第14章 翳りゆく世界 1. 「はぁ〜あ」 鉾槍の斧頭の刃が欠けていたりしていないかと観察しながら、レンが盛大な溜息をこぼしていた。 「なんかこう、もっと張り合いのある仕事ってないですかねぇ……」 「贅沢言うな。正規に所属している訳でもないのに、こうして仕事を貰えてるんだ。感謝すべきだろう」 「いや、でも、こんな仕事ってぇ……」 レンは嫌そうに視線を斜め下に落とす。 「てめぇら、ふざけんじゃねぇぞっ!」 「あああ、もう、うっさい!」 頭を抱えて悲鳴を上げるかのように騒いだ後、レンは横たわり身動きのできない男の腹に鋭い蹴りを入れた。 「酔っ払いは黙ってなさいっ!」 びしっと指を突き付けて、恫喝した。が、必要はなかった。なにせ、今の一撃で昏倒してしまったのだから、騒ぎたくても騒げない。少年の暴挙に、ラスティは内心冷や汗を掻いた。 あの後、アリシエウスを出てきたラスティたちは、とりあえず行くところもないので、近くのルクトールに移ることにした。そこで生じたのが金銭面の問題であったが、〈挿し木〉に臨時に雇ってもらえたので、すぐに不安はなくなった。シャナイゼを出る前にグラムから紹介状を貰っていたので、快く仕事を紹介してくれたのだ。それからおよそ1週間ばかり過ごしている、のだが。 回ってきたのは、酒場の用心棒の仕事だ。なにせ、交易拠点の街、物資だけでなく、様々な人間も行き交う。乱暴者が酒場に立ち入ることなど珍しくない。まして、酔った人間はなにをするかわからないもの。酒を楽しんでもらうためにも、こういう役目の人間は必要だろう。何故魔物狩りが専門と思われる〈挿し木〉にこういう仕事まで斡旋されるのかは謎だが。 レンは女性受けする見た目と人当たりの良さから、すぐに酒場に馴染んだ。出番がない時も、店を手伝ったり客の話し相手になったりと、先程の発言からは予想できないほど積極的に働いている。ラスティもまた故郷の酒場で会得した技術を使って賭博のトラブルを解決したりしているので、周囲の信頼もそれなりに得られている。それはいい。 問題は、その出番が来た時だ。 酔っぱらって暴れだしたり、性質の悪い男がいたりすると、レンは威嚇のためだけに携帯しているはずハルベルトを狭い店内で振り回し、相手を昏倒させたうえ、夜風の中に放りだすのだ。はっきり言ってやりすぎだ。念のため、魔装具類を取り上げてあるが、正解だったと思う。 不思議なのは、それでも店内での受けがいいということだ。特に店長は契約時よりも高い給金を出してくれている。金などいくらあっても困るものではないので有り難く戴いているが、むしろこちらが損害額を払わなければいけないのではないかと思うこともたまにある。 にこにこ笑いながら、のした男たちを外に捨ててきている少年を見ていると、特に。 「あ〜あ、喉乾いちゃいましたよ。お水ください」 はーい、と返事をして厨房へ取って返す女給。それを笑顔で見送ると、カウンターの席に座った。ラスティもその隣に座る。使いこまれた木製のカウンターは黒ずんでいて、ところどころに酒を溢したものと思われる染みが付いている。表面を手で撫でて見れば、ニスは剥がれてしまったのか、木の肌を直に感じた。 酒場の中は未だに興奮状態にあった。馬鹿騒ぎといったところで、先程の様子を見ても誰も退いた様子がなく、楽しんでいるようだった。それが目的で来ているんじゃないか、と疑ってしまうほどに騒がしい。こういった安酒場では、確かに乱闘などはよくあることで、周りはそれを煽ったりとするものではあるが、もう少し冷静さがほしいとラスティは思う。 「アリスはなにしてるんでしょうね」 給仕が運んできた水の入ったグラスを手で弄びながら、レンはぼんやりと口にした。彼女の本名を知ってからフラウをそう呼んでいる。今更偽名のほうで呼ぶ気にもなれず、かといって本名で呼ぶわけにもいかず、妥協案としてそうしているらしい。アリシアを略して、アリス。 「またその話か」 「だって、ここ何日も姿を見てないじゃないですか。宿に泊まってはいるみたいですけど」 あの後もまた共に行動しているアリシアであるが、ラスティたちのように働こうとはしなかった。毎日気ままに街を歩き、宿に帰ってきている。貴方たちに迷惑はかけないから、と言って。実際に、宿代は彼女自身でちゃんと払っている。今までどのように過ごしていたのかは知らないが、充分に蓄えはあるのだろう。だから放っておくことにしている。 「彼女のことを心配する必要はないと思うが」 「別に心配ってわけじゃ……。ちょっと気になるだけです」 レンは口を尖がらせる。もっとも、ラスティも彼女の所在が気にならないわけではない。なにを企んでいるのかと心配になるのだ。彼女の性格から、不要な心配だとわかっているのにもかかわらず。 「俺はフラウよりも彼女のほうが心配だがな」 「ユディ、ですか?」 ユーディアとは、アリシエウスで別れた。彼女はもともと仕事でこの旅をしていたのである。彼女の目的はセルヴィスの手記であり、結局それを手に入れることはできなかったが、その旨を報告する義務がある。 シャナイゼと比べるならずっと魔物は少ないが、危険は皆無というわけではない。1人で心配だったが、クレールにいることは避けたかった。レンはラスティについてきた。だから、今は実質レンと2人きりである。 もともと1人で逃亡生活を続けるつもりだったのだから、彼が隣にいることだけでも凄いことなのかもしれないが、それでも賑やかに慣れてしまっていたので、妙に寂しさを感じていた。 [小説TOP] |