第9章 魔族


  1.

 ラスティは左腕に着けた腕輪と格闘していた。背にジョシュアの掌を感じながら、彼の言葉に集中する。
「いいか、力の流れを感じるんだ。ボクの手から背中になにかが流れている感じがするだろう。それが魔力の流れだ。この魔力の流れを左腕に集中させるようにイメージするんだ」
 流れを左腕に集中させると言われてもよくわからないが、とにかく言われた通りにしてみる。背中の掌から左肩、そして前につきだした左腕へと流れる感じをイメージした。
 目を閉じるな、と言われた。戦いの時に目を閉じるわけにはいかないからだ。だから集中しづらいが、耐える。
「そしたら、腕輪に力を放射状に伝えるんだ」
 腕輪の玉が光出す。青色の光に目を見張った。光はいっそう強くなりながら、左掌の向こうに魔法陣を描いていく。更に強まって眩しいくらい輝くと、ぴし、と音を立てて霞む消えた。
「あっ」
 その場にいたラスティ以外の人間が声をあげる。
「壊れた」
 腕輪に目を向けると、確かに深い青色の玉に罅が入っている。
 ジョシュアが掌を離した背中に汗が流れ始めた。
「申し訳ない」
 ラスティは頭を垂れる。この腕輪――魔装具はリズの物だった。借り物だ。借り物を壊してしまった。
「もうあまり使わない物だから、気にするな」
 リズは苦笑しながら、ラスティの腕から腕輪を外す。そして木漏れ陽に当ててそれを眺めて、あはは、と笑った。
「ああ、周りにまで罅が。こりゃ玉換えても使えないな」
「どうやら不器用なようだな」
 ジョシュアの感想に少なからずショックを受けた。不器用など言われたこともない。手先の器用さがラスティの取り柄でもあるというのに。だが、他人の物を壊してしまった手前、言い返すこともできない。
 シャナイゼに来てから3日。1日目は研究室で茶を飲んで終わり、2日目は休暇を取れたグラムたちと6人で街を見て回った。そして今日、まだ休暇だがなにか用があるらしく研究室に顔を出すグラムたちについてきたラスティたちに、ジョシュアが魔術を習ってみないかと言ったのだ。
 大樹の外、東側にある闘技場に連れてこられ、ラスティとレンは腕輪を渡された。使ってみろ、と言われたが、魔法なんて生まれてこの方全く触れたこともなかったので、ジョシュアの指導を受け、このように至るわけである。
 ちなみにレンは、〈魔札〉を使っていたこともあって、すぐに使いこなした。今はリズに〈陣魔術〉――魔装具なしで使える魔術を教わっていたところである。ユーディアはすでに魔術を扱えるので辞退して、グラムと共に見学をしている。
「だが、力はあるようだ。倦怠感は?」
「いや」
 体力を奪われたような感覚はあるが、疲れたと主張するほどではない。失敗するのは恐ろしいが、まだ何度も同じことはできそうだ。
「装飾部まで壊してこれか……。どうやら長いこと魔術に触れなかった割に、魔力はあるようだな。リズたちほどとはいかなくても、ボクくらいはあるんじゃないか?」
「そりゃ凄い。つか、もったいない」
 勿体ないと言われても、だ。
「んじゃ、今度はこれでいってみる?」
 リズは身に付けていた腕輪を引き抜くと、ジョシュアに投げ渡した。
「そうだな、これならさっきのより丈夫だ。攻撃系なのが問題だが……」
 ジョシュアが腕輪を渡してくる。攻撃系うんぬんより、他人の物を借りて壊してしまうほうが怖いのだが、逃れる術はないらしく、おとなしく受け取った。
「だから闘技場借りたんだろ。こっちはもうやっちゃってるし」
 どうやらレンも攻撃系の魔術を習っているらしい。ジョシュアが呆れた顔をしていたが、リズは特に気にかけず彼から離れていく。
 単純に何やら文様の入った金属を曲げ、玉を一つ嵌めただけのシンプルな腕輪だ。悪く言えば地味だが、突起がないのでどこかに引っ掛ける心配がない。金属部は銀色。銀鍍金か。玉はまた青色だ。
