第5章 魔境の入口


  1.

 フェロスの村は、ルクトールの東北東に位置する。交易街を出てからはしばらく東へ進み、途中北へと進路を変えてリヴィアデール首都キルシアにたどり着く。そこからは更に東へ進み、隣の町に着いたところで北東寄りの道を通る。その道の終点がここフェロスだ。
「地図を見た限りでは、もっとかかるかと思ったんですけどねぇ」
 フラウの持っていた地図を両手で広げながらレンは呟く。
「そうだな。魔物も賊も現れなかったし」
「平和すぎて、退屈なくらいだったよねぇ」
 受け答えるのは、〈木の塔〉の魔術師兄妹リグとリズだ。
 そう、ルクトールから始まったこの旅には、グラムたち4人が加わっていた。

 彼らに追い回された次の日の朝のことである。町を出ようと大通りを東に進み、門が近づいたところで、同じように町を出ようとしていた彼らに偶然鉢合わせたのだ。そして、目的地が同じであることを知ると、グラムが一緒に行こうと誘ってきた。断る理由はなかった。
 彼らは全員シャナイゼから来たらしい。リヴィアデールの東の端から西の端までフォンとカルを追いかけてきたというのだから、話を聞いたときは驚いたものだ。
「まあ、実のところ、偶然あたしたちがこっち側にいただけなんだけどね」
 ルクトールに来る前、彼らは別の仕事でキルシアにいた。そこでの仕事を終えたときに、件の本が盗まれたことを知らされ、そのまま西へ盗人たちを追いかけていったそうだ。
 そのフォンとカルだが、捕まらなかったらしい。レンから情報を貰ったときはすでに手遅れで、その頃にはもうルクトールを出ていたのではないかという。ルクトールの先は異国。リヴィアデール内にしかない〈挿し木〉の手の及ぶところではないため、悔しい思いをしながらグラムたちは、この事と前回の仕事の報告をするために帰路についている。

