たちにどんなメリットがあるんだ?」
 その不良集団のリーダー格と思われる少年が声を上げる。大げさに腕を広げているのは余裕の現れか。吊り目という以外どうという特徴のない少年だが、統率者らしい威厳を備えていた。
 周囲には喧嘩が得意そうな、屈強な少年たちも居る。彼らを押し退けて上に立っているのだから、それだけの頭脳と度胸があるに違いない。こうして忠告に来た得体のしれない二人組を前に臆した様子もないのがその証拠。
「さあ、それは俺たちに言えることじゃないな」
 彼らと交渉しているのはシンだ。イリスは後ろに立っているだけで、一言も発言していない。
 イリスは全身を覆う黒いマントを纏い、それについていたフードを目深に被っていた。顔を見せないという意味もあるが、あまりに特徴的な虹彩を晒さないためでもある。色付きレンズの眼鏡は今は掛けていない。意志を持って見たものを灰にする“邪眼”の能力は眼鏡越しでは発揮されないからだ。もし仮に装着したまま能力を使った場合、眼球と最も距離の近い眼鏡が灰になり、目標物まで到達しない。
 イリスにとって眼鏡は、虹彩を隠すためだけでなく、事故を防ぐための安全装置でもあった。
 ……だが、それも“仕事”の時には必要ない。
「話にならないな。こっちの利益を損失するようなことを要求してくるからには、見返りを持ってくるのが筋だろう?」
「ごもっともなんだが、俺たちはただの雇われの身だからなぁ」
 困ったように後頭部を掻く。
「それに俺たちは要求しに来たんじゃなくて、脅しに来たんだ。そこを間違って貰っちゃあ困るな」
「たった2人で来てこの人数を前にして、脅しだ? 笑わせてくれるな。しかも1人はただ突っ立ってるだけのやせっぽちじゃないか」
 突っ立っているだけのやせっぽち、とはイリスのことだろう。フードで顔を隠している上、マントを着ているので体型が分からず、女とも気づかれていないのかもしれない。いずれにしてもイリスは充分侮られる姿をしているので、この流れはいつものこと。
 今更そんなことを気にも留めない彼女は、そっとフード越しに隣の男の様子を窺って、こっそり溜め息を吐いた。
 シンは、愚か者を見つけると生き生きする、意地の悪い男だった。
「俺たちを舐めてかかるのはそちらの自由だ」
 それがシンにとっての最後の親切であると、彼らは気付いただろうか。
「とにかく、まだ互いに顔を合わせたばかりだ。今日のところはこれで帰らせてもらうよ。一応、見返りについてお伺いを立ててきたいところだしな」
「次は良い手土産を期待しているぜ」
「せいぜい期待しててくれ」
 手を上げて別れを告げ、踵を返す。イリスは不良たちに目もくれず後を追った。下卑た少年たちの視線がついてくるが、気にも留めずに廃工場の重い金属扉を潜り抜けた。
「思ったよりも賢い連中だったな」
 廃工場を出たところでイリスは言う。喧嘩腰ではあったが、受け答えは冷静な対応だった。相手が少年と知り、理知も道理もない頭の痛い会話を想定していただけに、驚きだ。……まあ、その理知や道理は子供染みた我が儘でしかなかったのだが。交渉が暴力に移行しなかったあたりは褒められる。
 そうだな、とシンは頷く。
「だが若さの所為か無知で鈍い。……結構この仕事、楽しめそうだ」
 意地悪く笑うシンの顔を見て、イリスは彼らを憐れんだ。



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