 腕輪を左腕に装着した。両腕に着けない限りは利き腕ではないほうに着けるのが一般的だと聞いた。両腕に着ける場合もよく使うほうはそうするらしい。利き腕には補助の術の物を着けることが多いのだという。
 今度はジョシュアの補助なしでやってみろ、と言われる。思い出しながらやってみるが、魔力の流れのようなものは感じられなかった。
「今度は足元から汲み上げるイメージをしたほうがいいと思います」
 首を傾げるラスティに、おずおずとユーディアは言う。
「私は、慣れないときはそうしてました」
 頷いて、実践してみる。確かに今度は魔力の流れを感じた。先程と同じように左腕に集中させ、放つ。
 突き出した左手から、氷が現れた。大気中の水の素を凝縮させながら円錐を象っていき、矢のように飛んでいく。
 ……寸前に破裂した。
「まあ、まずまずだろう」
 そしてラスティの左腕を取る。
「壊れていないな。次はもう少し抑えてみろ」
 そろそろ面倒臭くなってきたが、言われるままに何度か同じことを続け、ようやく氷の矢を撃てるようになった頃に、知人に本を返しに行ったリグが戻ってきた。
「お帰り。遅かったね」
 妹の声に、ああ、と疲れた様子で受け答える。練習を中断して、皆リグのところへ集まった。
「本返しに行っただけなのに、愚痴られたんだ。さっさと帰るつもりだったのに……」
「……お疲れさん」
 呆れたのと同情したのを混ぜた様子でグラムはリグの肩を叩く。リグはなにかを振り払うように頭を振ると、グラムのほうを見て口を開いた。
「それで、だ。今からフェヴィエルの森へ行こうと思うんだが」
 突然現れた、森、という単語にラスティたちは首を傾げた。乾燥した気候のシャナイゼ周辺は短草草原ばかりだが、もう少し東のほうへ行けば確かに森はある。
「なにしにいくんですか?」
 森に囲まれた国で育ったラスティが思いつくのは、魔物狩りかピクニック或いはサバイバルである。この街はそれなりに都会で物資が集まるから、まさか食糧集めなどではあるまい。
「情報収集」
 は、と思わぬ言葉に困惑するラスティたちに、リグは付け加える。
「フェヴィエルの森に情報くれる奴がいるんだ。宛てになるかはわからないけどな」
 ふとラスティの中に希望が芽生え始める。
「アリシエウスの事は聞けるのか?」
 クラウジウスよりアリシエウスが吸収された話を聞いて、ラスティは正直気が気でなかった。なによりも心配なのは、ハイアンとディレイスの安否。もちろん家族も心配だが、貴族とはいえ一市民の生死の情報など滅多に入ってこない。どちらにしろ、それについての情報は全く得られていないのだという。
 かもな、とグラムは応えた。リグはもともとそのつもりだったらしい。クラウジウスから聞いたミルンデネスの情勢と、彼らが追っていた盗まれた本について聞きに行くのだと言った。
「俺も行っても?」
 故郷のことが聞けるなら、黙って待っているわけには行かない。
「じゃあ僕も行きます!」
 元気よくレンは挙手する。彼はいつもラスティに引っ付いてくる。
「あ、私も行きたいです」
 控え目ながらにユーディアも主張する。こちらは少し意外であったが、彼女も故郷のことが心配なのかもしれない。
 次々と参加表明するラスティたちに、いつもなら快く承諾するグラムたちだが、今回は戸惑ったようだった。ジョシュアは怪訝そうな表情をするが、腕を組みながらじっとただ3人を観察するだけで、口を挟まない。
 グラムたちは目線だけで相談するかのように互いの顔を見合わせた。
「……まあ、大丈夫じゃね?」
 グラムの安請け合いにリグは眉を顰めたが、しばし考えたあと、結局折れた。
「驚くし、不快な想いもするかもしれない。だが、お前たちが行きたいと言ったんだから、くれぐれも勝手な真似をするなよ?」
 釘を刺すリグの言葉に、ラスティはアリシエウスのこととは別の不安を抱き始めた。
 いったい、その森になにがあるというのだろう。



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