「夕方に出発しましょう。次はとうとう沙漠を越えるから、それまではゆっくりと休んでおいて」
 村について宿を取り、荷物を置いてフラウの言葉を聞くなりレンが取った行動は、ラスティを引っ張って宿を飛び出す、だった。それにグラムたち一行もついてきて、ラスティたちの周りはとにかく賑やかだ。休むもなにもありはしない。
 フェロスは本当に小さい村だった。建物はこれまで見てきた他の町とは違って壁が厚く、平屋根で窓が小さく少なかった。煉瓦は砂利と藁を混ぜて作られただけで、色彩はみな赤土色。人が多く賑わっている街ばかり見てきたラスティには、この上なく殺風景に思えた。
 陽射しが強い。
「むっちゃ暑い……」
 フェロスを回り始めて短時間で、全身黒の服装のレンはばててしまった。ラスティは上着を脱ぎ、シャツの袖を肘まで捲りあげている。他もそれぞれ似た格好だ。
 レンに水を買って、皆で建物の陰に入り休む。さすが乾燥地帯というべきか、ただの水でも値段が高い。
「フラウと話さなくて良かったの?」
 今この場にフラウだけがいなかった。自分で言っていた通り、夜まで休むつもりなのだろう。旅慣れた彼女には、こんな小さな村に特別興味を抱かないのかもしれない。
「別に、これといって積もる話もありませんから」
 これもまた驚いたことだが、フラウとウィルドは知り合いらしい。それも長い付き合いだそうだが、その割に互いに相手に対して素っ気ない。フラウに尋ねると、腐れ縁かしらね、と笑っていた。いろいろと事情がありそうだ。
 以来、気にはなったが詮索はしていない。彼女のようなタイプは、きっと口を割りはしないだろう。ラスティもまた、聞き出すのが得意なほうではない。
「積もる話はなくても、訊くべきことはあるんじゃないか?」
「いいえ。彼女はそういったことに無関心ですから」
 そういったこととはどういったことなのか。彼らはたまに意の汲み取れない話をする。疎外感を感じるなどと言うつもりはないが、その読み取れない部分になにかラスティにとって重要なことが隠されている気がしてならない。時折ラスティのほうを見るのがその証拠だ。
 いつか話してくれるのだろうか。
「この暑いなかを進むんですか?」
 普段とは打って変わって弱々しいレンの声。そうとう暑さに参っているらしい。熱中症が怖いので、ラスティたちはレンに水を薦めた。もちろん、飲み過ぎもよくない。
「沙漠には水がないから、熱を溜め込む力が弱いんだ。こんなに暑くても、夜は冷え込むぞ」
 だから夜に沙漠を歩くのだ。暑さは判断力を失わせ、体力を消耗させる。その上、水分も奪う。そのなかを行くのは自殺行為というものだ。夜は暗闇が恐ろしいが、最近の月は満ちてきているので、視界についての問題はないだろう。雨の降らない沙漠では、月を覆い隠すほどの雲もない。
「寒いのも苦手なんですよねぇ……」
「ちゃんと服着て、歩いてりゃ大丈夫だって」
 ため息まじりに言うレンに、軽い調子でグラムは笑う。その隣で、リグは腕を組んで難しい顔をした。
「問題は魔物だな」
「やっぱりいるのか」
 フラウから聞いていたので、予想はしていた。ただ、どのくらいの強さなのかは未だにわからない。言葉で簡単に表せるものではないので、仕方ないといえばないのだが。だから、沙漠越えの経験があり、シャナイゼに暮らすグラムたちが同行しているのは凄く有り難い。
 ――そういえば、フラウはこの事を予言していたな……。
 どうしてわかったのだろうか。偶然か、それともしっかりとした根拠があったのか。改めて、謎の多い女である。
 ――悪い人物ではなさそうだが。
 それもラスティがお人好しと言われる所以なのかもしれなかった。
 さて、魔物の話だ。
「まあ、油断しなきゃ問題ねぇけどな、大半は」
 なんとも微妙な物言いである。
「アンデットとかもいるが、一番ヤバいのはヒューマノイドだな。何故か沙漠にも生息してやがるから」
「ヒューマノイド?」
 聞いたことのない単語だった。話の流れからして、魔物のことなのだろうが。
「人型の魔物だよ。総括してそう言うんだ。そっちにはいねぇのか?」
 ラスティは首を振った。レンもまた否定する。動物の亜種のような魔物は多いが、人の形をとるものは見たことも聞いたこともない。
 ふーん、うらやましいな、とグラムは言う。羨ましいと言う割りに複雑そうだった。リグも、話を聞いていたリズも、喉の奥に小骨が引っ掛かったような顔つきをしている。
 凶悪な魔物がいないことに対する僻みとは違う気がする。
「じゃ、一応警告しとくわ。もし人の形をした魔物がいたら、絶対に手を出すなよ」
 ラスティはすっかり暑さに参っているレンを見た。ちゃんと話を聞いているのだろうか。魔物嫌いの彼がグラムの言に従ってくれるか心配だった。
「そんなに強いのか?」
「ものによる。でも、なにより厄介なんだよ」
「厄介」
「奴らの目に入れば、襲われる。抵抗して戦闘になれば、こっちが死ぬまで襲ってくるな。見つからないようにするか、戦って勝つか。ふたつにひとつだ」
 ――死ぬまで。
 こんなに暑いのに、背筋にひんやりとしたものが落ちる。
「その魔物と戦ったことは?」
「あるよ」
 なにを思い出したのか、グラムの目付きが変わった。いつも明るい瞳に陰が宿る。朗らかな彼の目が据わった様子に、ラスティは唾を飲み込んだ。
「仕方ないときもあるけど……そっちのほうが多いけど、いっつも後悔するんだよな」
 そしてグラムはいつもの笑みを浮かべると、
「心配しなくても、手を出さなきゃ大丈夫だって。おれたちがついてるし」



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