第18章 アリシエウスの陰に


  2.

 レンはアリシエウスの大通りにある1件の酒場にいた。情報収集のためである。普段であれば目立たない場所にある酒場を選ぶのだが、今回敢えてこのようなわかりやすく、目立ちやすい酒場を選んだ。それはひとえに非番のクレール兵たちがそこにいるからである。
 ここにきてからずっと街を歩き回って観察してきたが、どうやらアリシエウスはクレールから虐げられているようなことにはなっていないようだった。民衆のだいたいは皆、実に穏やかで以前とは変わらぬ生活をしているように思われる。――もちろん、その心中は穏やかではないだろうが。
 だが、肝心なことは何もわかっていなかった。合成獣のことである。クレールが禁忌と言われた合成獣の実験を行っていることは間違いない。レンは確信している。その手掛かりがここにあるであろうことも、疑っていない。だが、収穫がまるでない。
 どうしたものか、と果実飲料を飲みながら考えていた。こういうとき酒を飲めないのはいささか情けないと思う。だが、まだ酒を飲めるような年齢ではないし、自分は見た目からしていかにも子供であるので堪える。
 また1人、店にやってきたようだ。レンは何気なく入口の方に目をやって、ぎょっとした。
「アーヴェント!?」
 思わず声を上げて、立ち上がる。店中の注目を浴びるが、それどころではなかった。黒に近い赤色の髪と瞳。ミルンデネスのどの地域にも見られない色だ。そんな特徴を持つ者は、レンの知るところでは他にいない。
「よお、久しぶり」
 そんな彼は、手をひょいと挙げて、レンのほうに近寄ってきた。まるで偶然久しぶりに友と会ったかのような素振り。それだけで店中の関心は逸れたが、レンはただ立ちつくすばかりだ。
 対するアーヴェントは、当然のように彼の隣の席へと腰掛けて、給仕に料理を頼んだ。服装はそこらの町民と変わりない。隠す物などないというのに、その背には彼の一番の特徴と言える黒い翼がなかった。仕舞えるのか。だとしたらどのようにして仕舞えるのか。
「あなた、いったいどうして……」
 ようやく声を出せたところで、アーヴェントはレンを見上げた。
「とりあえず座っちゃどうだ?」
 言われるがままにレンは腰を下ろした。ひとつ呼吸を置いたところで、堰を切ったように訊き出した。
「どうしてここにいるんですか? あなたはシャナイゼの東側にいたはずでしょう?」
 真剣に問うレンに、アーヴェントは茶化すように返した。
「つれないね。久しぶりの一言もないのかよ」
「ふざけないでください!」
 冗談としか思えない言葉に、レンは激昂する。そんなレンをアーヴェントはどこか深いところを見つめるような瞳で見つめた。
「……悪かったな。お前に俺と仲良くしろって言うほうが酷だったな」
 諦めも落胆もなく淡々とした声に、頭にのぼった血が一気に下がっていった。
「そんなつもりじゃ……」
 ない、と言いかけてレンは言葉を切った。彼と仲良くする気があるのかと訊かれてあると答えたら、それは間違いなく嘘になる。彼は憎い魔物の仲間だ。しかし、彼自身が望んでそうなったわけではないこと、また彼も人間としては被害者の立場であることから、はっきりと拒絶することはできなかった。
 正直に言ってやりにくい。気まずさから俯いて黙りこんだ。
「俺はもともと人間が好きでね。たまにこうして、人間の振りをして街に遊びに行くことがあるんだ」
 突然話を切り出したアーヴェントを訝しむ。いったいなんの話をしているのだろうか。彼はカウンターに両肘をついて組んだ手に顎を乗せ、正面を見ていた。
「で、この前久々にシャナイゼに行ってみて、妙な噂を聞いた」
「妙な、噂……?」
「そう。何処かで誰かが合成獣を造っているっていう噂」
 レンは息を飲んだ。それを眺めやって、アーヴェントは納得したように頷いた。
「知ってるってことはどうやら当たりみたいだな。リグからも手記が盗まれたって話を聞いたから、もしやと思ってこうして来てみたんだが……」
「その場所が、ここだって言うんですか?」
 はっきりとした肯定。たぶん、ではなく確信している様子だ。
「どうしてそんなことがわかるんです? 1週間、僕はここでいろいろな人に話を聞いてきましたが、まだ確信持ってそんなことは言えないのに」
 街の人は合成獣の存在すら知らないようだった。クレール兵たちも、レンが聴きだした限りでは知らない様子だった。もっとも彼らの立場は底辺のほうだろうから、鵜呑みにはしなかったが。
 アーヴェントはこちらを向くと、したり顔で笑った。
「鳥が、騒いでいたからな」
 そういえば、前にユーディアがそんなことを言っていたか。動物の情報網というのは、意外に侮れないらしい。なんたって、他種族の社会の情報まで拾ってくるのだから。
「それで、東の果てからここまで来たというんですか?」
「ああ」
「どうして?」
「お前と同じ」
 ぽかん、とアーヴェントの顔を見つめてしまった。
「なに意外そうな顔をしてんだよ。仲間が増えるからってあんなこと見過ごせるわけないだろう」
 何気なく言われた言葉だったが、レンの心に深く突き刺さった。
「ああ……、そうですね……」
 またやってしまった。どうも自分は彼を人間として見ることができないらしい。ますます居心地が悪くなった。アーヴェントが心置きなく憎むことのできるような人間であればいいのに、と思う。そしてそういう自分に嫌悪する。
「だけど、肝心な場所までは聞けなかったんだよ。はじめて来たばかりだから、見当もつかないし」
「僕も思い当たるところは……」
 自らの中に湧き上がる感情を必死に抑え込む。他の人間と変わらぬように接しようと努めた。そうすると自然に言葉は少なくなっていった。
「そうか……」
 がっくりと肩を落とした。がりがりと頭を掻いた様子に、どうやら苛立ちを感じているらしい。
「ラスティだったら、もしかしたら……」
 彼はこの街の生まれだ。新しくやってきたレンたちより土地勘が遥かにある。この街のことを訊くのであればやはり彼が一番だろう。
 レンはアーヴェントを連れてラスティの家に帰ることにした。



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