第4章 アスティード


  1.

 どんどん、と乱暴なノック音がしたかと思うと、誰かが返事する間もなく扉が開かれた。
「おう、ちょっといいか」
 現れたのは、髪を短く刈り顎に無精ひげを生やした30代後半の男だ。日に焼けた肌。鷹のように鋭い眼光。野性的な風貌は怖れを抱かせると同時に、どこか頼もしく人を引き付ける。衣服越しからわかる筋肉の付き方からしても、相当鍛えていることが窺える。
「カーターさん。どうしたんスか?」
 応対するグラムの口調は相変わらず軽い。だが、その中には、彼への尊敬の念が籠っているように感じた。憧れの人と話しているような、声の弾みよう。きっと大した人物なのだろう。
「一応、お前らに伝えとこうと思ってな」
 そうして彼は、部屋の中に入ると扉を閉める。乱暴な扱いに見えて、思ったよりも音は小さかった。
 そこで、カーターと呼ばれた男はようやくラスティたちの存在に気がついたらしい。
「……こいつらか、手記を盗んだのは」
「カーターさん」
「おっと、すまねぇ」
 咎めるようなリグの声に、あまり詫びれたようすもなくカーターは謝罪した。ラスティたちに、というよりは、諌めたリグに対して謝ったようだった。
「彼らは違いますよ」
 カーターの入室と同時に立ち上がったリズは静かに言った。彼らの接し方から察するに、上司なのだろう。だがそれ以上に、彼女もそしてリグも彼に敬意を払っているようだった。そのうえ、かなり親しげ。
「知り合いだったそうですけどね。どうやら嵌められたらしいですよ」
「仲間の可能性もあるんじゃないか?」
「ちょっと!」
 立ち上がり抗議するレンを見て、にやりとカーターは笑った。
「違うみたいだな?」
 それで試されたのだと、レンとふたりして理解する。赤い眼の少年は、顔を歪ませながらのろのろと腰を下ろした。どうもさっきから調子が狂っている様子である。それはラスティも同様だった。色々ありすぎて、頭が追いついていないのか。
「それで、どのような用事でいらしたんですか?」
 首を傾げて尋ねるリズ。彼女の問いに、カーターは表情を引き締めた。
「これから、ルクトールの西方が警戒態勢に入る。西門も閉鎖された」
 グラムとリグとリズの3人は、互いに顔を見合わせた。
「警戒態勢? 閉鎖?」
「どうして、また」
「魔物でも出たんですか?」
「このあたりに門を閉鎖しなきゃいけねぇような魔物なんざいねぇさ」
 なにか不服でもあるのか、だるそうに肩を竦めて息を吐く。
「そうじゃなくて、アリシエウスがクレールの襲撃を受けたんだよ」
 完全に無関係だった――無関係だと思っていたラスティの背筋が凍った。瞬時に喉が渇く。彼は今なんと言った――。
「アリシエウスが? クレールに?」
「ああ。それで、こっちにもなにか来るかもしれないから、一応警戒しようってわけだ」
 ハイアンの下に刺客がくるくらいだ。近いうちにそうなるだろうと、どこかで予感はしていた。そして、アリシエウスの東方に立っていたクレールの兵。彼らがあの場にいたことを考えれば、それが今日あっても、不思議はない。
 だが、そうとわかっていても、実際に襲われたと耳にすると、冷静ではいられなくなる。
「……なるほど」
 それまでずっと黙って、グラムたちが騒ぐのを見守っていた男が口を開いた。吐息のように短く吐き出された、しかし低く重く響いた言葉は、その場にいた全員を黙らせて注目を集めた。
 顎に手を当て俯き加減で思案していたウィルド・ステイスは、ひとり確信を持って呟いた。
「そういうことですか」
「あ? なに、思い当たることでもあるの?」
「ええ、まあ。
 カーターさん、連絡をどうもありがとうございます。お手伝いは必要ですか?」
 丁寧なウィルドの言葉に、慣れないのか、それとも彼が苦手なのか、カーターは居心地悪そうに視線を逸らした。所在なさげに首の後ろをぼりぼりと掻く。
「いや、今のところこの町の連中で大丈夫だ」
 だが、なにか不安に思ったらしい。再び彼に目を向けると、
「……それよりステイス。あんまりガキどもを妙なことに巻き込むんじゃねぇ」
 はじめてウィルドはラスティにもわかるほど表情を動かした。冷たく人を寄せ付けない仮面のような顔に、困ったような表情が浮かぶ。
「私にその意図はありませんが……気をつけます」
 おう、となんだか気の抜けた返事をして、カーターは部屋を後にした。
「……察しがいいねぇ、カーターさん」
 にやにやとウィルドに近づいたリズは、後ろから彼の肩に手を置いてその顔を覗き込んだ。彼は再び無表情に戻った目で、彼女を物言いたそうに見つめ、肩を竦めた。
 話に区切りがついたことを確認して、ラスティは立ち上がった。
「誤解も解けたようだし、そちらも忙しいようだから、そろそろ帰らせてもらう」
 今すぐ町に出て、アリシエウスについての情報を集めたかった。襲撃の状況、国の対応、犠牲者の数、家族の無事。そして、なによりも気になるのは、ハイアンとディレイスの生死だ。国同士での争いのとき、戦前に出る兵士に次いでその身が危ぶまれるのは、王族である。
 彼らの心配をすればするほど、いてもたってもいれなくなる。
「すみませんが、それはもう少し待っていただけませんか」
 しかし、ウィルドはラスティの前に立ち、退出を阻む。
「まだなにか?」
「先程ダガーが声をかけたときに、無実であるにもかかわらず貴方たちが逃げ出したのが気になりまして」
 あ、と隣でレンが声をあげる。声を掛けられて言い訳も真っ先に逃げ出したのだ。それはアリシアの剣を狙ってきたクレールの追手と勘違いしたからであるが、事情を知らぬものが見れば、後ろめたいことがあると思うに違いない。
「それは……」
 かといって、本当のことを言うわけにもいかない。
「それは?」
 心なしかラスティを見る彼の眼差しが鋭くなった気がする。と頭の隅で考えていると、喉元にひんやりとしたものを感じた。
 いつの間にか喉元に突き付けられた、抜き身の剣。
 いつ抜いたのか、そもそも剣を持っていたことにも気付かなかった。そんなことを考える暇もなく、刃以上に冷たい言葉が浴びせられる。
「その剣、アスティードがなぜ貴方のもとにあるのか、是非とも詳しく教えていただきたいのですが」



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