第8章 盗まれた禁書 1. 「あ〜、終わったぁ〜っ!」 塔長室を出るや否や、グラムは、う〜ん、と伸びをする。 「結構早く終わったよなぁ。ラッキぃ!」 廊下に声が響き渡る。後ろの扉の中にまで聴こえるんじゃないかと思うくらいの大音声だ。訊かれたらいろいろとあれだよな、と思いつつも咎めることはしなかった。グラムだし。 「そうだよな……」 そう答えながらも、リグは釈然としなかった。ひとつ目の仕事のほうはともかく、ふたつめ、例の本の捜索は失敗に終わっているのだ。あの本はかなり重要な本。手掛かりを得たのに逃がしたとなれば、嫌味のひとつ返ってくるのは当然というもの。 しかし、なかったのだ。残念だとは言われたが。 そして、塔長は嫌味を言わないような人物ではない。 「なんだよ、別に。嫌味なら言われないことにこしたことはないじゃん」 「そうだよな」 さっきと全く同じ返事をしながらも、リグは考える。なにかあるとは思うのだが。 「それより、これからどうする?」 ぐるぐると腕を回しながらグラムは尋ねる。素直にリズたちのいる研究室に戻るか、それとも……。 「図書室へ行こうと思う」 あそこにはユーディアがいる。知り合いもなく1人で途方に暮れているかもしれない。 「ウィルドがいるじゃん」 「あいつに人の面倒が見られるとでも?」 「あー……」 自分で言っておいてなんだが、それで納得させられてしまうなんていうのはどうなんだろうか。 肩を竦め、呆れたように首を振りながら扉を開ける。真っ先に目に飛び込んでくるのは、宝玉のような鮮やかな緑色だ。 そう、ここは大樹の上。塔長室のある建物は、大樹の太い枝の上に建っていた。建物はちょっとした館規模。さながら巨大なツリーハウスである。 こんなところに建物があって、恐怖を覚える者は少なくないだろう。支えが1つでもおかしくなったら落ちるし、そうでなくとも大樹が倒れるかもしれない――この点は街の者皆が懸念することでもある。 そのための安全策はきちんと取っている。もちろん、“絶対に安全”というわけではないが、想定され得る危険にはおおかた対処できるようになっているはずだ。 太い枝を彫って造られた広い階段を下っていくと、屋上に降り立つ。枝分かれした部分に木の板で足場を作り、落ちないように手すりも作られている。そこから下を見下ろせば、シャナイゼの街が見下ろせた。ちょっとした展望台である。 中へ入って螺旋階段を下りる。図書室は6階建ての塔の中の3階にある。その階のエリア全てが図書室だ。それだけの蔵書があるのは、さすが研究施設だと思う。 3階に辿りついたところで、階下から上ってきたルーファスと鉢合わせた。おう、と互いに手を上げて挨拶する。 「ジョシュアたちは?」 「リズが黙らせた。今は4人で茶でも飲んでるはずだ」 ――黙らせた、ね。 おおかた、呪うだなんだ言って脅したのだろう。口癖にしている割にはそんなことしないくせに、皆その言葉に屈するのだ。 「で、なんで図書室に?」 お茶している、ということはルーファスの分も出されたはずだ。ジョシュアとクラウジウスの喧嘩が終わったのなら、逃げる必要もないはずなのに。 「お前ら、連れがいるんだろ? そいつの面倒を見てくれと頼まれた」 「ユディ……ユーディアのことか」 「そうそれ。ステイスじゃあ面倒見れないだろうからってさ」 「おんなじこと言ってら」 グラムは笑う。 入口で立ち止まるのは他の利用者の邪魔となるので、奥へと進む。文学の書棚からユーディアを探し始めることにした。 「そっちはどうだった?」 塔長のところに行ってきたんだろ、とルーファスは書棚の間を覗き込む傍らで、リグは肩を竦めた。 「拍子抜けするほどに早く終わったよ」 「そういえばお前ら、帰ってくるの遅かったよな。護衛ってそんなに時間かかったのか?」 もともとリグたちが沙漠の西側にいたのは、キルシアでの仕事のためだ。とある要人の娘の護衛をしていた。キルシアにも〈挿し木〉はあるのだからそちらに頼めば良いものを、わざわざシャナイゼのほうに依頼してきた。予想外の敵でかなり手こずったが、契約期間内に全ての憂いを取り祓うことができた。 「その後にもう1つ追加で仕事が入ったんだよ」 ルクトールでラスティたちと出会うきっかけになった件である。 「手記の件、知ってるか?」 リグたちはこのことについてキルシアで聞いたので、〈塔〉内でどの程度話が広まっているのかを知らない。それを確認するためにも敢えて問うたのだが。 「知ってるもなにも、そのとき俺、閉架書庫にいたからな」 自分の研究をしていて、夜遅くに図書室にいたのだそうだ。そして古い書物が必要となったのでたまたま閉架書庫に入って調べ物をしていたのだという。ルーファスは図書室を管理している〈青枝〉に所属していることもあって、普段人が入れないような場所であっても利用に融通が利く。 「捕まえようと思ったけど、逃げられた」 ルーファスは戦闘の専門家ではない。増して、狭く障害物の多い図書室。閉架書庫ということは貴重な本ばかりだ。本を気遣えばますます戦いにくくなる。つまり、こちらがあまりにも不利だったのだ。 話に加われずに飽いたのか、グラムは小走りに書棚の間を縫うように移動してユーディアを探す。図書室で走るなというに。 「そうか、お前たちが追ってたのか」 どこかほっとしたようだった。己の失態は己で片付けるのが望ましいが、それができないので辛い部分があったのかもしれない。それでも、後始末を引き受けてくれたのが身内となれば、いくらか気が楽なのだろう。必要以上に責められることもなく、嫌味を言われることもない。 だが、そんなルーファスを見てリグは気持ちが落ち込んだ。 「悪かったな、お前の汚名をそそぐことができなくて」 早く知っていれば、と思う。その場に居合わせたのがルーファスでなくとも、捜索には全力を注ぐつもりであったし、実際己のでき得る限りの力をもってことに当たっていたつもりだが、結局果たすことができなかった。 あのとき、レン達に会うのがもっと早ければ。否、わざわざ〈挿し木〉に戻ることなどせず、その場で尋問するか本の中身を確認すればよかったのだ。どうしてあんな時間を取るようなことをしたのか、と今では悔やまれる。 「まあな。……にしても厄介だ」 なにせ最重要機密文献である。無くしても問題、誰かの手にあっても問題だ。だが、どちらが良いかと言われたら、無くなるほうがいいのだろう。取り戻せないとなったら、消滅させるために動くことになる。 本当ならここでまごまごしているのも惜しいくらいの本なのだ。それこそ“血眼になって”探さなければ。 [小説TOP] |