第3章 逃亡者と追跡者 1. 何事もなくアリシエウスの森を抜け、ルクトールという名のリヴィアデールの最西端の町に着いたのは、日が昇ってからだった。 ルクトールはリヴィアデール屈指の交易都市だ。サリスバーグ、クレール、アリシエウスの3国に近いため、人や物の出入りが激しい。 フラウ、と名乗った金髪の女は、ラスティとレンを引き連れて中央の通りを行き、入ってきた西門からずいぶん遠いところにある宿を取った。位置にして町の中心よりも東寄り。アリシエウスから夜通し歩いてきた3人は朝であるにもかかわらず、部屋に入ると昼過ぎまで眠り込んだ。 そして今、食堂で顔を合わせた3人は、朝食も兼ねた昼食を摂っている。 「これからどう動くつもり?」 目の前に出された厚めのベーコンをフォークとナイフで切りわけながら、フラウは尋ねた。もう昼食にも遅い時間帯である。食堂を使う人は少なかった。 「どうって……」 ラスティは答えに窮した。思えば、行方を眩ますことしか考えておらず、どこへ行くのか、これからどうするのか、といったことを全く考えていなかった。 あちらこちらを回って、のんびり観光でもするか。ようは剣を盗られなければいいわけだから、それも可能である。帰ってきて見知らぬものを話して聞かせれば、脱走常習犯の王子が大喜びするだろう。それとも嫉妬して悔しがるだろうか。 そこまで想像してみても、あまりそういう気分にはなれなかった。 思いに耽っていつの間にか止まってしまった手を動かして、隣に座る少年に声をかける。 「レン」 「はい?」 パンに食らいつこうとする手を止めて、少年は真ん丸の赤い瞳を向けてきた。 「お前はどうなんだ?」 うーん、とパンを皿に置き、考え込む。 「特に、目的地はないですねぇ。行ってみたい場所も今のところありませんし」 お宝の情報もないんですよ、と付け加えた。 「宝?」 フラウは昨晩会ったばかりでレンのことをよく知らない。魔物やら追手やらを警戒しながらだったので、互いの詳しい自己紹介をする暇がなかった。 「僕、トレジャーハンターをしてまして」 ああ、と納得してお茶を飲む。いつの間にか、彼女の皿は空っぽになっている。 「ミルンデネスは、旧世界の遺物が多いものね」 頬杖をついて、一度視線を室内に巡らせたあと、レンに戻した。 「でも、そういうものが一番多いのは、やっぱりシャナイゼね」 「シャナイゼ?」 知らないらしく、レンはラスティのほうを見た。何故フラウに尋ねないのだろうか、と不思議に思いながら、仕方なく説明をする。 「リヴィアデールの東にある砂漠を越えた地域をシャナイゼ地方と呼ぶ。何かと歴史に多く出てくる場所でな」 「そうなんですか?」 「ああ。それで、シャナイゼの周辺には歴史学者にはもってこいの遺跡やら建造物やらが多い。調べられたものも多いが、それでもまだまだ未踏のものも多いという話だ」 レンの瞳が好奇心で輝く。入ってみたいとでも思っているのだろう。 「でも、盗掘したら〈木の塔〉の人たちに捕まってしまうわね。あの辺りは一応〈塔〉の管理下にあるから」 「〈木の塔〉?」 これも聞いたことがないらしい。レンはあまりにもものを知らない気がする。サリスバーグ出身の彼にとっては他国のことであるからかもしれないが。 フラウは説明する気がないようなので、面倒臭いと思いつつ、説明する。 「〈木の塔〉とは、シャナイゼにある魔術研究機関のことだ。創設者がエドワード・セルヴィスとだけあって、リヴィアデールだけでなく、ミルンデネス全土で有名な機関だ」 「あ、その人なら知ってますよ。近代魔術の第一人者。ミルンデネスに貢献し、混沌に堕とした人物……でしたよね」 ミルンデネスの歴史上で、数多の王族や英雄たちを差し置いて最も有名なのが、この魔術師セルヴィスだろう。彼は世界に存在する魔の力を効率よく扱う方法を発見し、研究した。そのとき研究施設として〈木の塔〉を創設した。その後も多くの弟子たちと共に数多くの魔術を生み出しミルンデネスを発展させてきたのだが、いつからか邪の道に堕ちて禁術を生み出すようになり、挙句それをよく思わなかった弟子の1人に殺された。 英雄でありながら大罪人でもある、ミルンデネスの歴史を大きく変えた男。国の一地域であるはずのシャナイゼが他の地域と違い半ば独立している状態を赦されているのも、セルヴィスの過去の栄光のお陰だ。 「〈木の塔〉には傭兵ギルドとしての支部もあるの。今では〈木の塔〉の影響はリヴィアデールの全域に広まっているわ」 それはラスティも初耳だった。魔術研究機関の支部に傭兵ギルド。何故魔術研究機関のままでないのか。ラスティは首を傾げた。 話が途切れたところで、給仕が空いた皿をすべて片づけてしまった。3人の座るテーブルの上には、冷めたお茶の入ったカップだけが置いてあるだけだ。 「さて、と。だいぶ話が盛り上がってしまったけれど、そろそろ買い出しに行かなくてはいけないわね」 遠くの壁にかかった時計を見て、フラウが席を立った。またね、と言って食堂を出ていく。 結局、行き先はまだ決まっていない。 「まあ、急いで決めることもないんじゃないですか?」 「そうは言ってもな……」 アリシエウスから出てきてそのままの格好だから、手持ちの金銭もそう多くない。できるだけ早く身の振り方を考えなければ、宿代と食事代だけで底をついてしまう。 そのことを伝えると、 「そのときはほら、ギャンブルで稼げばいいんですよ」 「なにを馬鹿な。摩るのが落ちだろう」 「でも、ラスティには幸運がついて回ってるじゃないですか」 「…………」 要は、イカサマで稼げということか。自分は痛い目に遇ったことがあるくせに、よくそんなことが言えるものだ。 「とにかく、町を観てきましょうよ。せっかく来たんですから」 呆れるラスティを他所に、彼は急かすように言った。はじめて来た町に興味津々なようで、とにかく外に出たいらしい。このあたりは年相応だな、とラスティは思う。 鬱々と考え込んでいてもはじまらないし、金のあるうちに必要な物を買うべきだと考えて、レンにせがまれるまま、ラスティは腰を上げた。 [小説TOP] |